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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第七章
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十五. 後悔

 


 静麗ジンリーが皇帝陛下の三度目となるお渡りをお受けしてから、一月近くが経った頃。


 日中は日差しもまだきつく暑い日も多いが、朝晩はそれらも少し和らぎ、皇都で一番暑い時期は過ぎ去ったように感じられた。

 もともと温暖な地域である雅安ヤーアンで生まれ育った静麗は、皇都の暑さは特に苦に感じることは無かった。




 そんなある日、静麗が居間で刺繍を施していると、月長殿にグゥォ 伝雲ユンユンが訪れて来た。



「静麗様。郭様がお見えですが、応接間にお通しいたしますか?」

「伝雲が?…いえ、此処にお通しして頂戴」


 静麗は刺繍をする手を止めると少し考え、応接間では無く居間で来客に対応する事にした。





 暫くすると伝雲が芽衣ヤーイーに先導されて静麗の居る居間へと現れた。


ジィァン貴人。お久しぶりです。お変わり御座いませんか」


 伝雲は口角を少し上げると目を細めて静麗に挨拶をした。

 静麗の前まで歩いて来た伝雲は、何時も着ている武官の服ではなく、動きやすそうだが女性的な美しい衣装を身に纏っていた。

 そして、何時もは片膝を突き挨拶をするのだが、今日は美しい流れで拱手すると、品よく笑顔を浮かべた。


 その気品ある動作は、凛々しい武官の時とは違い、流石は大貴族の姫君といった様相だった。

 思わずその所作に見入った静麗と芽衣は、ほぅ、と溜息を吐いた。



 ―――何時もの凛々しい伝雲も素敵だけれど、女性としての伝雲も同じ程に魅力的だわ。こんな方が、武官をしているなんて、未だに信じられないわ



 静麗は改めて伝雲を見て不思議に感じた。




「久しぶりね、伝雲。見ての通り、私は元気よ。それより、今日はどうしたの?」

「はい、本日私は休養日に当たるのですが、最近は蒋貴人とお会いしていないと思い、ご機嫌伺いに参りました」

「まぁ、お休みの日に態々私に会いに来てくれたの? 嬉しいわ、伝雲」


 伝雲の言葉を聞いた静麗は、顔を綻ばせて喜んだ。

 確かに最近は外に出る事も余り無い為、伝雲と遭遇することもほぼ無かった。

 以前はよく一緒に散策していたので、会えない事を寂しくも感じていたのだ。



「もし良ければ、私と一緒に月長殿の外に散策にでも出かけませんか?」


 静麗の心を読んだように、伝雲が提案をしてきた。


 随分長い間、用事が無い限り月長殿の中で引きこもり過ごして来たが、偶には散策に出かけるのも良いかもしれない。

 それに、武官である伝雲が一緒ならとても心強い。


「そうね。行こうかしら」


 静麗の返事を聞いた伝雲は、ほっとした様に頷いた。

 伝雲にも心配を掛けていた様で、静麗は申し訳なく思う。



 出掛けようと椅子から腰を上げた静麗だが、ふと思い立って芽衣を見た。


「……芽衣、今日は伝雲と二人で出かけるから、偶には貴女も一人でゆっくり休んでいて」

「まぁ、静麗様。私の事はお気遣いなく。大丈夫ですわ」


 芽衣はおっとりと微笑んだが、伝雲も芽衣を見ると静麗に同意した。


「芽衣殿。蒋貴人もこう言われているし、休ませて頂いては? 蒋貴人の事は、私が必ず無事に月長殿まで送り届けるので、任せて頂けないか」


 伝雲に言われた芽衣は逡巡しながらも頷き、二人が出掛けていくのを橄欖宮の門から見送った。







 芽衣から見えない位置まで来た時、伝雲は少し面白そうに口角を上げて口を開いた。


「さて、蒋貴人。何か芽衣殿には聞かれたくない話でもあるのですか?」

「あら、やっぱり伝雲にはばれていたの?」


 静麗は肩を竦めると小さく舌を出した。


「伝雲に聞きたいことが少しあって。あの庭園の四阿で少しお喋りしましょうよ」


 静麗は月長殿から近い場所にある小さな庭園を指さした。

 伝雲も頷いて了承をした。






「貴女に聞きたいのは、貴女のお兄様の事なの」


 四阿の中に落ち着いた静麗は、早速伝雲に声を掛けた。

 伝雲は思っていた事とは違う事を聞かれたといった顔をして静麗を見詰めた。


「兄の事ですか?……蒋貴人が、何故兄の事を?………まさかっ」


 伝雲が目を大きく見開き、驚愕の表情で静麗を見てきた。


「ちっ、違うわよ! 私じゃないわ! 伝雲のお兄様を気にしているのは、私じゃなくて………あ……」


 そこまで言うと、静麗は慌てて口を押えた。

 だが、零れた言葉はしっかり伝雲の耳に届いていた。


 静麗はそろりと上目遣いで伝雲を伺った。

 伝雲はほっと息を吐いた後、静麗の顔を見てぽつりと呟いた。


「…芽衣殿」



 静麗は頭を抱えたくなった。

 確かに伝雲には近衛武官の郭 俊豪ジュンハオの事を尋ねたかったのだが、芽衣の名を出すつもりは無かったのだ。

 それなのに、伝雲はあっさりと静麗の意図を見抜いてしまった。



 ―――あああぁ、芽衣、ごめんなさいぃ! 貴女の想いをばらしてしまったわ!!



 静麗は自分の迂闊さを嘆いたが、後の祭りだ。



「伝雲、お願い。この事は貴女の胸に秘めておいて頂戴。芽衣にも、お兄様にも言わないで」

「勿論です。誰にも言いません。……ですが、そうでしたか。我が兄には芽衣殿は不釣り合いに感じますが」


 伝雲の言葉を聞いた静麗は肩を落とした。


「やっぱり、貴位の低い芽衣では、大貴族の郭家とは釣り合わないのね……」

「えっ?…あぁ、違います蒋貴人。反対です。我が兄には、芽衣殿が勿体ないのです」


 小さく笑いながら伝雲はそう告げた。


「確かに我家は貴位の高い大貴族などと言われておりますが、私や、兄の意識では、貴族というより武人という意識の方が高いのです。特に、家督を継げる位置に居ない兄はそれが顕著です。それに、兄のあの性格では、余り貴位には拘らないと思いますよ。今は気になる女人も居ない様ですし」


 伝雲の話を聞いて、静麗は顔を綻ばせた。


 では、身分という本人の意志ではどうしようもない事で、芽衣は胸に宿った淡い想いを諦めなくても良いという事だ。

 それが分かっただけでも、今日こうして外に散策に出た価値があるというものだ。


 人の恋路に口を挟む気は静麗には無かったが、この先も皇帝陛下の供として俊豪が月長殿を訪れ、芽衣が身分によって辛い思いをするような事が無い様にと願っていたのだ。

 だが、その心配も無くなったのなら、後は芽衣次第だ。


 静麗は、芽衣には何時までも側に居て欲しいと思う気持ちもあるが、其れよりも幸せになって欲しいという気持ちの方が大きい。

 出来る事ならば、平民の様に好きな人と添い遂げて貰いたい。

 静麗では叶えることが出来なかった幸せを掴んでもらえるなら、協力は惜しまないつもりだ。


 静麗が、ほぅ、と大きく息を吐いたのを伝雲は穏やかな表情で見ていた。



「蒋貴人は、本当に芽衣殿の事が大事なのですね。……兄には勿体ないですが、芽衣殿ならば、私も安心して兄を任せることが出来ます」


 そう言って穏やかに微笑む伝雲は、何時もの凛々しい女武官では無く、大人の女性としての魅力に溢れていた。


「ねぇ、伝雲。…貴女は、ずっと武官を続けるの? 良い人は居ないの?」

「私ですか……?」


 伝雲は静麗の言葉に少し驚いた様に目を瞬かせた。



「言いたく無ければ、無理に聞きだすつもりはないの。…ただ、女性の武官というものを後宮で初めて知ったから、婚姻する時はどうするのかなって……」


 伝雲を不快にさせたかと、静麗の言葉は小さくなる。

 其れに対して伝雲は小さく笑う。


「構いませんよ。…そうですね、人によって違いますが、婚姻後に辞める女性武官もいますが、子が出来るまで勤める者や、復帰する者。それに婚姻せずに、ずっと武官として務めを果たす者。様々です」

「そうなの……」


 静麗は頷いた後、ちらりと伝雲を伺った。

 伝雲は静麗から視線を外すと、四阿の外を眺めた。



 空は高く、薄い雲の間から穏やかな日差しが庭園に注いでいる。

 月長殿の素朴な庭と違い、庭師が丹精込めて作り上げている立派な庭園だ。

 伝雲は暫くその光が差す美しい庭を、目を細めて眺めていたが、ぽつりと言葉を零した。


「私は、……私にも、お慕いする方は居りました。ですが、あの方は、私の手の届かない所へ行ってしまわれた。……もし、もしもあの時に戻れるのなら……私は」


 そう言うと、伝雲は顔を伏せて静かに瞼を閉じた。

 伝雲のその寂し気な表情を見た静麗は、迂闊に聞いた事を後悔した。


「伝雲。……ごめんなさい。私、…貴女にそんな顔をさせるつもりでは」

「いいえ。…大丈夫です。蒋貴人こそ、その様な顔をなさらないで下さい」


 静麗の眉を下げた情けない顔をみた伝雲は、ふっと優しく笑った。




 ―――伝雲にどんな過去があったのかは分からないけれど、皆、それぞれが、色々な過去があって今を生きているのね……




 この先、この場所でどの様な事が起こるのか分からないが、皆が幸せに過ごせればいいと、静麗は願った。




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