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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第六章

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九. 追懐

 


 リィ 一諾イーヌオが月長殿を訪れた翌日、リィァン 春燕チュンイェン公主殿下が静麗ジンリーの元を訪ねてきた。




「静麗お姉様。お元気? この辺りは静かでいいわね」


 侍女二人を伴って居間に入って来た春燕は嬉しそうに静麗に笑いかけた。

 明るい春燕の笑顔を見た静麗の顔にも同じように笑みが浮かぶ。


「お久しぶりです。公主殿下。私はご覧の様に元気ですよ」


 そう応えた静麗の顔を、正面からじっと見た春燕は首を横に少し傾げたが、頷いた。


 皇帝陛下の御子が相次いで生まれた為、春燕は皇族として、皇帝陛下へと祝いの言葉や贈り物を届ける為に慌ただしい日々を送っており、静麗の元へは久しぶりの訪れとなっていた。

 静麗が皇帝陛下の元夫人であることを知っている春燕は、皇帝陛下の御子が生まれたことに、静麗が傷つき塞ぎ込んでいないかと心配していたのだが、表面上は落ち着いて見えることにひとまず安堵していた。



「静麗お姉様がお元気なら、其れで良いわ。今日はこの間の裁縫の続きを教えて頂きたいの」

「はい、公主殿下。では、どうぞ此方の席へ。芽衣、侍女の方達にも椅子をお出しして差し上げて」


 春燕を自分の前の椅子に座らせた静麗は、芽衣に指示を出すと、裁縫道具を収めた箱を取り出して円卓の上に置いた。

 春燕の豪華な漆塗りの裁縫道具入れも、公主殿下の筆頭侍女が恭しく円卓に置くと、二人はそれぞれが道具を取り出し円卓の上に並べ始めた。



 静麗は前回春燕に教えていた続きを説明しながら、この穏やかな一時を大切に愛おしんでいた。

 半刻程の時間を、裁縫をして過ごした二人は、休憩をする為に月長殿の裏庭へと降り立った。

 長時間椅子に座って裁縫をしていた為に固まった体を解す様に、静麗は両手を上に伸ばした。

 それを見ていた春燕も、ちらりと侍女達の方を見た後、静麗を真似て両手をう~と大きく上へと伸ばした。

 月長殿の中で、静麗を前にした時の春燕は公主殿下では無く、唯の成人前の少女となることが出来るようになっていた。

 静麗はそんな寛いだ表情の春燕を、温かな目で見ると微笑んだ。


 季節は緩やかに移り、少し肌寒くなってきてはいるが、二人は池の畔にある長椅子に並んで腰かけた。

 春燕の侍女や芽衣は少し離れた場所で控えている。


 静麗の殿舎に赴くときには、派手な衣装や装飾品を身に着けていない春燕は、少し薄着に見えて静麗は心配して声を掛けた。


「公主殿下。随分寒くなって参りましたが、大丈夫でしょうか。私の物で良ければ、何か羽織るものを用意いたしますが」

「いいえ、平気よ。私よりも静麗お姉様の方がお辛いのではないの? お姉様の故郷は冬でも此方よりも随分と暖かいのでしょう?」

「ええ、そうですわね。雅安ヤーアンは温暖な地域ですから。…実は、私は雪というものを見たことがないのです」


 静麗はこっそりと内緒話の様に春燕の耳元で告げた。

 春燕は目をぱちりと瞬かせた。


「そうなの? では、皇都では偶に雪が降るから、今年は初めて雪を見ることになるかもしれないわね」


 春燕がにこりと微笑みながら告げるのに、笑みを返しながら静麗は頷いた。


「はい。そうですね。今から楽しみにしてみます」


 静麗は辛いだけのこの後宮の中でも、少し意識を変えれば、何か楽しみを見つけられるかもしれないと考え、微笑んだ。

 春燕もそんな静麗に微笑み返したが、暫くすると暗く沈んだ表情になった。


「公主殿下? どうかされましたか」


 春燕は少し後ろの侍女達を気にした後、小さな声で静麗に呟いた。


「……皇都から出られたお兄様は、とても寒い地方の離宮におられるの。……お身体は、大丈夫なのかしら……」


 春燕の憂いを帯びた顔を見た静麗は、何と声を掛ければよいのか逡巡した。



 浩然ハオランが皇帝陛下と成る前に、皇都から遠く離れた離宮へと静養に出された皇子殿下。

 皇子殿下が御自分から皇都を離れるとは考えられないが、朝廷に皇族を皇都から追い出すほどの力があるものなのだろうかと静麗は不安を抱いた。

 もし、そうであるならば、朝廷がどういう意図で皇子殿下を離宮へとやったのかは、平民の静麗には考えが及ばないが、春燕にとっては、血の繋がった唯一の同腹の兄上だ。

 どれ程寂しい思いをしているのかと、静麗の胸は痛んだ。




「……皇帝陛下の事をお恨みですか?」


 静麗は複雑な思いを抱えて、以前からずっと気になっていても聞けなかった事を春燕に尋ねた。

 春燕は暫く池を眺めた後、小さく頷き呟いた。


「陛下の事は今でも嫌いよ。でも、あれから一年近く経ったわ。……元平民の陛下でも、とても熱心にまつりごとを学ばれ、皇都の復興にも真摯に取り組んでいると聞いているし、その成果も出ているらしいわ。……でも、私のお兄様が皇帝となっていたら、……もっと早く、もっと上手く出来ていた筈だわ!」

「公主殿下……」


 春燕は長椅子から立ち上がると、池の畔に立った。


「…お兄様が、何故皇帝と成れなかったのかは聞いたわ。そして、そんなお兄様を皇都から出したのは、皇帝陛下では無いとわかっている。でも、……でも、田舎町で皇帝陛下さえ見つからなかったら、お兄様は例え瑕瑾があったとしても、皇帝として今も皇都で暮らしていたかもしれないのに!!」


 池の畔に立つ小さな背の春燕は、その手を握り締めて俯いた。

 春燕の押し殺した小さな声を聞いた静麗は、椅子から静かに立ち上がると、そっとその隣に寄り添い、春燕の震える小さな肩に手を置き、背を優しく撫でた。




 ―――本当ですね、公主殿下。……もし、そうであれば、私も公主殿下とこうして今、寄り添って隣に立つこともなかったでしょうし、今も雅安で唯の平民の静麗として過ごしていたのでしょうね……




 静麗は、訪れる事の無かった、違う将来を思い描いて静かに目を閉じた。





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