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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第五章

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十一. 匆匆

 


ジィァン貴人様。ご機嫌はいかがで御座いますか? 本日は皇都で流行っている菓子をお持ち致しました」


 静麗ジンリーの住む 橄欖宮 月長殿 の門前で彩雅ツァィヤーと知りあった日の数日後、リィ 一諾イーヌオが何時もの様ににこやかに静麗を訪ねてきた。


「こんにちは、一諾さん。何時も言っていますけど、私には敬語も手土産も不要です。私は貴方に会えるだけで嬉しいのですから」


 静麗もにこやかに応えて出迎えながら、一諾を先導してきた芽衣ヤーイーにお茶の用意を頼む。

 芽衣は頭を下げて了承すると、一旦二人の前から辞し厨房へと向かった。






「静麗様。どうぞ、開けて見て下さい。貴女が喜ぶ顔が見たくて買ったものです。要らないなどとは言わないで」


 一諾は静麗の名前を呼びながら、持参した菓子を静麗の前に置いた。


「もう、一諾さんてば。要らないなんて言っていないわ。ただ、何も返すことが出来ないのが、申し訳ないだけよ」

「何を言っているのですか。私も貴女に会いたくて此方に参っているのですよ。手土産ぐらいは大目に見て下さい」


 一諾は優しく目を細めるようにして静麗を見ると菓子を勧めた。

 静麗は申し訳なく思いながらも、一諾の優しく大らかな人柄に癒され笑顔を浮かべた。




 芽衣は居間へと戻ってくると茶を淹れ、二人の前にそっと置くと静麗の後ろに控えた。

 静麗は芽衣に礼を言い、二人は茶を飲みながら楽しい時間を過ごした。


 一諾は、現在は皇都を出る事はほぼ無く、父に代わって後宮や皇城を相手に商売をしているようだが、以前は様々な地方に父について商談に行っていたと話をしてくれた。

 静麗が名前も知らなかった地方の事などを詳しく教えてくれて、静麗はこの国は本当に大きいのだと改めて感じた。

 そして、そんな大変な旅を幾度もしている一諾に尊敬の眼差しを向けた。


「だから一諾さんは、商人なのにそんなに逞しいのね」

「ええ。旅に危険は付き物ですからね。盗賊に襲われたこともありました。こう見えても、自分の身は自分で守れるように最低限の武術の心得はあるのですよ」


 そう言うと、そんな荒事とは全く無縁に見える優しい笑顔を浮かべた。



 ―――本当に、人は見かけによらないのね。お顔は優しい普通の男性にしか見えないのに



 それからは、静麗が結局見ることが出来なかった皇都の様子などを、楽しく話してくれる一諾に静麗は頷き相槌を打ちながら、この穏やかな時間に一時の安らぎを感じていた。



 ―――皇都を詳しく見ることも出来ずに、いきなり後宮ここに入れられてしまったから、本当はとても残念に思っていたけど、でも、一諾さんの話はまるで自分が皇都の中を散策しているように感じられてとても楽しいわ



 しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎて、ほんの四半刻の時を談笑して過ごした一諾は席を立った。


「静麗様。本日もとても楽しかったです。またお伺いしても宜しいですか?」

「はい。一諾さんでしたら、何時でも歓迎いたします。でも、その時は手ぶらで来て下さいね」


 静麗が笑いながら告げると、一諾は少し考え、首を傾げた。


「それは出来かねます。私は静麗様の喜ぶ顔が見たくてしている事ですから、どうか私の我儘をお許し下さい」

「一諾さん……」


 静麗は一諾の言葉に少し困惑した顔をした。

 そんな戸惑う静麗を見た一諾は、ふっと笑うと静麗に対して美しい揖礼をすると居間から退出していった。

 芽衣が一諾を見送る為に居間から出て一人になると、静麗はふぅ、と息を吐いた。



 一諾はきっと平民の側室である静麗の事を憐れに思い、また、公主殿下と親しいという事もあり、足しげく月長殿に来てくれるのだろう。

 有り難いが、何も返すことが出来ない静麗は毎回申し訳ない思いを抱いていた。

 せめて、手ぶらで来てくれればよいのだが、一諾は毎回菓子や小さな小物等を持ってきてくれる。

 もしかしたら、静麗の側室としての禄が少ない事も知っているのかもしれない。

 そう思い至ったら、静麗は急に恥ずかしい居た堪れない思いを感じた。



 ―――芽衣も心配しているし、やっぱり一諾さんとは少し距離を置いて、側室と御用商人という立場で接した方がよいのかしら……





 ◇◇◇





「静麗様。あの、お客様がお見えですが、お通ししても宜しいでしょうか?」


 物思いにふけっていた静麗は、芽衣が戻って来たことにも気付いていなかった為、驚いて顔を上げた。


「お客様? 春燕チュンイェン公主殿下がお見えになったの?」


 公主殿下が先触れも無く訪れるなんて珍しいと静麗は想った。


「いいえ。それが、イェ貴人様と名乗られておられるのですが、……お供も連れずにお一人でお越しになっておられるのです」


 芽衣が困惑した顔で告げた名前に、静麗はあっと声を上げた。

 そう言えば、月長殿に近々尋ねてくるとあの側室の女性は言っていた。


「御存じなのですか?」

「ええ、先日橄欖宮の門の前をお一人で散策している所に遭遇して、少し話したの。その時に私の刺繍をお気に召したようで、他の作品も見たいと仰っていたわ」


 しかし、仮にも貴六品の貴族の姫君が、先触れも無しに他の側室の殿舎へと、供も付けずに一人で尋ねてくるなどとは思っていなかったので驚いた。

 先日も感じた事だが、貴族としてはかなり変わった女性のようだ。


「すぐにお通しして。其れから、お茶もお願いできるかしら?」

「分かりましたわ。直ぐに」


 静麗の返事を聞いた芽衣は、入って来たばかりの戸から彩雅を案内する為に出ていった。


「ふぅ、何時もは芽衣と二人きりなのに、今日は来客が二人も来るなんて」


 静麗は慌ただしく机の上を片付けて彩雅を迎える為の準備を整える。

 月長殿の応接間は現在使っていないので、生活感が溢れている居間にお客様をお通しすることに多少の気まずさを感じつつ、静麗は彩雅が芽衣に先導されて居間に入って来るのを立って出迎えた。





「失礼いたしますわ、蒋貴人。お約束通り、他の刺繍を施した物を見せて頂きに参りましたわ」


 機嫌よさげに居間に入って来た彩雅は、静麗に対して朗らかに挨拶をした。


「ようこそお出で下さいました。葉貴人様。どうぞお座りになって下さい」

「ええ。ありがとう。……ところで、先程殿舎の前で男性とすれ違ったのですが、あれは何方どなたかしら」


 静麗は彩雅の言葉にどきりと鼓動が跳ねた。


「あ、あの方は、後宮で御用商人をされているリィ 一諾さんです」


 別に何もやましい事は無いのだが、側室として静麗の態度はまずいと分かっている為、一諾の事を聞かれた静麗はおどおどとしてしまう。


「あぁ、御用商人なの。……私の実家が懇意にしていた商家は後宮へ入る手形を頂けなかったから、どうしようかと思っていたのよ。良ければその御用商人の方を紹介して下さるかしら?」

「ええ。勿論です」


 静麗は一諾に新しいお客を、しかも裕福だと思われる側室を紹介出来る事に笑顔を浮かべた。



 ―――これで、少しでも一諾さんの思いやりに報いることが出来るかしら





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