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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第六章

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十. 歳余

 


 静麗ジンリーが皇都へ着き、後宮に入れられてから一年が過ぎた。



 つい先日には皇帝陛下即位と、皇后娘娘との御成婚一年を迎えた。

 その日、後宮内はいつも以上に華やかに飾り付けられ、庭園や殿舎の彼方此方で小さな催しが幾つも行われていた。

 皇帝陛下は外朝で朝議や即位一年を祝う行事を済ませると、午後には後宮を訪れ、皇后娘娘や多くの側室達と過ごすことになっていた。

 静麗も側室として出席せねばならず、久しぶりに月長殿から出て、銀星門の前にある荘厳な皇后娘娘の宮へと訪れていた。

 静麗は何時もの様に、皇帝陛下達からは一番遠い末席に案内されると、そこから遥か遠くに座る皇帝陛下と皇后娘娘の姿を仰ぎ見た。



 皇帝陛下と皇后娘娘が並んで座っているその横では、乳母に抱かれた小さな皇太子殿下が気持ちよさそうに眠っていた。

 美しい面立ちの皇帝陛下と絶世の美女である皇后娘娘の御子である皇太子殿下は、流石二人の御子と思わせる程、とても整った顔立ちの愛らしい嬰児であった。


 静麗の席からは、それらの様子は全く見えないが、周りの側室達が喋っている話は聞こえてくるため、直接見ずとも察することは出来た。

 また、皇帝陛下の側近くに座ることが許された高位の側室達数人の横にも、皇太子殿下と同様に乳母に抱かれた皇子殿下や公主殿下の姿も見えた。




 静麗は静かに目を閉じて深呼吸を繰り返した。

 表面上は落ち着いている様に見える静麗だが、その胸の中で様々な感情が吹き荒れていた。



 悲しい、苦しい、恋しい、寂しい、憎い―――



 それらの感情を全て吐き出す様に大きく息を吐くと、静麗は静かに目を開け、そっと周りを見渡した。


 色とりどりの華やかな衣装や装飾品を身に着けた、美しく身分高い側室達の姿が目に映る。

 荘厳な皇后娘娘の宮で行われる宴は、百花繚乱の幻想的と言っても良い光景だ。

 その中央で泰然と座るのは、全ての頂点に立つ天子様とその御正妻。



 後宮が華やかなだけの場所では無いという事は、もう分かっている。

 側室達が、皇帝陛下や皇后娘娘に即位や御成婚一年を寿ぎながらも、その水面下では皇帝陛下の寵を競い合い、笑顔を浮かべながら他の側室達を蹴落とそうとしている事も、今では知っている。




 ―――ここが、この醜く美しい世界が私の生きる場所……




 後宮の最奥にある寂れた殿舎に引きこもり、滅多に外に出て来ることが無い静麗には、側室達は勿論のことだが、侍女や女官達さえ注意を向けることは無い。

 まるでその場に静麗は存在していないかのようだった。


 静麗は、様々な感情が渦巻く、まるで天上の世界の様な美しい後宮の姿を、凪いだ瞳で末席から静かに見つめ続けた。








 ◇◇◇





「静麗様。私、少し月長殿から離れますが、宜しいでしょうか?」


 即位一年を祝った華やかな日から数日後、居間で寛いでいた静麗の元へ芽衣がやって来てそう言った。

 下働きが偶に訪れる以外は、基本的に月長殿には静麗と芽衣の二人が暮らしている。

 その為、芽衣が用事で月長殿から出かけることは頻繁にあり、そんな時は静麗は一人で月長殿で過ごしていた。


「ええ。大丈夫よ。何処に行くの?」

「実家の妹がもうすぐ誕生日なので、祝いの品を贈ろうかと思いまして、その配送の手続きに」

「あぁ、以前言っていた二つ下の妹さんね。分かったわ、私の事は気にせずにゆっくりして来て」


 芽衣は頭を下げると居間から退出していった。

 そんな芽衣を見送った静麗はふぅ、と息を吐いた。


「今日は何をしようかしら……」


 時間だけはたっぷりとある静麗は、一人になると考える様に首を傾げた。

 ここ数か月は、芽衣に皇宮や後宮の事を色々と教わってきた。

 だが、一人ではそれも出来ない。


 周りに他の宮も無い月長殿は、芽衣が居なくなると途端に静かになる。

 暫く一人で椅子に座っていた静麗だが、その脳裏には先日見た光景が思い出されていた。


 先日、皇后娘娘や側室達が生んだ皇帝陛下の御子を静麗は遠く離れた末席から見ていた。

 皇帝陛下の周りには沢山の人が溢れ返っていた。

 身分高く美しい妻達に、可愛い嬰児達。

 皇帝陛下に仕える多くの女官や近衛武官達………



 静まり返った居間に一人で居た静麗は、寂しさを感じて椅子から立ち上がった。



 ―――じっとしていると、碌な考えが浮かんでこないわ。かといって宮の外へは行きたくないし……



 椅子から立ち上がり、窓の外を眺めていると、遠くから誰かの声が聞こえてきた。


「?……誰かしら……」


 芽衣が居ない今、対応できるのは静麗しか居ない。

 静麗は居間から出て、月長殿の門戸へと向かった。











ディン殿? おられませんか! ……留守か……」



 静麗が門から顔を出して表を覗くと、此方に背を向けて立ち去ろうとする リィ 一諾イーヌオの後ろ姿が見えた。


「一諾さん!」


 静麗は思わず大きな声を出して、一諾を引き止めた。

 ぱっと後ろを振り返り、静麗の姿を認めた一諾は、驚きに目を見張った。


「静麗様? 丁殿はどうされたのですか。御側室である貴女が自ら人を出迎えるなど」

「芽衣は今用事があって、出掛けているの。だから、今は私一人なのよ」


 静麗は、静かな月長殿に一人で居たくないと思っていた所に訪れた一諾を歓迎し、笑顔を浮かべた。

 それに対して一諾は複雑な表情を浮かべた。


「静麗様。……側室である貴女が、殿舎にたったお一人で居られるなど……」

「しょうがないわ。だって、此処には私と芽衣しか居ないんですもの」


 静麗は肩を竦めて苦笑を浮かべると、何でもなさそうに、そう言い放った。

 一諾はそんな強がりとも見える静麗を痛まし気に見て、何かを言いかけたが、そのまま口を閉じ、その口元を引き締めた。


 そして静麗の瞳を見詰めたまま、ゆっくりと足を折り片膝を突くと、静麗が肩から掛けていた薄い領巾を手に取り、その端を己の額に押し戴いた。

 そして徐に顔を上げると、真摯な瞳で静麗を見上げてきた。


 静麗は一諾の突然の行動に驚き、大きく目を見開くと目の前に跪いている男性を見つめた。



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