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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第一章
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六. 不安

 


 皇帝陛下崩御の訃報を浩然ハオランの口から聞いた静麗ジンリーは、心配そうに夫を見つめた。


 一度もお会いすることなど無かったとはいえ、血の繋がった父親だ。

 平民として生まれた以上、父と呼ぶことは許されないが、それでも血の繋がりは否定出来ない。



 ―――御義母様に続いて、父親である皇帝陛下までもこんなに早くに亡くして、浩然は今何を想っているんだろう



 静麗は浩然の心の内を想い、切ない遣り切れない気持ちを抱いた。

 浩然は幾分顔色が悪いが、毅然と前を向き、祖父に応える。


「確かに、俺は彼の方あのかたの血を引いてはおりますが、この地で平民として育ってきました。それが、母の望みでもあり、今は俺の望みでもあります」


 祖父はそれを聞き、ほっとした表情で頷いた。


「だったら、何の問題も無いだろう。今日来た官吏が何を言ったとしても、我々には関係の無い話だ」

「いいえ、御爺様。我々だけに関する話なら、何を言われても俺は動くつもりはありません。ですが、寧波ニンブォの、しいてはこの雅安ヤーアンの地の平安に関わる事なら、俺は自分の矜持も曲げるつもりです」

「どういうことだ。官吏は何と言ってきたのだ」


 祖父は浩然の言葉の真意を問う。

 浩然は皇帝の血を受け継いでいるが故に、要らぬ諍いに巻き込まれる可能性がある。

 出来るだけ皇都や、朝廷からは遠ざけておきたいと祖父母は考えていた。


「皇都の官吏であるイェン様の話では、今、皇都や朝廷は混乱の中にあるそうです。皇帝陛下の御息女で、ご無事だった公主殿下達は順調に回復に向かわれておられるそうですが、……唯一、生き残られた御子息である皇子殿下は未だに体調が思わしくない為、政務に携わることがあまり出来ていない様なのです」


 そこまで言うと浩然は溜息を吐いた。


「寧波では、女性皇族は政務に関わることが出来ない為、皇帝陛下の代わりを務められるのは、体調が未だ悪い皇子殿下だけなのです。ただ、先ほども言ったように、朝廷は疫病の影響もあり混乱の最中です。日々の業務も大変なことになっているそうです。そうであるのに、決裁出来る唯一の男性皇族が、その役割を十分に果たせていない」


 祖父はそこまで聞くと浩然と同じように、いやそれ以上に深く溜息を吐いた。


「それは、……国が荒れるな」

「はい。閻様の話では、疫病で皇都の民達も大勢亡くなり、その上、皇帝陛下、皇太子殿下の事が重なり浮足立っている所へ、今まで静観していた周辺の三大国が、この機に乗じて何やら怪しい動きを見せているそうなのです」

「……港か」

「多分、そうでしょう。かの国々は昔から港を欲していたと聞きました」


 祖父は浩然の顔を見て、確認を取る。


「閻殿という官吏は、お前に皇都へ赴き、皇子殿下の代わりをしろと仰ったのか」

「はい。こうしている間にも政務は滞り、国は機能を果たしていないと。皇子殿下の体調が良くなるまで、皇子殿下をお助けして欲しい、それが出来るのは先帝の血を受け継ぐ男子である俺だけだ、というお話でした」


 祖父は目を瞑り、黙考した。

 静麗は二人のやり取りをただ、黙って聞いていた。



 ―――今朝までは浩然との生活に幸せを感じ、平和を享受していたのに……同じ屋敷の中で今は国の先行きを不安に思うことになるなんて。しかも、それが浩然に深く関わってくるなんて…



 静麗は不安を押し込めるように膝の上で重ねていた手をぎゅっと握りしめた。


「―――戻って来られるのか」


 祖父の苦い声が聞こえた。


「皇都へ行き、皇子殿下の体調が良くなれば、お前は雅安へ帰ってこられるのだな」

「はい。閻様はそう言っておりました。皇子殿下の体調が良くなり、政務をこなせるようになれば、俺はここに戻れると」

「しかし浩然、お前は皇帝陛下の血を受け継いでいようと、今は平民だ。そんな平民が皇子殿下の手助けなど出来るのか」

「っ、それは……」


 言い淀む浩然に静麗や祖父は嫌な予感がした。


「閻様は、一時的にでも皇族の籍に入って欲しいと……」


 それを聞いた祖父は渋い顔をした。

 娘が皇族と関わることを拒否して、この田舎町で生み育てた浩然を、今更皇族籍に入れるなど、例えそれが一時的なものと言われても、良い気はしない。


 暫し、浩然と祖父はお互いの顔を見つめあった。


「御爺様、俺は雅安で生まれ育った、羅家の浩然です。皇都に赴いても、使命を果たしたら必ずここに戻ってきます。だから、—――行かせて下さい」


 浩然は祖父に対してはっきりと口に出し、深く頭を下げた。


「俺は雅安を、寧波という国を愛しています。港を巡って昔の様に他国と争う様なことになって欲しくないです。その為に必要というのなら、俺は皇都へ行き、皇族籍に一時入ることも構いません」

「浩然、……お前の気持ちは分かった。わしも一度その閻殿という官吏と会って話してみよう」

「はい、御爺様。閻様は明日も昼過ぎに訪れると言っておりました」

「うむ。わかった」


 祖父は浩然と話を終えると、心配そうな様子で窺っていた静麗に穏やかな笑顔を浮かべた。


「静麗。今日はもう遅い。部屋に下がりなさい。そして、浩然と良く話をしなさい。浩然の気持ちは先ほど聞いた通りだが、お前の気持ちもきちんと浩然に伝えなさい」

「はい、御爺様」


 祖父の労わりのある言葉に感謝し、静麗は頭を下げた。




 ◇◇◇




「浩然、……皇都へ行くの?」


 二人で部屋に戻り、寝衣に着替え、寝台に座った静麗は静かに浩然に尋ねた。


「静麗、……ごめん。勝手に決めて。……でも、皇都へ行かせて欲しい。今、国が大変だと知って、それを自分が少しでも手助け出来ると分かっているのに、知らない振りはしたくないんだ。一時だけ、皇族の立場を賜ることになるけど、俺達の関係は何も変わらない。そう閻様は言っていたから、安心して欲しい」


 静麗は夫の言葉に、優しく誠実な浩然らしいと感じた。

 自分の意志を曲げてでも、他人を思いやることが出来る、そんな浩然のことが好きになったのだから。


 本当は不安で一杯だ。

 もし、浩然が皇都へ行くことに了承をしたら、自分はどうなるのか。

 この雅安で、浩然が帰ってくるまで一人待つことになるのか。

 静麗は揺れる瞳で浩然を見上げて聞いた。


「浩然、私は……どうしたらいい?」

「……静麗。出来れば、……俺と一緒に皇都へ行って欲しい」



 ―――良かった。一人で残ってくれと言われたらどうしようかと思った



 静麗はほっと息を吐いた。


「わかった。不安はあるけど、私は浩然を信じてるから、どこにでも一緒にいくわ」

「静麗、……ありがとう、静麗」


 浩然は静麗の返事に、安心した様に肩の力を抜いた。

 閻と対面してから、ずっと張り詰めていた浩然の雰囲気が、柔らかく解れてゆく。







「静麗、その、いいか?」


 肩を抱き寄せ、おずおずと聞いてくる浩然に、静麗は身体を預けて寄り添った。


「うん。いいよ、浩然」

「静麗、愛してるよ」


 浩然は静麗の肩を押し、その体を寝台へ横たわらせた。

 静麗は一抹の不安を抱えたまま浩然に応え、月明かりも届かない闇の中で抱き締め合った。





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