十二. 憤慨
月長殿に一人で訪れた貴人の葉 彩雅は、静麗の施した刺繍が美しい手巾を二枚と円卓に敷く為の大きな卓布、それに巾着を譲って欲しいと願ってきた。
変わりにと彩雅が差し出して来たのは、宝玉が付いた美しい簪だ。
そんな高価な物とは交換できないと静麗が困惑気味に辞退していると、彩雅は静麗の身なりをじろじろと見た後、溜息を吐いた。
「貴女も、皇帝陛下の側室だというのなら、もう少し側室らしい恰好をしたらどうかしら? 貴女の装いだと高級侍女と変わりが無いから、間違えられてしまうわよ」
静麗は彩雅の言葉に、恥ずかしくて顔が赤くなるのが分かった。
平民としてなら、今着ている衣装でも十分に美しく、宴用にも使用出来るが、後宮の側室が身に纏うと考えると、かなり貧相なようだ。
静麗は俯き、小さな声で反論した。
「あの、私は側室と言っても、実家の後ろ盾も無い唯の平民なんです。だがら、とても後宮にいる他の側室方の様な衣装は揃えられません」
静麗は先日言いそびれてしまった、自分が平民であるという事を告白した。
他の側室に興味を持っていないこの女性なら、平民と聞いても蔑まないのではないかと思いながら。
―――それに、私は羅家に嫁いだけれど、後宮に収められてしまった今、私の扱いがどうなっているのか分からないし、……もしかしたら、もう正式に離縁されて蒋性に戻っているのかもしれない
憂いを帯びた顔で溜息を堪える静麗。
そんな静麗を怪訝な顔で見ている彩雅は、平民? と小さく呟いたが、直ぐにどうでも良さそうに、そうなの、と頷いた。
女児に恵まれなかった貴族が、親戚などから娘を養女に貰って、他家と縁を繋ぐために嫁がせることは良くある話だ。
きっと静麗もそういった経緯で後宮に入宮したのだろうと彩雅は考えた。
「でも、実家の援助が無くても側室の禄があるでしょう?」
静麗の予想通り、目の前に居る側室が平民であると聞いても、特に反応することも無く話を続ける彩雅に、静麗は安堵の息を吐いた。
「……私は、平民の側室というだけじゃなく、陛下のお渡りも頂けない、役立たずだと言われているから、頂ける禄も少ない様なのです」
「はぁ? 何を言っているの貴女! 例えお渡りが無くても私達側室は、皇帝陛下の、天子様の妻なのよ! 禄が少ない筈がないでしょう!……まさか」
彩雅は静麗の顔を凝視した。
「貴女、禄が少ないの?」
「……私の侍女が言うには、高級侍女と同じぐらいらしいです」
静麗の言葉を聞いた彩雅の顔色が変わる。
静麗はそんな彩雅の様子を見て、あることに気付いた。
―――そう、他の側室様達は例え陛下のお渡りがなくとも、陛下の妻としてきちんと扱って頂いているのね……
◇◇◇
静麗は彩雅がお礼の品にと置いていった高価な簪を手に取り、それをくるくると回してぼんやりと眺めていた。
彩雅は静麗の禄がありえない程に少ない事を聞いた後、言葉少なになり、その後直ぐに用事を思い出したと言い出し、急に席を立つと挨拶もそこそこに月長殿を後にした。
静麗が朝廷に疎まれている事を察知して、関わり合いになるのを嫌がったのかもしれない。
でもそれも仕方ない事だろう。
勇気を出して側室とも関わっていこうと思ったが、向こうに避けられてしまえばどうしようもない。
静麗は肩を落として、溜息を吐いた。
自分が持つには分不相応な美しい簪を見ながら、静麗は虚しさを味わった。
―――侍女に間違えられるような貧相な側室か。……私はこの場所では、どこまでいっても異端な存在なのね
自分の存在を否定されているように感じて、少し項垂れていた静麗に声が掛けられた。
「静麗様。葉貴人様をお見送りしてきましたが、本当にお一人でお帰ししても良かったのでしょうか? ご側室様が侍女も付けずにお一人で出歩かれるなんて……」
不安そうな表情の芽衣に、静麗は乾いた笑いを向けた。
「今日も、護衛の武官を撒いてこられたのかしら?……でも、もう此処に来ることは無いと思うから、心配しなくても大丈夫よ」
「静麗様? 何かございました?」
「何も。何も無いわ。……唯、私の事を何も知らずにお越しになっていたみたい。でも、今日知ったからには、もう来ることは無い筈よ」
静麗が口元を引き上げて芽衣に答えると、芽衣は神妙な顔で頷いた。
芽衣は、静麗がどの様な思いで側室を月長殿に招き入れたのか、薄々察してくれている様だった。
しかし、静麗の想いとは裏腹に、彩雅も静麗と関わるのを忌避したのかもしれない。
「大丈夫よ、芽衣。私には貴女が居るもの。それに公主殿下や伝雲も偶に来てくれるしね。今回は駄目だったけど、いつかは側室とも縁を結べる筈よ」
静麗は気持ちを切り替えるように、芽衣に明るい顔を向けて微笑んだ。
◇◇◇
その翌日、驚いたことに彩雅がまた一人で月長殿を訪れた。
もう来ることは無いと思っていた側室の来訪に、静麗も芽衣も驚き戸惑った。
居間に入って来た彩雅は、憤慨した様子で椅子に荒々しく腰かけると、静麗に向き直った。
「昨日女官長に会ってきましたわ」
「え? 女官長様にですか?」
突然の言葉に静麗は困惑した様に首を傾げた。
そんな静麗に、彩雅はいらいらとした様子で、円卓を装飾された長く美しい爪でコツコツと叩きながら言い放った。
「私、貴女の側室としての扱いに対して、女官長に一言言いたくて。本来なら貴女が自分で言うべきことでしょう!」
彩雅に叱られた静麗は首を竦めて、身を縮めた。
「私、こういう陰湿な事は大嫌いですの! 其れなのに、女官長は全然取り合ってくれなくて、朝廷の決定です。としか言わないのですもの! 全く腹立たしいわ」
彩雅は気分を害しているのか、女官長や朝廷に対して憤慨した様子を見せている。
静麗は、そんな彩雅の言葉に反応できず、ただ驚きに目を見張って、この自尊心の強い奇妙な側室を凝視した。
一頻り女官長や朝廷に対する不満を口にすると気が済んだのか、彩雅は突然席を立つと静麗に向き直った。
「では、蒋貴人。私は帰りますわ。貴女も大国寧波の皇帝陛下の側室なのですから、其れに相応しい振る舞いを心がける様になさいませ。でないとまた女官長如きに侮られますわよ!」
彩雅は静麗にそう言い捨てると踵を返して居間から出ていった。
芽衣が慌ててその後を追っていく。
静麗は二度と来ないと思っていた彩雅が再び訪れた事、そして、静麗の為に憤ってくれた事に多大な驚きと嬉しさを感じた。
貴族といっても中には色々な人が居るのは分かっていたが、彩雅の様な型破りな姫君は初めて見た。
静麗は嬉しさと可笑しさを感じてくすくすと小さく笑った。
しかし、何時かは彩雅も皇帝陛下の寵をお受けすることになるのだろう。
こんな場所では無く、もっと別の場所で出会えていたらと、静麗は悲しい笑みを浮かべた。
第五章 終
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