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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第一章
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七. 慈母

 


 雅安ヤーアンという、皇都から遠く離れた田舎町に住む浩然ハオランの母が、何故、大国寧波ニンブォの至高の存在である、皇帝陛下の御子を生むことになったのか。

 静麗ジンリーは婚姻の申し入れを受け入れた後、当の本人である浩然から話を聞いた。





 浩然の母の名は冬梅ドンメイといい、ルゥオ家の一人娘として生を受けた。

 後継ぎとなる男子を欲していた夫婦だったが、冬梅のあまりの可愛さに夢中となった。

 親の贔屓目ということは無く、冬梅は赤子の頃から人目を引く美しさを持っていた。

 結局、夫婦には冬梅以外に子を授かることがなく、将来は婿を取り商売を引き継いでもらおうと考えていた。



 そんな冬梅だが、十五歳の成人を過ぎた頃に転機を迎えた。


 雅安を統べる貴族である領主の子息が、美しいと町でも評判の娘である冬梅を、第二夫人として迎えたいと、内々で打診があったのだ。

 元々、町一番の商家であった羅家は、領主一家とも縁が深く、冬梅と領主の子息は幼い頃からの顔見知りであり、身分違いではあったが、子息は冬梅にずっと心惹かれていたのだ。

 貴族の義務として、正妻には同じ貴族の位を持つ姫を迎えるが、側室となる第二夫人に冬梅を求めたのだ。

 平民ではあり得ない幸運に、羅家は喜びに包まれたが、その話を受けるには問題があった。

 雅安一の商家であった羅家ではあるが、それでも冬梅はただの平民の娘だということだ。

 貴族の位を持つ領主の家格とは、あまりにも釣り合わない。

 領主と羅家で話し合いを行い、その結果決まった事は、箔付けの為に一年間だけ後宮に下級侍女として上がり、行儀見習いをするというものだった。

 幸い後宮には、領主の親族である貴族の姫君が側室として入宮しており、下級侍女として冬梅を預かることを了承してくれた。


 こうして、準備を整えた冬梅は十六歳の年に後宮に入ることとなった。

 一年後、雅安に戻ってくる時には、次期領主の第二夫人という、平民ではあり得ない僥倖を受けるはずであった。


 だが、事態は思わぬ方へと急変する。

 後少しで後宮を辞するという時に、それは起こった。

 冬梅が皇帝陛下の寵愛を受け、御子を孕んだのだ。


 平民の下級侍女である冬梅は、皇帝陛下の御前に出ることなど到底出来ない。

 何故、冬梅が皇帝陛下と顔を合わせるような場があったのか、後宮内のことなので、詳しいことは解らないし、冬梅もまた語らなかった。


 ただ、冬梅は浩然をその身に宿したまま後宮を下がり、皇都から遥かに遠い雅安の地で生み、育てた。

 仮にも皇帝陛下の御子を孕んだ冬梅が、何故後宮を辞することが叶ったのか、皇帝陛下の御子を平民として生み育てることを許されたのかは、冬梅が亡くなった今は知ることは出来ない。

 後宮内でのことは、例え親族であろうとも公にすることを冬梅が憚った為だ。

 しかし、皇帝陛下の御子を孕んだ冬梅を、領主子息の第二夫人として迎えることは、出来ようはずも無く、両家での内々の縁談は、誰にも知られることなく破談となった。


 こうして、浩然は雅安で父親の居ない、ただの平民として生を受け、育った。




 ◇◇◇




 イェンが羅家を訪れた日の翌朝、静麗が目を覚ますと浩然は既に寝室に居なかった。


 昨夜の浩然は、まるで何かに追い立てられる様に静麗を求めた。

 夫のそんな様子に、静麗は不安を押し殺して、ただ抱き締め返すことしか出来なかった。


 寝台から身を起こし、深衣に着替えると静麗は夫婦の部屋から出る。

 浩然を探して屋敷の中を歩いたが、何処にも見当たらない。

 もしかしてと思い、外廊下から庭に降り立つと裏庭に向かった。


 漆喰の白壁伝いに歩き、裏庭に着くと、義母の墓石の前で跪いている浩然の後ろ姿が見えた。

 静麗は静かに近づき、浩然の隣に同じ様に膝を突いた。


 暫く無言だった浩然は、墓石に手を伸ばし、その滑らかな石肌を優しく撫でた。


「母さんが俺の父親について話してくれたことは、一度しかないんだ」


 ぽつりと、呟く様に浩然は言った。


彼の方あのかた寧波ニンブォの皇帝陛下だ。俺が父と呼ぶことは決して出来ないけど、……一目でいい、遠くからでもいいから、一目、拝見してみたかった」


 静かに語る浩然の声に、静麗はその横顔を見た。


「母さんは、俺が十歳になった時に、俺が誰の血を受け継いでいるのかを教えてくれた。その時の、母さんの顔を今でも覚えているよ……母さんが、彼の方あのかたをどう思っていたのは、俺には分からないけど、……でも、皇都から逃げてくる程、嫌っている人の話をする表情には、どうしても見えなかった……もしかしたら、母さんは彼の方あのかたの事を……慕っていたのかも…」

「浩然……そうかも、知れないわね。だって、御義母様は再婚の話が幾つもあった筈なのに、全てお断りになって、ずっと浩然だけを慈しんで来られたんだもの。皇帝陛下の事をずっと想っていらしたのかも知れないわ」


 静麗は墓石を優しく撫でる浩然の手を見つめた。


「……浩然は、御義母様に望まれて生まれてきたのよ。そして、御義母様は亡くなるまでずっと、浩然だけを愛してきたわ」




 ◇◇◇




 その日の昼餉を終えた頃、官吏の閻が羅家を再び訪れた。

 今日は祖父母と、仕事を休んだ浩然も閻の訪れを待っており、静麗を含む四人は使用人に案内されて応接間に入って来た閻を立って迎え入れた。


 祖父と閻が挨拶を交わすのを後ろから静麗は見つめた。

 閻は今日も隙の無い完璧な装いで貴族然としており、嘗ては雅安一の豪商であった祖父とも対等に接していた。


「閻殿と仰ったか。もしや、貴方は貴族の位をお持ちでは御座いませんか」


 閻の身についた高貴な者特有の佇まいに、祖父が些か強張った表情で尋ねた。

 静麗は、はっと目を開いた。

 確かに最初は静麗も閻が貴族ではないかと緊張していたのだが、閻の話口調が丁寧で、物腰も柔らかかった為に、昨日は途中からそんな事はすっかり忘れて色々な話を聞かせて貰っていた。

 だが、祖父の言葉で思い出し、蒼褪めた。



 ―――どうしよう、もし閻様が貴族だったら、私、大変な無礼をしてしまったのかもしれない



 青くなる静麗に気付くことなく祖父達は閻を注視する。

 それに対して、閻は何でも無い事のように頷いた。


「ええ。確かに我家は貴族の位を賜っております」

「なんと……」


 絶句した祖父は、慌ててその場で跪こうとしたが、閻によって止められる。


「お止め下さい。貴族の位と言っても貴七品位の三男です。家督を継ぐでも無く、今はただの官吏をしております。それに……」


 閻は浩然に顔を向ける。


「本来、跪くべきは私の方です。前皇帝陛下の尊い血筋に在られる浩然様に対して、最大の敬意を払わねばなりません」


 そう言うと、浩然の前に膝を突こうとする。

 これに対して浩然は嫌そうな顔をすると、手で閻を制した。


「それこそ、お止め下さい。俺は彼の方あのかたの血を受け継いでいるかもしれませんが、今はただの平民の浩然です。貴族の位をお持ちの閻様に傅かれるなど、分不相応だ」


 閻は少し困った様に、見守っていた祖父母や静麗の顔を見回した。


「では、こう致しましょう。今この時は、互いに畏まった態度を控える事と」

「ええ。それで構いません」


 浩然も頷いて了承した。


 その後、祖母と静麗は応接間を退出し、祖父と浩然の二人が閻と話し合いをすることとなった。

 三人はその後、夕刻までの長い時間、応接間から出ることなく話し合いは続けられた。





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