六. 改善
静麗の複雑な心の内とは裏腹に、側室としての禄が増えたことによって、月長殿での生活は少しずつ改善されていった。
月長殿の古びて壊れかけていた個所を修繕し、新しく調度品等を購入することも、此れからは可能となるだろう。
今までは使者も客人も、全て居間に通して対応していたが、どれ程綺麗にしていようとも、生活感が滲み出ている場所へ人を通す事を気にしていた静麗は、応接間を使用出来るようになるだけでも有り難く思った。
応接間を修繕した後、その場所へ置く調度品を購入する為に、御用商人である 李 一諾を呼ぶ必要があったが、以前一諾の優しさを退けてからはまだ一度も会っていない。
それまでは頻繁に訪れていた一諾が、あの日以来月長殿を訪れていないという事は、一諾は静麗に対して距離をおこうと考えたのかも知れない。
自分から差し伸べられた手を拒んだ筈なのに、一諾から疎まれたかもしれないと思うと、静麗は一諾を月長殿に呼ぶ決心が中々つかなかった。
かと言って、他の商人に知り合いなど居ない静麗は途方に暮れた。
だが、そんなある日、一諾の方から月長殿を訪ねてきた。
静麗は緊張の面持ちで居間の椅子に腰掛けて、一諾が現れるのを待っていた。
芽衣に先導されて月長殿の居間に現れた一諾は、緊張に強張る顔の静麗を見ると、少し目を見張った後、何時もの様に大らかな笑顔を浮かべた。
その笑顔を見た静麗は、知らずに止めていた息を細く吐き出し、安堵の息を吐いた。
―――良かった。何時もの一諾さんだ
一諾は居間に入ると直ぐに跪いて丁寧に静麗に挨拶をしてくれた。
静麗は立って椅子に座る様に勧めた。
以前であれば勧めに従い腰を下ろして静麗と少しの時間を談笑して過ごしていたのだが、一諾は恐れ多い事で御座います、と着席することを辞退した。
それを聞いた静麗は寂しさを感じたが、仕方が無い事だと自分を納得させた。
以前と違い、自分は本当の意味でも皇帝陛下の側室となってしまったのだから、一諾とは友人としてではなく、側室と御用商人としての立場で接するべきだろう。
静麗は一諾の返事に頷いて応えた。
その後、静麗が久しぶりだが元気だったかと問うと、一諾は贔屓にして頂いている側室の要望の品が、この辺りでは中々手に入らない物であった為、少しの間皇都を離れていたという話であった。
そして昨日やっと手に入れた商品と共に、皇都へ帰ってきた所だという。
「先程、御側室様には商品を納入して参りました。今はその帰りに静麗様にご挨拶をと思いまして」
用事を済ませて直ぐに静麗の元へご機嫌伺いに来てくれた一諾に、静麗は自分の事を疎んで月長殿に来なかった訳では無かったのだと安心した。
例え友人として気安く接することは出来なくても、疎まれて避けられたのでなければ、それで満足しなければいけないだろう。
「静麗様はお変わりございませんか」
一諾は目を細めて優しい声で問いかけた。
静麗は皇帝陛下の事が頭をよぎったが、御用商人である一諾に言う話ではないと思い、首を横に振った。
しかし、直ぐに考え直して、一諾の顔を見た。
―――そうだ。せっかく一諾さんが来てくれたのだから、今お願いしてみよう
「一諾さん。相談があるのだけれど、…芽衣、貴女もこっちに来てくれる?」
静麗は後ろで控えていた芽衣も円卓の側に来るように呼び寄せた。
「一諾さん。実は使っていなかった応接間や、傷んでいた殿舎の修繕や補修を考えているの。特に、応接間は出来るだけ早く使える様に整えたいの。一諾さんには、応接間に置く卓や椅子、絨毯とか、調度品を注文したいのだけれど、お願いできるかしら」
静麗の言葉に一諾は少し驚いたような顔をしたが、直ぐに頷いた。
「勿論でございます。後程、応接間の間取り等を確認させて頂けますか」
「ええ。芽衣、後で一諾さんをご案内して、色々と説明をしてもらえる?」
事前に殿舎の修繕の事を相談されていた芽衣は直ぐに了承した。
静麗と同様に、芽衣も側室としての体面を少しでも良くする為にも、応接間は急ぎ整える必要があると考えていた。
こうして、芽衣と一諾を交えて色々な事を打ち合わせし、一諾は注文の品を用意する為に、芽衣は女官長に月長殿の修繕の許可を得るために、それぞれが慌ただしい日々を送ることになった。
しかし、思いがけない事に、月長殿の修繕には朝廷からの金子の補助が出る事となった。
確かに後宮内にある建物は、側室個人の物ではなく皇家の物なので、朝廷からの支援が出る事はある意味当たり前の事なのかもしれない。
いくら禄が増えたとはいえ、此れまで慎ましく暮らしてきて、貯えも無い静麗には朝廷からの申し入れは有り難かった。
この先、後宮内では何が起こるか分からない為、出来るだけ出費は避けたいと考えていた。
俸禄を渡された直後は、自分の矜持を金子に替えられた様に感じ、静麗は腹立たしく思っていた。
だが、此れからも後宮で生きていく為には、後ろ盾の無い平民の静麗では今までの禄の額では厳しかっただろう。
それを考えると、朝廷や皇帝陛下にどんな思惑があろうとも、感謝しなければいけないと静麗は自分の思いを改めた。
そうして、今まで使っていなかった応接間や、その他の部屋も綺麗に修繕と補修を終えることが出来た後、最初の客人となったのは 梁 春燕公主殿下であった。




