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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第七章

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十三. 花影

 


 貴人位の側室としては異例の、二度目のお渡りをお受けして暫く経ったある日、静麗ジンリー芽衣ヤーイーと共に裏庭に出ていた。

 季節は進み、初夏を過ぎたこの頃は随分日差しも強くなってきていた。



 晴れた空に浮かぶ白い雲を、目の上に手を当てて眺めていた静麗に後ろから声が掛けられた。


「静麗様。花はどの辺りに植えられますか?」


 静麗は声のした方を振り向いて、後ろに立っていた男性を見た。

 静麗の後ろには芽衣と共にリィ 一諾イーヌオが控えていた。



「居間から見える位置に植えたいから、あの辺りがいいわ」


 静麗が指差した一角を一諾が確認し頷いている。







 本日、一諾が月長殿を訪れていたのは静麗からの依頼だった。

 月長殿の修繕をほぼ終えた静麗は、今度は裏庭や表の庭等も綺麗に整備する事にした。

 月長殿の荒れていた庭も出来る範囲で掃除していたのだが、美しく咲く花や樹木等も余り無い為にどこか寂しく感じていた。

 そこで、一諾に依頼して花の苗や樹木を取り寄せることにしたのだ。



 最初は女官長に相談して後宮の庭師に頼もうかと考えたのだが、そうすると他の庭園の様な立派な庭が出来てしまうかもしれない。

 静麗が望んでいる庭は、ルゥオ家の裏庭の様な素朴で温かな雰囲気のある庭だ。

 冬梅ドンメイの墓があるあの庭は、とても静かで心地よい空間が広がっていた。

 あの様な庭を作りたい静麗が、後宮の庭師に頼むのを躊躇していると、春燕チュンイェンが李商会から植物を取り寄せて、自分達で植えてはどうかと提案してきた。

 李商会が植物も扱っているとは思いもよらなかったが、一諾が用意できるのならお願いしようと考えて、本日一諾を月長殿に招いたのだった。





「出来れば綺麗に整えた花壇では無く、自然な感じで花や木を植えたいの」


 静麗の願いを聞いた一諾は頷いて、裏庭を見回した。


「では、どの様な種類の花をご希望なされますか?」


 一諾の問いかけに静麗はそうね、と呟き少し考えた。


「花は、香りの良い物があれば、それがいいわ」

「香りの良い花ですか。……では、浅黄水仙などはいかがでしょうか。花は小さいですが、その名の通り、美しい浅黄色をしており、とても良い香りが致します」


 一諾の勧める花の名を聞いた静麗は、言葉に詰まった。


「……ごめんなさい、その花は止めておくわ。……他に何かお勧めはあるかしら」


 静麗の表情が少し曇ったのを見た一諾は、少し眉を寄せたが何も言及せずに、では、と言葉を続けた。


「では、月下香などは如何でしょう。他には、…少し大きくても良ければ、木香茨や茉莉花。沈丁花や金木犀も香りは良いですね」


 一諾が静麗に何も聞かずに話を続けてくれた事に、ほっと息を吐いた静麗は、うぅん、と悩んだ。

 確かに一諾が勧めてくれた花はどれもが良い香りのするものだ。


「金木犀は植えたいわ。……生家にもあったの」

「そうでしたか。では、金木犀はあの池の後ろに配置されてはどうでしょうか。他には…」



 そうして静麗と一諾は時間を掛けて庭に植える花や樹木を選んでいった。

 裏庭には、金木犀の他にも数本の樹木と、小さな草花の種や苗を植えることにし、橄欖宮の門を通り、石畳を抜けた先にある小さな庭園には、木香茨を植えることにした。

 静麗と芽衣が手入れ出来る程の、僅かな数しか植えることは出来ないだろうが、今までの何処か寂しい月長殿の庭がこれで少しは明るくなるだろう。


 一通りの注文を一諾に伝えると、かなりの時間が経っている事に気付いた。


「芽衣、お茶の準備をお願い出来るかしら。此処で飲むから、用意をお願い」

「はい。では、直ぐにお持ちいたします」


 芽衣が頭を下げると裏庭から月長殿の中に戻って行った。


「一諾さん。どうぞ、こちらへ」


 静麗は新たに裏庭に配置していた小さな円卓へと進み、椅子に腰掛けると一諾にも椅子を勧めた。

 これらの品も、李商会から購入したものだった。


 芽衣が殿舎に入って行くのを見ていた一諾だが、静麗に声を掛けられると振り返り、静かな眼差しを向けてきた。



「静麗様。……貴女は、今お幸せですか?」


 一諾の思いもよらない問いかけに、静麗は困惑してその顔を見上げた。


「……どうしたの、一諾さん。……何を突然……」




 ―――幸せ?……後宮に入って、私が幸せであった事は……



 芽衣や春燕、伝雲ユンユン彩雅ツァィヤーの顔が浮かぶ。

 後宮に入ったからこそ知りあえた大切な友人達。

 後宮の中にあっても、嬉しい事や楽しい事も沢山あった。

 だが、それでも……



 静麗の顔が強張り、固まった様に動きを止めたのを見た一諾は、痛ましそうに静麗を見詰めた。

 そして静麗の前に跪くと、少し迷う様に眉を寄せていたが、やがて真剣な表情で静麗を見詰めてきた。



「陛下が、貴位の低い側室様方の元へ通われていない事は、私でも耳にしております。ましてや、平民である貴女様の元へは、来られる事は無いでしょう。」

「…え? 違っ」


 一諾の言葉に、皇帝陛下がもう二度も静麗の元へ通ってきた事実を、一諾は知らないのだと分かった。


 一諾に間違いを訂正しようと口を開きかけた静麗だが、其れよりも先に一諾が動いた。

 静麗に近づき、声を潜めると決然とした口調で静かに語り掛けた。




「もし、貴女が望むのなら、……私が、この後宮からお救いいたします」




 静麗は顔を跳ね上げて身体を大きく揺らした。

 信じられない言葉を告げた一諾の正気を疑い、静麗は眉を顰めて己の前に跪いている御用商人の姿を凝視した。



「……一諾さん。……貴方、今自分が何を言ったのか、分かっているの? …それに、この場所から側室が外へ出る事など不可能なのよ」

「いいえ、静麗様。可能です」

「不可能よ」


 静麗は首を小さく何度も横に振った。


「出来る筈がないわ、そんな事。仮に出来たとしても、両親や周りの者達にどんな処罰が与えられるか……」


 静麗の諦めと悲しみの混じった表情を見た一諾は、静麗の膝の上に揃えられていた小さな手をそっと握った。


「貴女は御存じ無いのでしょうが、昔から身分の低い側室が後宮から消えることなど良くあるのですよ。ましてや、貴女は平民の上に最下位の側室です。陛下の寵愛のない側室が一人後宮から消えた所で、誰も気にも留めない事でしょう」


 一諾が、今まで静麗には見せたことの無い表情でうっそりと笑った。


 突然一諾が全く見知らぬ男性になった様に感じた静麗は、身を強張らせた。

 それと同時に、以前側室が一人後宮から退去した時の事を思い出した。

 あの時も、ほんの僅かな期間色々な噂が出回っていたが、誰も真相を知ることも無いまま、気にも留めなくなっていった。

 静麗も今日まで思い出すことも無かった。

 一諾にきつく握られたままの静麗の手が、指先から冷えていく。



 静麗の混乱した頭の中に様々な考えが浮かんでは消えてゆく。

 その時、すっと一諾は静麗の手を離すと何事も無かったように立ち上がり、静麗から距離を取った。




「お待たせいたしました。静麗様。李さん」


 暫くして、芽衣の柔らかな声が聞こえた静麗は、夢から覚めた様に瞬きを繰り返して、一諾の顔を見上げた。

 一諾は何時もの様に大らかな微笑みを浮かべて静麗を優しく見詰めていた。






 その後、一諾は庭に植える植物の搬入日等を芽衣と相談すると、何事も無く月長殿から辞していった。


「静麗様? どうかなさいましたか」


 ぼんやりと一諾の後ろ姿を見送っていた静麗を、芽衣が訝し気に見て来たが、先程の危うい話を芽衣にする事を静麗は躊躇した。


「何でもないわ。最近、色々な事が有ったから、少し疲れたのかも」


 静麗は誰にも相談できない悩みを抱えることになった。




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