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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第七章

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五. 俸禄

 


 静麗ジンリーが皇帝陛下のお渡りをお受けして二日後の午後、月長殿に一人の使者が訪れた。



「静麗様。朝廷より使者様がお見えになっておられますが、お通ししてもよろしいでしょうか?」


 芽衣ヤーイーが少し眉を顰めながら告げた言葉に、静麗は驚いて芽衣を見詰めた。


「朝廷から使者が?……何かしら」


 静麗も芽衣と同じように眉を顰めた。

 しかし、使者を待たせる訳にもいかず、芽衣に頷いた。


「芽衣、使者をお通しして」

「はい、静麗様」


 静麗の返事を聞いた芽衣は、使者を迎える為に静かに月長殿の門戸へ向かった。


 芽衣が居間から退出すると、静麗は自分の装いを確認した。

 何時も着ている貴族の様な衣装は良いが、髪を結い上げてもいないし、高価な飾りなど一つも身に着けていない、まるで高級侍女の様な出で立ちだ。

 これではまた朝廷の高級官吏から嫌味を言われるかもしれないと、静麗は溜息を吐いた。



 静麗が住む月長殿に朝廷からの使者が訪れる事などほぼ無い。

 以前は静麗の側室としての俸禄を、朝廷の高級官吏が捧げ持って来ていたのだが、現在静麗の禄は芽衣が女官長から受け取っている。

 それに、平民である静麗には朝廷から使者が来るような用事は普段何も無いのだ。

 それなのに、今この時に使者が訪れたという事は、先日の皇帝陛下のお渡りが関係しているとしか思えない。

 一体何を言われるのかと、静麗は不安を覚えた。



 静麗は椅子に腰掛け、緊張したまま使者を待った。

 自分は側室としての役目を果たしたのだから、何も心配することは無いと、早まる鼓動を抑えようと大きく深呼吸をした。



 芽衣に先導されて居間へと入って来たのは、見たことの無い人物だった。

 まだ二十代後半に見える、とても若い官吏の男性だ。


 官吏は居間へと入ってくると、優雅に裾を捌いてその場に跪き、静麗へと丁寧に挨拶を述べた。

 その様子を見ていた静麗と芽衣は、おや、と眉を上げた。


 今までに月長殿を訪れた高級官吏達は、静麗に対して側室として接していても、平民であることを蔑んでいる様子が垣間見えたが、今目の前で跪いている男性にはそういったものを感じなかった。


 静麗は男性に立つように促した。

 官吏の男性は素早く立ち上がると芽衣に持参してきた小箱を手渡した。


「官吏様、此方は何でしょうか?」


 芽衣が静麗に代わり官吏に問いかけると、官吏の男性はにこやかに笑いかけた。


「其方はジィァン貴人様の俸禄で御座います」

「俸禄?…禄は既に女官長様より受け取っておりますが…?」


 芽衣が困惑した様に告げると、官吏の男性は頷いた。


「はい。しかし、此れよりは蒋貴人様の禄は私が月長殿まで届ける事となりました」


 そこまで芽衣に言うと、官吏の男性は静麗に向き直った。


「蒋貴人様。私は官吏のスゥーと申します。どうぞお見知りおき下さいませ」


 そう言うと丁寧に頭を下げた。

 静麗は戸惑いながらも頷き、頭を上げるように言った。


「面を上げて、楽にして下さい」


 その間に芽衣が静麗の前に有る円卓に俸禄を収めた小箱を置き、結ばれていた綺麗な紐を解く。

 そして静麗に向けて箱を開けた。


 中を見た静麗と芽衣は驚きに目を見張った。

 静麗が此れまで朝廷から奉じられた禄は、高級侍女と大差ない程少ないものだった。

 しかし、今見ている箱の中には、まさしく後宮の側室が奉じられるに相応しい額の金子や、宝玉が収められていた。


「官吏様。これは、…本当に私に対する禄で間違いないのですか?」


 静麗はこれ程の大金を受け取っても良いのか、不安になり蘇に尋ねた。


「蒋貴人様。私の事はどうぞ蘇とお呼びください。敬称など不要で御座います。そして、其方の禄は間違いなく蒋貴人様への禄で御座います」


 蘇の返事を聞いた静麗は更に困惑を深めたが、唐突に思い当たった。



 ―――今、禄が増える意味など、考えるまでも無かったわ。これは皇帝陛下のお渡りをお受けしたから、その褒美として禄が増えたのだわ



 この禄の額が、きっと他の貴人位の側室達が今まで奉じられてきた額なのだろう。

 静麗は静かに大量の金子と宝玉が収められた小箱を見詰めた。



 ―――これで、私は本当の意味で、皇帝陛下の大勢いる側室の一人となったということね



 静麗は目を細めて禄を見た。



 ―――伽をした見返りが、金子などと……



 禄から目を逸らした静麗は官吏に向けて笑顔を浮かべた。



「この様な遠い殿舎まで態々ありがとうございます。謹んで頂戴致します」

「はっ。勿体ないお言葉。では、次回よりも私が禄を持って参りますので、どうぞよろしくお願い致します」


 蘇はその場でもう一度平伏すると、静麗に退出の挨拶を述べて月長殿から去って行った。



 一人居間へと残った静麗は、禄を円卓の上から叩き落としたい衝動に駆られたが、大きく息を吐くことでそれを抑え、小箱の蓋を閉めると居間から裏庭へと降り立った。


 どの様な意味が込められていようとも、金子は金子だ。

 故郷で両親が真面目に働く姿を間近で見て、手伝ってきた静麗には、朝廷の人間以上にその有難味が分かっている。

 国庫から頂いた大切な禄を手荒に扱うことなど静麗には出来なかった。




 空は良く晴れて、春の心地よい日差しの中、爽やかな風が吹いている。

 その風の中に懐かしい花の香が混ざっていた様な気がして静麗は空を見上げた。




 ―――浩然。…朝廷が、貴方が私をどう思っているのかは、良く分かったわ。この禄は、貴方なりに誠意を示したつもりかもしれないけど、私はただ貴方の口から真実を聞きたかっただけなのよ……?



 静麗の切なる思いは皇帝陛下に届くことは無かった。

 静麗は芽衣が戻ってきて声を掛けるまで、静かに空を見つめ続けた。




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