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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第七章

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三. 夜伽

 


 一年余りの月日を経て、やっと間近で皇帝陛下と会うことが叶った静麗ジンリーだが、最早皇帝陛下に対しては何も言う積りも、聞く気も起きなかった。

 ただその腕を引かれるまま、奥にある静麗の寝室へと皇帝陛下と共に足を踏み入れる。



 寝室には予め燭台が一つ灯されており、その淡い光によって中の様子がうっすらと見えた。

 皇帝陛下はぐるりと寝室の中を見回して、大国の後宮内に有る側室の寝室とは思えない程質素な寝室や寝台に眉を顰めた。



 ―――この寝室や寝台が気に入らないというのなら、今からでも他の側室の元へ行ったらいいわ



 麗しい皇帝陛下の顔に不満が滲んでいるのを見て取ると、静麗は心の中で呟いた。

 しかし皇帝陛下は何も言う事はせず、また立ち去る事もなかった。



 皇帝陛下は寝室に入り、部屋の様子を一通り見た後、掴んでいた静麗の腕を離して無言のまま豪奢な上衣を自ら脱ぎだした。

 そして、平民ではとても手にすることなど出来ない高級な衣装を無造作に寝台の横にある小さな円卓の上に放り投げた。

 ばさり、という音に静麗は反応し、其方を見る。

 絹で出来た最上の衣に金糸で刺繍が施されている素晴らしい衣装を、ぞんざいに扱う皇帝陛下に、以前の浩然との違いを感じ、静麗の心がまた沈む。


 皇帝陛下のお召し替えは侍女や侍従が手伝うものだが、今ここに居るのは静麗だけだ。

 侍女達が居ない寝室では、側室が皇帝陛下の脱衣を手伝うべきなのだろうが、静麗はぼんやりと皇帝陛下が高価な衣装を乱暴に脱ぎ棄てていくのを見ていた。


 皇帝陛下の豪華な衣装に気を取られていた静麗は、はっとして皇帝陛下を振り返った。

 暗闇の中、燭台の小さな灯にぼんやりと浮かび上がった寝衣姿の皇帝陛下の輪郭は、静麗の知っている夫のものとは大きく異なった。


 皇帝陛下と成った夫には近寄ることも出来なかった為、間近で見るのは久しぶりだ。

 一年余り前の夫の身体はまだどこか少年らしさを残していた。

 だが、今目の前に居る皇帝陛下の身体は、完璧な美しい青年の身体へと変貌を遂げていた。

 肩幅も以前より広がり、胸の厚みも増しているように見える。

 静麗が会うことが出来なかったこの一年で、夫は大人の男性となっていた。

 だが以前の夫との違いを感じとる度に、静麗の心は閉ざされていく。


 皇帝陛下はそんな静麗に気付かないのか、時間が惜しいとばかりに静麗の手を引くとその逞しい胸にきつく抱き締めてきた。

 静麗はその突然の抱擁に、強張る身体のままで皇帝陛下から顔を背ける為に横を向くと、固く目を閉じた。



 ―――此処に居るのは、私の愛する夫の浩然じゃない。この大国の至高の存在である天子様だ。……あぁ、でも、嫌だ。……他の人に触ったその手で、私に触れないで……



 静麗は叫びだしたくなる口を閉じる為に、ぎゅっと唇を噛みしめた。



 ―――私が辛い思いをしていたこの一年。浩然は後宮の女性達とどれ程の逢瀬を重ねて来たの? この後宮に住む全ての側室達と閨を共にしてきたの?



 静麗と夫は婚姻をしてから僅か半月程の期間しか一緒に暮らせなかった。

 その間に体を交わしたのはほんの数回しか無い。

 だが、今この皇帝陛下は……


 以前聞いた彩雅ツァィヤーの言葉が脳裏を過ぎる。

 静麗は涙を耐え、きつく目を閉じて皇帝陛下の顔を見ないようにした。



 静麗ジンリーが皇帝陛下を拒絶したくなる気持ちを必死で抑えている間、皇帝陛下は何かを確かめる様に静麗を固く抱き締めていた。

 大きく暖かな手で静麗の髪を、頬を優しく撫でている。


 その優しい抱擁に、静麗はまるで自分が愛されている様な錯覚を受け、そんな風に感じた事で、より一層惨めになった。



 ―――私の元に来たのは、きっと皇后娘娘や高位の側室達が忙しいからだ。美しい妻達と過ごす時間が減って、やっと私の事を思い出したのだわ。でなければ、一年も経ってからやって来るなんておかしいもの



 長い期間後宮に捨て置かれた静麗は、どれ程優しくされたとしても心に受けた衝撃や痛手を忘れることは出来ない。


 それに、静麗に対して今行っている様に、皇后娘娘や側室達の髪も優しく撫でて愛おしんできたのではないのか。

 一体どれだけの女性をその腕に抱いて来たのか。

 そこまで考えて静麗は自嘲の笑みを浮かべた。

 未だに嫉妬の心を持つ自分が、その未練が悔しく憐れに想った。


 そんな自分の考えに沈んでいた静麗の肩を押して、身体を離した皇帝陛下は、静麗の顔を覗き込んだ。

 薄暗い寝室の中で初めて正面から静麗と皇帝陛下の視線が交わった。



 皇帝陛下の瞳の中には、静麗には知ることが出来なかった感情が渦巻いている様に感じ、静麗ははっとして皇帝陛下の顔をもっと良く見ようと身を乗り出した。

 しかし皇帝陛下はその視線を躱すと、静麗の肩から零れた美しい黒髪を一房手に取り、その端へと口を付けた。

 静麗が驚きに身を固くすると、皇帝陛下は手の中から美しい黒髪をさらさらと流れ落とした。

 そして静麗に視線を戻すと形の良い口を開き、何かを言おうとしたが、言葉を発することなくその口は閉ざされた。


 二人は暫しそのまま見つめ合った。



 しかし皇帝陛下は目を伏せることでその視線を外し、静麗の腕を取ると皇帝陛下の側室の寝台とは思えないほど古びたそれに乗り上げた。







 ◇◇◇







 静麗が一年ぶりに会う皇帝陛下に寝台へと沈められ伽を果たした直後、寝室の戸がことりと、一度叩かれた。

 皇帝陛下ははっとして、戸に視線を向けた。


「……陛下、時間が超過しております。これ以上は……」


 静麗が聞いた事の無い声が寝室の外から掛けられた。

 

 それを聞いた皇帝陛下は一度下を向いた後、毅然と顔を上げた。

 そこには先程まで静麗に寵を与えていた、滴る様な色香のある閨での顔など何処にも無く、冷然とした皇帝陛下としての威厳を湛えた顔があった。

 

 寝台から下りた皇帝陛下は脱ぎ捨ててあった豪華な衣装を無言のまま身に着けていく。

 静麗はそんな皇帝陛下の横顔をじっと見ていた。



 皇帝陛下は暫くその場で前を見据えていたが、徐に口を開いた。



「……ゆっくり、休め……」



 皇帝陛下はそう言い残すと、戸を開けて振り返ることなく一人寝室の外へと出て行った。





 薄暗い寝台の中で、身を起こした静麗の瞳からは、涙が一滴ひとしずく流れ落ち、敷布に小さな染みを作った。







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