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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第五章

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九. 奇矯


【ご連絡】 携帯では 『诺』 の文字が表示されていないという事でしたので、今回より『一诺』の名前を『一諾』に変更致しました。


 


 御用商人のリィ 一諾イーヌオとは今後あまり会う機会も無いだろうと考えていた静麗ジンリーだが、一諾は月長殿に頻繁に訪れるようになっていた。


 春燕チュンイェン公主殿下や、他の側室達に依頼された商品を納入した後、ご機嫌伺いに月長殿まで静麗に会いに来るのだ。

 そうして何度か会う内に、一諾は静麗の希望通りに打ち解け、月長殿の中でだけは、かなり砕けた態度で接してくれるようになっていた。


 一諾の商家へ何の利益も与えることが出来ないばかりか、お土産にと皇都の菓子を持ってきてくれる一諾に対して、静麗は申し訳なく感じながらも、大らかな人柄の一諾に癒されて、まるで故郷の雅安ヤーアンで友人達と過ごしている様な錯覚を受けていた。

 芽衣は側で控えながらも何か言いたげに、楽しそうな静麗と一諾を見ていた。


 芽衣の視線には静麗も気付いていたが、この楽しい一時が無くなることが惜しくて、気付かない振りをした。

 名ばかりとはいえ、皇帝陛下の側室である静麗が、平民の御用商人と友のように仲良くしていることが他の側室達に知られたら、どのような騒ぎになるか分かったものではない。

 それは分かってはいるが、後宮内の知り合いは全てが、侍女の芽衣ですら貴族だ。

 そんな中で唯一の平民の知り合いが一諾となる。


 常に芽衣が側に居るとは言え、後宮ではただ一人の平民の側室という孤独を感じている静麗は、一諾との縁を切るような事は絶対にしたくないと思うようになっていた。



 ―――心配を掛けてごめんなさい、芽衣。でも、後宮で唯一私と同じ平民の知り合いが李さんなの。この人と話していると、此処が後宮の中であることを一時でも忘れることが出来るの。まるで雅安で友達とお喋りをしているように感じるの。どうか、もう少しだけ、この感覚を味わわせて……



 芽衣に申し訳なく思いながらも、自分の欲求を殺すことが出来ない静麗は心の中で芽衣に詫びた。





 ◇◇◇





 偶に訪れる春燕に裁縫の手ほどきをしたり、一諾と談笑をしたり、また後宮の行事に最低限の参加をして過ごす日々を送っていた静麗は、ある日橄欖宮の門の前で一人の側室と遭遇した。




 門から出た直ぐ先で、一人の側室と遭遇した静麗は、驚きに目を丸くした。

 後宮の最奥に有る橄欖宮まで来る人物など、ほんの数人しかいない。

 春燕か伝雲ユンユン、それに一諾ぐらいだ。


 月長殿には、必要最低限の仕事を果たしにやって来る下働きの者もいるのだが、静麗は顔を合わせる機会もほぼ無い。

 一度、芽衣に頼んで月長殿の厨房に足を運んだ時に、ばったりと下働きの者と鉢合わせしたのだが、その者は静麗とは関わり合いたくないのか、用事を急いで済ますと、直ぐに去って行ってしまった。

 他の側室や侍女達とは仲良くなれなくても、もしかしたら下働きの人達となら親しくなれるかもと期待していた静麗は、とてもがっかりした。

 後宮内で疎まれている平民の静麗とは、縁を結びたくなかったのだろう。



 其れなのに、門の前に華やかな衣装に身を包み、装飾品を多数身に着けた、どう見ても側室としか思えない女性が、供も付けずにたった一人で立っていたのだ。

 驚きに固まった静麗には構わず、女性はじろじろと静麗と橄欖宮の門を眺めた。


「貴女、この宮に住む側室かしら? こんな場所にも殿舎があるとは知らなかったわ」


 静麗に向かってそう言った女性は橄欖宮の門の中を覗き込んだ。

 そして、まぁ何て侘しい殿舎かしら、と驚いたように呟いた。



 側室と思われるその女性は、年は静麗よりも少し上に見えた。

 芽衣や、浩然と同じ年頃だろうか?

 長い黒髪を大きく結い上げて、美しい宝玉を多く使った豪華な髪飾りを複数着けていて、とても重そうだと静麗は思った。

 着ている衣服もかなり質の良い品物であるのが見て分かった。

 きっと裕福な貴族の姫君なのだろう。

 目鼻立ちがはっきりしている顔には少し派手な化粧が施されていて、とても目立つ面立ちだ。



 静麗は戸惑いながらも、自分に対して聞かれたので恐る恐る答えた。

 この辺りに住む、他の低位の貴人達と同じように、この側室の女性から蔑まれることを覚悟しながら。


「はい。私は此方の橄欖宮 月長殿に住んでおります、ジィァン 静麗と申します。……貴人位を賜っております」


 そう言った静麗は、きゅっと手を握り締めて、足を踏ん張った。

 以前側室に転ばされた記憶が脳裏を過ぎったからだ。

 だが、女性はそんな静麗に対して、乱暴な振る舞いをするでも無く、蔑む訳でもない。


「そうなの。こんな奥に有る殿舎にも陛下は来られるのかしら?」


 嫌味では無く、素朴な疑問を抱いたという感じで首を傾げている。

 その様子に静麗は少し拍子抜けした顔をした。


 供も付けずにこんな後宮の最奥まで一人で歩いてくる、この少し変わった女性は、静麗が平民の側室であることを知らないのでは無いだろうか。

 自分の事を話した方がいいのか、それとも何も言わずに立ち去った方がいいのか、静麗は迷った。

 そして、何故側室がこんな後宮の最奥に有る月長殿にたった一人で来たのかが気になった。


「あの、此方の殿舎に何か御用でしょうか? 此処には私の他には侍女が一人しか住んでおりませんが……」


 静麗の言葉を聞いた女性は眉を顰めて訝しんだ。


「貴女、貴人位を賜っている側室なのよね? 其れなのにこんな古びた殿舎に侍女と二人で暮らしているというの?」

「はい。……あの、私の事をご存じでは無いのですか?」

「なぁに? 貴女、有名なの? 生憎、私は噂話などには興味ないのよ。自分の眼で見たものしか信じないし、他の側室等どうでもいいわ。私が今興味あるのは、皇帝陛下の事のみよ」


 女性はつんと顎を上げると静麗を見おろした。


「でも、こんな場所にたった二人で住んでいるなんて、貴女変わっているわね」


 供を一人も付けずに、後宮の最奥まで歩いて来た風変わりな側室に、変わっていると評された静麗は返事に困って眉を下げた。





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