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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第五章
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十. 逡巡

 


「私は先日、此処から少し離れた殿舎を賜った イェ 彩雅ツァィヤーという者よ。貴人位を賜っているけど、貴位は六品だから、他の貴人と同じように考えないで欲しいわ。今は此れから住む後宮内を把握する為に、散策をしていたのよ」

「はぁ、そうですか……」


 静麗ジンリーは自尊心の強そうな彩雅の、はきはきとした口調に対して戸惑った様に相槌を打った。


「でも、この辺りの殿舎に住む側室達は、皆程度が低すぎてうんざりだわ。噂話と悪口ばかり。貴女もそうじゃなければいいのですけど。…………我家の貴位があと一つ上であったら、嬪の位の側室として後宮でも、もっと良い場所に入れたというのに!」


 悔しそうに言い、静麗をちらりと横目で見た彩雅は、まぁ、他の側室の事等どうでもいいですけど、と呟いた。


 噂話が嫌いだというこの側室の女性は、平民の側室の事を知らないのだと確信した静麗は、戸惑った。

 自分を蔑んだり敵意を向けることは無いが、他の側室の事には無関心な様子だ。

 先程自分で言っていたように、今は皇帝陛下の事にしか興味が無いのかもしれない。

 そう思い当たり、居心地悪そうに静麗が身じろぎした拍子に、衣嚢に入れていた筈の手巾が二人の間にぽとりと落ちた。



 二人の視線が落ちた手巾に集まる。

 慌てて拾おうとした静麗より先に、彩雅が手巾を手に取ってしまう。

 そして手巾に施されていた花々の刺繍をじっと見ている。

 以前、静麗が芽衣ヤーイーと一緒に月長殿の居間で施した刺繍だ。


「あの、その手巾がどうかしましたか?」


 あまりにも長い間刺繍を見ている彩雅に、静麗は恐る恐る声を掛けた。


「貴女、ジィァン貴人と仰ったかしら。……此方の刺繍が施された手巾をどちらで購入されたのかしら?」


 刺繍を見つめたまま静麗に問いかける彩雅。

 白い普通の手巾に、静麗が花の刺繍を施しているだけの物だ。

 何がそんなに気になるのかと静麗は少し首を傾げて答えた。


「そちらは購入したものでは無く、私が刺繍を施したものです」


 彩雅は驚いたように顔を上げて静麗の顔を見てきた。


「貴女が、この刺繍を……?」

「はい。あの、それが何か?」


 未だに手巾から手を離さない彩雅に、静麗は困った様に問いかけた。

 彩雅は口を開き、何かを言いかけたが、少し迷った様にしてから口を閉ざし、眉を寄せて手巾を見つめた。

 その様子を見て静麗はもしかして、と思った。



 ―――もしかして、この女性ひとは刺繍が気に入って、欲しいと思っているのかしら? でも、貴族のお姫様が欲しがるような物でもないのに……



 静麗は、平民の自分が作った物を、本当に欲しがっているのか分からないので少し躊躇してから、意を決して彩雅に話しかけた。


「あの、もし宜しければ、其方の手巾は差し上げます。まだ一度も使用しておりませんから」


 彩雅はちらりと静麗の顔を見ると少し考えて、頷いた。


「ええ、そうね。……では、お近づきの印という事で、此方は頂戴いたしますわ」


 すました顔をしている彩雅だが、口元がほんの少し緩んでいた。

 自尊心が高く、素直に欲しいと言えなかったようだ。

 静麗は貴族のお姫様を怒らせることなく、穏便に話が終わりそうな様子にほっとした。

 正直な所、少しこの側室の相手をしている事に気疲れしてきた静麗は、此れをきっかけにしてこの場を離れる事にした。


「では、葉貴人様。私はこれで失礼しますね」


 静麗は引き攣らないように気をつけながら、笑顔を浮かべてそう言うと、側室から離れて月長殿に戻ろうとしたのだが、彩雅に引き止められてしまった。


「お待ちになって、蒋貴人。貴女、他にも刺繍を施したものを持っているのかしら?」


 足を止めて振り返った静麗は、彩雅の言いたいことが今度ははっきりと分かったが、何と答えようか迷った。


 後宮内に知り合いを増やしたいと願っていた静麗だが、相手が側室となると、話は別だ。

 自尊心の強そうなこの女性は、静麗が少し苦手とする部類だ。

 それに、後宮に入ったばかりの貴人位の彩雅が、皇帝陛下ともう既にお会いしているのかどうかは分からないが、いずれこの女性も皇帝陛下のお渡りを受け、夜伽で寵愛をお受けする時が来るだろう。

 そんな側室の彩雅と嫉妬も憎しみも抱かずに、仲良く等なれるだろうか。



 ―――でも、私は後宮からは、一生出る事が許されないかもしれないのだから、やっぱり知り合いは増やすべきだわ。例えそれが浩然の妻である側室であろうとも……



 静麗は、皇帝陛下や朝廷の許しが無い限り、この先もこの後宮で生きていくしかない。

 もし、そうなれば、側室達とも少しは関わらなければならないと苦い思いで考えた。

 それにはこの女性は最適ではないだろうか? この辺りの貴人の位を賜った低位の側室達は、皆静麗の事を蔑むか無視するかだった。

 だが、この女性なら、他の側室に興味を持っていないこの側室の女性なら、まだ静麗と縁を結んで貰えるかもしれない。


 静麗は緊張に、こくりと唾を飲み込んで彩雅の問いに答えた。



「はい。刺繍は得意ですので、幾つもあります。……宜しければ、ご覧になりますか?」

「まぁ。……では、今度それらを見せて頂けるかしら? 今日はもう遅いので残念ですが帰りますわ。あまり遅くなると侍女が煩いし、撒いて来た武官が探しに来るかもしれないのよ」


 彩雅は機嫌よさげに問題発言をすると、静麗に対して別れの挨拶と、近日中にまた来ることを言いおいて、楽しそうに月長殿の門前から歩き去って行った。


 護衛の武官を撒いて、後宮内をたった一人で出歩く側室等、前代未聞だ。

 静麗は唖然として、美しく華やかな彩雅の後ろ姿を見送った後、大きく息を吐き出した。

 何だか、とんでもない女性と縁を結んでしまった気がした静麗は、眉を下げて困った顔をした。



 ―――本当にこれで良かったのかしら? ……後宮ここから出られない以上、後宮ここで生き抜く努力をしなければいけないけれど、本当に私に出来るのかしら……



 静麗は迷いながら、既に見えなくなった、新たに入宮したばかりの皇帝陛下の妻である側室が去って行った小路を見つめ続けた。





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