八. 既視感
春燕公主殿下に紹介してもらった御用商人の李 一諾を月長殿に招いた二日後、約束通り一諾は献上品を携えてやって来た。
芽衣の誕生日に贈る為に用意した品物であることを知られない為に、静麗は予め芽衣には公主殿下への贈り物を購入したと説明していた。
芽衣に嘘を付くことに少しの罪悪感を感じたが、それ以上にわくわくとした感情を味わっていた。
―――芽衣が喜んでくれるような、素敵な巾着を作らないと!
芽衣が先導し、一諾が居間へ入ってくるとその場で平伏し、側室に対する礼を恭しく行う。
静麗は直ぐに立つように言い、椅子を勧めた。
初めは恐縮して固辞していた一諾だが、静麗が立たれたままでは話しづらいと言い、強引に座って貰った。
芽衣は二人の前に茶を出すと入口の前に控えた。
静麗はちらりと其方を見てから、一諾に向き直った。
一諾には先日、静麗の専属侍女への贈り物の為に購入する積りだったことは話してある。
この場で芽衣には気付かれることは無いだろう。
「蒋貴人様。お待たせ致しました。本日は御所望の品をお持ち致しました。どうぞ、お納めください」
挨拶の後、少しの世間話をした後に、一諾は持ってきていた箱を取り出した。
一諾が丁寧な仕草で円卓の上に箱を置くと、静麗のみに中身が見える様に蓋を開けた。
中を確認した静麗は、先日吟味して選んだ品々を確認し、笑みを浮かべた。
「はい。確かに。……でも、李さん。本当に宜しいのですか? 公主殿下なら分かりますが、私のような平民の側室に、このような品々を献上して頂いても、何も返すことは出来ませんよ?」
申し訳なさそうに眉を下げて言う静麗に、一諾は目を細める様にして笑うと、いいえと首を振った。
「蒋貴人様。貴女様は御自分の事を卑下なされておられますが、そんな事は御座いませんよ。少なくとも私は今後も貴女様と縁を繋いでゆきたいと願っております」
一諾の言葉に静麗は首を傾げた。
「どうしてですか? 私はきっと良いお客にはなれないですよ」
商人に取って、客の質はとても重要な筈だ。
だが、静麗の少ない禄では、一諾から何かを頻繁に購入することなど到底出来そうも無い。
一諾にとって、後宮の御用商人にとっては、静麗は旨みの無い客だろう。
贅沢な暮らしがしたい訳では無いが、側室としては惨めな生活を送っている事を一諾に知られるのは、何故か静麗には恥ずかしく感じた。
「さぁ? 何故でございましょうね」
静麗の心の内を知ってか知らずか、一諾は穏やかな眼差しで静麗の事を見つめた。
「ですが私は、貴女様の御用商人として、今後もお召し戴ける栄誉を授かりたいと願っております」
一諾の穏やかに静麗を見つめる瞳に、静麗はまた既視感を感じ、さり気なく視線を外すと、居心地悪そうに身じろぎした。
◇◇◇
一諾が静麗に献上品を奉じ、その後、四半刻程の時を談笑した後に退出すると、居間には芽衣と二人きりになった。
芽衣は静麗に何か言いたそうな素振りを見せたが、静麗は早く巾着の作成に取り掛かりたかった為、そんな芽衣の様子には気付かなかった。
「芽衣。私少し休むから、芽衣も部屋に下がって休んでいて貰えるかしら」
「……はい。分かりましたわ、静麗様。では、夕刻にまた参ります」
静麗に頭を下げた芽衣は居間からしずしずと退出していった。
それを見送って、十分に芽衣が居間から離れたのを確認した静麗は、直ぐに献上品の入った箱を開けると、布や糸、飾りの玉等を取り出した。
そうして、いそいそと裁縫道具を収めている箱を円卓まで持ってくると、静麗は早速巾着作りを始めた。
久しぶりに心から楽しみながら裁縫仕事に集中することが出来た静麗は、口元を緩ませて、心を込めて芽衣に贈る為に巾着に刺繍を施していった。
◇◇◇
芽衣の誕生日の当日。
静麗は作り上げた巾着を、隠していた寝室の箪笥の中から取り出して、何時渡そうかとそわそわとしていた。
「やっぱり夕餉の後にしようかしら」
芽衣が喜んでくれれば良いがと、静麗は出来上がった巾着を見つめた。
春燕公主殿下と一諾のお陰で、素敵な贈り物を用意することが出来た静麗は、嬉しそうに巾着の表面を撫でた。
手触りの良い生地を撫でながら、静麗は先日会った一諾の事を思い返していた。
皇都の御用商人である一諾は、ふとした拍子に見せる眼差しが、昔の浩然と何処か似ていた。
初めて会った日にはとても懐かしく感じて、周りが不審に思う程長い間一諾の瞳を見てしまった。
美しい面立ちの浩然と違い、平凡な容姿の一諾だが、一諾の持つその優し気な雰囲気がとても似ていると静麗は気付いた。
先日会った時にも、一諾はとても人当たりが良く、平民の静麗に対しても側室として敬った態度で接してくれた。
しかし静麗は、出来れば一諾には敬った態度では無く、同じ平民として接して欲しいと感じていた。
「もし、次に会うことがあったら、普通に接してくれるように言ってみようかしら」
芽衣や伝雲、それに最近では春燕と、後宮内で静麗の知り合いは少し増えたが、其れでも他の側室達には蔑まれ相手にもされていない静麗は、人と触れ合うことに飢えていた。
故郷に居た時には、浩然の他にも多数の平民の友人達が居て、身分差や寂しさ等感じた事など無かったが、後宮では、ほんの数人しか話す相手が居ない。
出来れば、一諾にも静麗の孤独を慰める友人の様な存在になって欲しい。
―――でも、私の頂いている禄では、何度も御用商人の李さんをお呼びして、品物を購入することなんて出来ないから、無理な話ね……
静麗は少し寂しそうに俯いた。
その夜、夕餉の後に静麗は芽衣に誕生日の贈り物として、手作りの巾着を手渡した。
芽衣は驚き、静麗の手作りであることに気付くと、涙ぐみ、巾着を胸に抱き締めた。
静麗が、自分の為に少ない禄を使おうとしていた事に気付き、申し訳ない思いと、それ以上に静麗の想いを嬉しく感じ、静麗の手を握り締めて、感謝を伝えた。
静麗も芽衣が喜んでくれた事に顔を綻ばせて、照れた様に笑った。
芽衣は、静麗が現在の辛い状況の中でも、必死に前を向いて生きていこうとしているだけで無く、使用人である侍女を思いやることが出来るその心根の優しさに、改めて静麗に対して真摯に仕えようと考えた。