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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第六章

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二. 衝撃

 


 皇后娘娘の御前だという侍女の言葉に、静麗ジンリーは拝跪し地面につけた自分の両手が細かく震えている事に気付いた。


 後宮の年中行事や宴等で、遥か遠くに座る皇后娘娘の姿を垣間見たことは何度もあるが、こんな側近くに行ったことは勿論無い。

 この大国を統べる皇帝陛下のことは、長年共に過ごして来た幼馴染でもあり、夫であった為にそれ程恐れ敬う気持ちも持てなかったが、皇后娘娘となると話は別だ。

 生粋の貴族の、その中でも特に身分の高い姫君である皇后娘娘は、田舎町の平民であった静麗から見れば、おとぎ話の住人の様に現実味の無い、雲の上の存在だ。

 そんな人物が直ぐ傍まで来ている。

 静麗は激しくなる鼓動を抑えようと、拝跪したまま何度も大きく息を吐いた。


 そうして静麗が落ち着こうと努力している間に、さわさわと衣擦れの音が近づき、侍女達が道の端によると中央を開け始めた。

 その開いた道の真ん中を通って、一人の女性が歩いてくる。

 その両脇には武官が二人ぴたりと付き従っている。


 拝跪した静麗や側室達の前まで歩いて来た女性の沓が、静麗の目の端に映った。

 煌びやかな玉と金糸銀糸で刺繍が施された、見たことが無い程豪華で美しい沓だ。


 という事は、この沓を履いている人物は、……自分達の前に立っているこの人物は、―――皇后娘娘という事だろうか?


 静麗はごくりと唾を飲み込んで、固まった様に沓を凝視し続けた。





「面を上げなさい」


 澄んだ涼やかな声が静麗達に掛けられた。

 その初めて聞いた皇后娘娘の美しい声に、静麗や直ぐ隣で同じように拝跪していた側室達はびくりと肩を震わせると、恐る恐る顔を上げた。



 静麗達の目の前に佇んだ、絶世の美女の姿をその目に映したとき、静麗は衝撃に息を飲んだ。



 皇后娘娘の美しさに驚いた訳では無い。

 皇帝陛下の御正室の美しさは国中に知れ渡っており、静麗も何度も遠くから目にしていて、良く知っている。

 煌びやかな衣装や装飾品に驚いた訳でも無い。

 皇后娘娘の実家である ヂュ家は貴一品位の大貴族だ。

 これ以上ない後ろ盾を得ている皇后娘娘の衣服や装飾品が貧相な訳が無い。



 静麗が息を飲んで衝撃に固まったのは、皇后娘娘の身体を見たからだ。



 跪いたまま、面を上げて身体を起こした静麗のすぐ目の前に、皇后娘娘の膨らみ始めたはらがあった。



 皇后娘娘の懐妊を祝う祝宴から既に数か月が経っている。

 実際に懐妊してからの月日は分からないが、祝宴の時点で既に数か月経っていたのではないだろうか。

 となると、目に見える変化があっても決しておかしくはない。


 皇后娘娘の懐妊は、祝宴の席で聞いていたのだから当然静麗にも分かっていたが、何時も遠くからしか見ていなかった静麗には、皇后娘娘の胎が大きくなっていたことに此れまで気付けなかった。


 静麗は息を詰めたまま、皇后娘娘の膨らみ始めた胎を茫然と見つめた。




 ―――皇帝陛下と、…皇后娘娘の御子が…………浩然ハオランの子が…………




 静麗は瞳をきつく閉じ、顔を俯けた。



 本来の静麗は子供好きだ。

 だが、それが皇帝陛下の御子となると、素直に懐妊したことを祝福することなどできない。

 子を授かった女性に対して、思ってはならない感情が沸き上がりそうになり、そんな今まで知ることの無かった、自分の醜い心の内を知った静麗は両手を握り締めた。


 出来る事なら、この場から逃げ出したい。

 何故、こんな風に跪いて、目の前に夫との子が宿った胎を見せつけられなければならないのか。

 だが、平民の静麗では皇后娘娘の許しも無く立ち上がることも、その場を去ることも出来ない。

 静麗は唇を噛みしめて、この酷い現状を必死で耐えた。




 皇后娘娘は二人の側室達に向き直ると、その美しい顔をほんの少し顰めた。

 それは僅かな表情の変化であったが、見ていた側室達ははっと息を飲み、身体を強張らせた。


「貴女達二人は貴人の位を賜っている側室ですね。この様な場で大きな声を出すなど、陛下の側室としての品位を疑われます。お気をつけなさい。それに、此方の侍女をどの様な理由で叱っていたのかは知りませんが、使用人に対しても、主として気品ある振る舞いを心がけなさい。わたくしはこの後宮を陛下から任されているのです。後宮の主として命じます。後宮内での諍いは禁じます。貴女達も貴族の娘であるのなら、自ら品位を貶めるような行為は慎みなさい」


 皇后娘娘が毅然とした態度で二人の側室にそう言うと、側室達はその場でもう一度額ずき、叩頭礼をして皇后娘娘に服従の姿勢を見せた。

 それを静かな瞳で見た皇后娘娘は、次いで隣に跪いている静麗に目を止めて、困惑した様に首を傾げた。


「貴女は……」


 訝しむ様に眉を寄せた皇后娘娘の横に侍女がすっと近づくと、その耳元で何かを囁いた。

 皇后娘娘は少し目を開いた後、静麗をしげしげと見つめた。


「貴女も、側室でしたの。……最近入宮してきた貴人だったかしら?……とにかく、貴女も側室だと言うのなら、其方の二人同様に、後宮内での諍いを禁じます。さぁ、もうお行きなさい」



 皇后娘娘の言葉に、二人の側室とその侍女達は素早く立ち上がると、逃げるようにその場を後にした。

 静麗は、茫然と美しく高貴な皇后娘娘を見ていたが、芽衣が後ろから支えるように立たせてくれると、皇后娘娘にぎこちなく頭を下げ、その場から立ち去る為に踵を返した。







 皇帝陛下が後宮に入って来るのを待っているどころでは無くなった静麗は、悄然と月長殿に戻る為に美しく長い回廊を歩いていたが、月長殿が見える場所まで戻ってくると、静麗は急に笑いだしたくなってしまった。




 ―――ふふふっ、……皇后娘娘は、……浩然の御正妻様は、私の事をご存じでは無かった。―――私の事を誰も皇后娘娘にはお教えしてもいなかったのね。私の事など、そのお耳に入れるほどの存在ではないという事かしら…………私だけが、皇后娘娘や側室達を意識していただなんて、なんて滑稽なの! 私の事を侍女だと言っていたわ! ふふっ、ふふふふ、なんて可笑しいのかしら





「静麗様……」


 気が付くと芽衣が手巾で静麗の頬を優しく拭ってくれていた。


「芽衣? どうしたの?」


 芽衣は緩やかに首を横に振った。


「帰りましょう、月長殿へ。そして今日は私と一緒に、お茶を楽しみ、刺繍でも致しましょう?」

「……ええ、そうね。……芽衣が淹れてくれた美味しいお茶が飲みたいわ」



 静麗と芽衣は寄り添って、寂れた殿舎、二人だけの月長殿へと戻って行った。




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