七. 新調
月長殿の傷んでいた個所を粗方修繕し、応接間を使用出来るまで綺麗にした静麗は、卓や椅子等の調度品の搬入を終えると部屋の中央に立ち周りを見回した。
李商会から購入した落ち着きのある色合いの家具や絨毯は、統一感があり、品がありながらも落ち着ける空間を作っていた。
それ程高級な調度品では無いが、今までは生活の場であった居間で対応していた事を考えると、客人や使者を迎える応接間としては十分であろう。
静麗は笑顔を浮かべて後ろを振り返った。
「一諾さん。ありがとうございます。とても素敵な応接間となりました」
「ご期待に沿えることが出来たのなら、私も嬉しく思います」
一諾が静麗に対して頭を下げながら微笑んで答えた。
本日は静麗より注文を受けていた全ての商品の納入を終え、最後の確認にやって来ていたのだ。
「芽衣もありがとう。これでいつお客様や使者が来られても安心ね」
「はい。静麗様には此れまでご不便をお掛け致しましたが、此れからはゆっくりと居間でお寛ぎ頂けますわ」
芽衣も嬉しそうに頷いた。
一年以上の月日を過ごして来た月長殿には、其れなりに愛着も湧いてきている。
後宮に閉じ込められたと分かった直後は、この場所が嫌で、早く出ていきたいとそればかり考えていたが、同時に後宮内で唯一安心出来る場所もまた、この月長殿しか無かったのだ。
その場所が少しずつ美しく修繕されていく。
この先、長い月日を過ごすことになるだろう月長殿を、美しく甦った応接間を静麗は静かに見回した。
それから数日が過ぎたある日、月長殿に来客があった。
月長殿の修繕が済んだ事を聞いた梁 春燕公主殿下が久しぶりにやって来たのだ。
その日は奇しくも静麗の十七歳となる誕生日であった。
何時もの様に輿に乗り、侍女や近衛武官を引き連れてやって来た春燕は、初めて月長殿の応接間に入るとくるりと周りを見回した。
そして静麗を振り返るとにこりと笑った。
「静麗お姉様の優しい雰囲気に合った、居心地の良い応接間だわ。これは李商会から?」
応接間に置かれた真新しい卓を撫でながら春燕は静麗に尋ねる。
「はい。公主殿下がご紹介下さった李さんの商会は、本当に良い品を揃えて下さいました。李さんにも、公主殿下にも感謝致します」
静麗の御礼を聞いた春燕はくすぐったそうに笑った。
「そう、良かったわ。李の商会とは、先々代の頃からの付き合いらしいから。お父様は特に今の李家の当主の事を重用していたと聞いているわ」
李家の現当主とは一諾の父親のことだ。
そして春燕が言うお父様とは、前皇帝陛下のことになる。
「まぁ、李商会とはそれ程素晴らしい商家だったのですね」
静麗は改めて李商会の凄さを感じながら、春燕を促して購入したばかりの椅子を勧めた。
静麗達が卓を挟み向かい合って腰かけると、直ぐに芽衣がやって来て二人の前に茶を用意した。
春燕は茶を一口飲むと、ほぅと息を吐いた。
そして後ろに控えていた公主殿下の筆頭侍女を振り返ると頷いた。
侍女は恭しく頭を下げると隣に居た年若い侍女に目配せをする。
年若い侍女は、静麗達の座る前にある大きな卓の上に綺麗な布で包まれた荷を丁寧に置くと元の位置へと下がった。
それを静麗は訝しそうに見た後、春燕に問いかける視線を向けた。
「静麗お姉様、どうぞ開けて見て?」
静麗は訳も分からぬまま、首をかしげて言われるままに包みを解いた。
中からは美しい光沢を放つ、高級な絹の生地で出来た襦裙が出て来た。
「私から静麗お姉様への贈り物よ」
美しい刺繍が施された上品な衣装に目を奪われていた静麗は、春燕の言葉に驚いて顔を上げた。
その驚きに染まった静麗の顔を見た春燕は楽しそうに笑った。
「以前、静麗お姉様が侍女に贈り物をした事があったでしょう? それがとても楽しかったから、私も静麗お姉様の生誕日に内緒で贈り物を用意してみたの。静麗お姉様を驚かせたくて」
春燕は少しはにかみながらも嬉しそうに笑う。
「…驚きました」
静麗は春燕の楽しそうな顔を見た後、手元の襦裙に目を落とすと、そっとその表面を撫でた。
とても素晴らしい手触りの上等な絹で出来ている最高級の品だ。
だが、静麗の好みを知ってか、それ程華やかな色ではなく、淡い色調の優しい色の衣装だ。
元気で溌剌とした春燕にではなく、これは静麗の為に選ばれて用意された品であることがその色あいからも分かった。
きっと、春燕が静麗の事を考えながら選んでくれたのだろうと感じて、静麗の目には涙が浮かんできた。
だが、直ぐに笑顔を浮かべると春燕の顔を見詰めた。
「驚きました、公主殿下。…でも嬉しい。本当に嬉しいです」
静麗の笑顔を見た春燕はくすぐったそうに、満足そうに頷くと胸を張った。
「驚くのはまだ早いわ。今日は他にも珍しい菓子を取り寄せているの。一緒に頂きましょう?」
そこまで言うと、春燕は周りを見回した。
そして少し眉を下げると静麗を上目遣いで見てきた。
「静麗お姉様。ここもとても落ち着いていて素敵な場所だとは思うけれど、私は何時もの居間の方がいいわ。其方に移動してはいけないかしら?」
春燕の言葉を聞いた静麗は虚を突かれた顔をした。
春燕の後ろに控えていた筆頭侍女は少し眉を顰めると春燕に近づき、小声で窘めた。
「春燕様。蒋貴人様がお困りですわ。それに居間は月長殿の中でも私的な場所で御座います。応接間が出来た以上、其方に伺うのは礼を失しています」
春燕は信頼する筆頭侍女の言葉に悄然と肩を落とした。
「静麗お姉様、先程の言葉を取り消すわ」
先程まで楽しそうに笑顔を浮かべていた春燕の悲しそうな顔を見た静麗は、眉を寄せた。
確かに、応接間が出来た以上、高貴な姫君である公主殿下を居間へお通しするのは間違っているのかもしれない。
しかし、静麗の中では恐れ多い事ながら、春燕は今や妹の様な存在となっていたのだ。
その愛おしい存在が望んでいる可愛い我儘を叶えることぐらい、人目につかない月長殿の中でならしても良いのではないだろうか。
静麗は自分の後ろに控えていた芽衣を振り返った。
芽衣は、少し苦笑を浮かべながらも頷いてくれた。
「公主殿下。私も居間の方が落ち着けるのです。良ければ彼方へ移動なさって下さいますか?」
静麗の言葉を聞いた春燕は顔を上げると、直ぐに頷こうとしたが、そっと後ろを振り返った。
「蒋貴人様が宜しいのなら、移動させて頂きましょう」
筆頭侍女も苦笑を浮かべながら、同意してくれた。
普段は公主殿下としての立場を良く理解して、それに相応しい振る舞いをこなしている春燕だ。
今や唯一甘えることが出来る存在である、静麗が居る月長殿の中でぐらい、本来の自分を見せても良いだろう。
結局この場にいる皆が、この高貴で愛らしい姫の事を愛おしく思い、その成長を大切に見守っているのだった。