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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
挿話

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64/132

一. 春燕

 


 新皇帝陛下の即位の儀式に参席した リィァン 春燕チュンイェン公主殿下は冷めた目で天河殿の壇上に立つ皇帝陛下と皇后娘娘の姿を見ていた。



 後宮に住む側室達は、銀星門を越えて外に出る事は叶わないが、皇族である春燕は必要がある場合は後宮から外へと出る事が可能であった。

 その日も、皇帝陛下の即位の儀の為に朝早くから準備をして、馬車に乗って外朝にある天河殿までやって来ていた。


 間近で見た新皇帝陛下は、とても市井で育ったとは思えないほど気品に溢れ、美しい青年だった。

 だが、春燕はその姿を目に入れると顔を顰めてふいっと横を向いた。


 この平民腹の皇子が、自分の兄から皇帝陛下の座を奪い取ったのだ。

 春燕は奥歯を噛みしめて涙を堪えた。



 母上や姉上を疫病で相次いで亡くして、同腹の兄弟は兄上一人となっていたのに、その兄も静養という名目で皇都から遠く離れた田舎の離宮へと追いやられてしまった。

 疫病の影響で身体に支障が出てしまったと聞いているが、見舞いに訪れて見た限りでは、依然と変わりない様にしか感じなかった。

 何故、そんな兄を退けてまで平民腹の皇子を皇帝陛下として立てなければいけないのか。

 そして、何故兄を皇都から追い出して、遠い場所に有る離宮へとやらなければいけないのか。

 春燕は悔しい思いを隠すことが出来ずに、新皇帝陛下の姿を睨むように見ていた。





 春燕の母は貴妃の位を持つ貴二品位の大貴族だった。

 皇后に次いで二番目に位の高い側室ではあったが、皇后が皇太子となる男児を生んでいたので、国母となることは出来なかった。

 しかし、皇太子に何かあった場合には、春燕の兄が次の皇帝陛下になる筈であったのだ。


 異母兄である皇太子は、見た目は流石皇族と思わせるような美しい容姿をしていたが、その顔には傲慢さがにじみ出ていて、春燕や兄上にも横柄な態度で接していて、大嫌いだった。

 だが、疫病で父上や多くの異母兄弟達が亡くなり、皇族の数は激減した。

 春燕は奇跡的に病に罹ることなく無事に過ごせたが、罹患した母や姉には会わせてもらえず、最後を看取ることも、葬儀に参席することも許されなかった。

 疫病に罹って亡くなった者達は全て荼毘に付され、春燕が会うことが許されたのは墓に埋葬された後だった。

 その為、未だに母や姉が亡くなった実感が湧かずに、何時か帰ってきてくれるような気さえしていた。



 春燕は即位の儀式を終えると、天河殿の中の一室で他の皇族達と共に、皇帝陛下と成った元平民の足元に跪き、祝いの言葉を奉じた。

 それに対して皇帝陛下は鷹揚に頷き、隣に寄り添う皇后娘娘は誰もが見惚れるような美しい笑顔を見せた。



 挨拶を終えた春燕は早々に二人の前から辞して後宮へと戻った。

 銀星門を潜った先にある 蝶貝宮 桃簾殿 では何やら人の出入りが激しく、準備に追われているようだったが、春燕は気にせずに素通りすると、母や姉と共に十三年間過ごして来た 緑閃宮 黒曜殿 へと帰りついた。


 自分の居室へ入ると、直ぐに儀式用の華やかで重い衣装や装飾品を外し、普段着ている襦裙へと着替えた。

 そして椅子へ腰を下ろすと身体から力が抜けて、虚脱したように背もたれに凭れかかった。


「春燕様」


 声を掛けられ、のろのろと顔を上げると春燕の筆頭侍女が心配そうに此方を見ていた。


「大丈夫よ。少し疲れただけだから」


 背もたれから身体を起こすと春燕は背筋を伸ばして椅子に座り直した。


 春燕が生まれた時から側に居てくれるこの侍女は、春燕が一番信頼する者だ。

 だが、母や姉に対するように無条件に甘えることは出来ない。

 信頼はしているが、あくまでも使用人であり、家族の様に接することは立場上許されない。


「少し休むから、貴女達も下がっていて」


 春燕が命じると居室に居た数名の侍女達が皆頭を下げ、しずしずと退出していった。


 一人になった春燕は、静かすぎる黒曜殿に、本当に母や姉はもう居ないのだと感じ、寂しさで胸が引き絞られる様に痛くなった。






 其れから幾日もの日々が過ぎた頃、春燕は寂しさに耐えられず、思い出だけが詰まった、家族が誰も居ない黒曜殿を一人で抜け出していた。

 母から何時も言われていた、公主としての品格を保ちなさいという言葉に、侍女達の前では泣くことすらも出来なかった。


 後宮の最奥にある寂れた殿舎の裏にある雑木林に入った春燕は、そこで地面に直に腰を下ろした。

 そしてずっと我慢を重ねていた涙を溢れさせた。


 そんな春燕から離れた場所では、近衛武官が二人静かに見守っていたが、春燕は気付くことは無かった。


 どれ程の時間泣いていたのか、春燕は突然声を掛けられ、驚きに涙を止めて身じろぎした。

 雑木林を掻き分けて現れたのは、何処かの宮の侍女と思われる女性だった。


 しかし、その侍女の優しい話口調や、雰囲気が亡き姉に酷似していた。

 春燕はまるで側に姉が戻ってきてくれたような気がして、堪らずにその侍女にしがみ付いて泣き声を上げてしまった。

 使用人の前では常に品格を持って振る舞うべきなのに、姉に甘えているような錯覚を起こした春燕は涙が枯れるまで泣き続けた。

 その間女性はずっと春燕の髪を撫で、背をとんとん、と叩いて、まるで幼子をあやす様に優しくその身を揺らし続けた。




 驚いたことに、何処かの侍女だと思った女性は、皇帝陛下の側室だった。

 しかも、今、後宮内では知らない者は居ない、噂の皇帝陛下の平民時代の元夫人だという。


 元夫人のジィァン貴人の事なら春燕も話を聞いて知っていた。

 皇帝陛下の事は大嫌いな春燕なので、当然その元夫人だという蒋貴人に対しても良い感情を持ってはいなかった。

 しかし、実際に会った蒋貴人は、噂とは違いとても慎ましい女性に見えた。

 皆が言うように、皇帝陛下に付き纏って皇都までついて来た恥知らずの平民には見えない。

 何時もの様に、後宮内の煩い雀達がいい加減な噂話を面白おかしく流したのだろう。



 春燕は涙の乾いた瞳で蒋貴人を見上げた。

 侍女と見紛うような平凡な容姿に、地味な装飾品を着けて、後宮の最奥に有る寂れた月長殿に住む皇帝陛下の元夫人。

 とてもではないが、誰もが羨む大国の皇帝陛下の側室とは思えないし、幸せそうにも見えない。


 何故、この女性を側室として、こんな場所に閉じ込めるのかと、皇帝陛下となった異母兄の考えが分からず、疑問を覚えた。

 この優しそうな女性では、後宮内で生きていくのは辛いだろうと、今出会ったばかりの春燕でさえ分かる。

 それが、仮にも夫であった男性に分からない筈が無い。


 春燕はこの心優しい女性をもう既に気に入っており、酷い扱いをしている皇帝陛下に対する嫌悪を益々募らせた。




 その後、梁 春燕公主殿下は月長殿を再び訪れ、静麗ジンリーを姉と慕う様になり、まるで本当の姉妹の様に後宮内で仲睦まじく過ごすことになるのだった。




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