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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第六章

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四. 妬心

 


 先日皇帝陛下のお渡りをお受けしたと告白した彩雅ツァィヤーは、嬉しそうに、誰かに聞いて欲しくて仕方ないと言った様に喋りだした。


「陛下は高位の側室達の元へは参られるのに、貴人位の側室の元へは殆んど来られないのだけれど」


 うふふふ、と含み笑う彩雅。

 静麗ジンリーはそんな彩雅の顔を固まったように凝視した。


二月ふたつき前に後宮に入宮した時に、拝謁はしていたのだけれど、その時は他の貴人達と一緒で、しかも陛下は薄布の向こうに居られたから、先日のお渡りで初めて御尊顔を近くで拝見したわ。とても麗しいお顔をされていて、見ているだけで息が止まりそうだったわ」


 その時の事を思い出したのか、彩雅はほぅ、と溜息を吐いた。


「私、閨の教えは受けていたけど、勿論初めてだったからとても緊張していたのだけれど、陛下は私の生家の事や、領地の事なども気にして下さり、色々な話をなされて私の緊張を解してくださったの。―――夢のような一時だったわ」


 興奮した様に喋る彩雅は、静麗の顔が青ざめている事に気が付かない。




 ―――嫌だ。………聞きたくない。……止めて、言わないで。……浩然ハオランが他の女性達と閨を共にしている事ぐらい知っているわ。……でも、そんな話聞きたくない!!



 耳を塞いでその場から逃げ出したいが、身体は金縛りに会った様に動かない。

 そうしている間にも彩雅は喋り続ける


「確かに、初めはとても怖くて、もう嫌だと思ったのだけれど。……でも、陛下はとてもお優しくて……」


 夢見るように語っていた彩雅だが、そこで静麗の顔が真っ青になっている事に気が付いた。


「まぁ、どうなさったの? 蒋貴人。顔色が悪いわ。……あぁ、もしかして、私の話を聞いて夜伽が怖くなってしまったのかしら? たしか貴女はまだお渡りをお受けしていないのよね」


 彩雅は納得した様に頷くと、静麗に優しく語り掛けた。


「大丈夫ですわ、蒋貴人。陛下はとてもお優しかったですし、閨での事にもとても巧みでいらしたと思うわ。何も怖いことなどないですよ。全て陛下にお任せしておけば、とても幸せな夜を過ごせますわ」


 彩雅は皇帝陛下のお渡りをお受けし、名ばかりでは無く、真実の妻となった自信に満ち溢れ、未だにお渡りの無い静麗を励ました。



 彩雅の話す言葉達が、静麗の頭の中で意味を解さずにぐるぐると回っていた。




 ―――閨が巧み? 幸せな夜? 何? 誰の話をしているの? 皇帝陛下………?



 幼い頃に母に強請って読んでもらったおとぎ話の皇帝陛下、天子様。

 後宮を抱える天子様が閨に巧みなのは、当然の事だ。






 静麗の脳裏に婚儀の夜の光景が浮かぶ。


 二人で見上げた美しい満月。

 その月の光が差し込む寝台で迎えた二人の初夜。


 出来るだけ優しくするつもりだけど、俺も初めてだからと自信なさそうに、情けない顔をしていた浩然。

 ぎこちない愛撫。

 でも、精一杯の愛情で静麗を包んでくれた。

 二人で幸せを分かち合った、あの夜。

 静麗と浩然の、二人だけの大切な、大切な思い出。

 それが―――薄氷に罅が入り、一気に砕け散るかのように、粉々になっていく気がした。





 ―――何も持っていない私の、唯一の大切な美しい思い出さえも、後宮ここは奪ってゆくの―――?







 ◇◇◇





 静麗は一人寝室にある椅子に座り、虚空をただ見つめていた。

 月長殿に戻り、寝室に入る前に芽衣が静麗に何かを言っていたが、なんと返事したのか覚えていない。

 それに彩雅とどのようにして別れ、どうやって寝室まで戻ってきたのかもよく覚えていない。



 心がざわめき落ち着かず、静麗は椅子から立ち上がったり、座ったりを繰り返していた。

 狭い寝室の中を歩き、椅子の背に手を添えて立ち止まる。



 ―――落ち着いて静麗。皇帝陛下が……浩然が後宮で他の女性達と閨を共にしてきている事は、嫌という程知っていた筈でしょう



 椅子の背を握る手にきゅっと力が入る。



 ―――でも、直接見た訳でも聞いた訳でもなかったから、……分かっていても、直接聞くことがこんなにも辛いだなんて。しかも、それを葉貴人の口から聞くことになるだなんて………



 彩雅と縁を結んだ時から、何時かは辛い事があるかもしれないと漠然とは考えていたが、静麗が想像していた以上にそれは早く訪れ、また想像以上の痛手を心に受けた。



 ―――こんな辛い思いをする事になるのなら、やはり側室である葉貴人とは縁を結ぶべきでは無かったの……?



 後宮内で知りあいも少なく、人恋しさのあまり側室である彩雅と縁を結んでしまったが、静麗にはまだ覚悟が足りていなかった。


 側室と縁を結ぶという事は、いずれその側室が寵をお受けし、皇帝陛下の御子を授かり、その御子を腕に抱く姿を間近で見るという事だったのだ。

 其れどころか、自分の子を抱いた女性に寄り添う、皇帝陛下の姿を見ることになるかもしれない。



 静麗は力なくその場に座り込むと、両手で顔を覆った。





 ―――嫌だ。…嫌だ。……嫌だ浩然っ! 他の人に触らないで! 他の人を好きになんてならないで!!! 私だけだって言ってくれたじゃない。どうして、こんな酷い仕打ちを私にし続けるの―――……




 皇帝陛下に会うことも叶わず、辛い現実を立て続けに見せつけられた静麗は、灯りの無い薄暗い寝室の中で、後宮で生きる為に心の奥底に沈めていた想いが溢れ出るのを止める事が出来なかった。




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