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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第五章

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六. 御用商人

 


 月長殿で何時いつもの様に芽衣ヤーイーと昼餉を摂っていた静麗ジンリーは、ふと思いついて尋ねた。



「ねぇ、芽衣。貴女は今十八歳だったわよね。誕生日は何時なの?」

「私でございますか? 今月の十四日になりますわ」

「えっ! もうすぐじゃない、知らなかったわ。……私の誕生日には芽衣が祝ってくれたのだから、私も何かお祝いをしたいわ」


 静麗がそう言うと、芽衣は嬉しそうに微笑みながらも首を振った。


「いいえ。そのお気持ちだけで十分ですわ。どうぞ、お気になさらず。……私お茶をお淹れしてきますわね」


 食事を終えた芽衣はそう言って、静麗の前から一旦退出した。

 それを見送りながら静麗は考えた。



 ―――でも、何時も本当にお世話になっている芽衣には、やっぱり何かお礼がしたいわ。……何がいいかしら



 静麗が用意できる範囲で、芽衣が喜んでくれそうな物。

 首を傾げて、う~ん、と悩んでいたが、そうだと思いついた。



 ―――刺繍を施した巾着にしようかしら。それに、小さなぎょくを縫い付けたら豪華にもなるわ。刺繍なら得意だし、巾着ぐらいなら芽衣も気を使わずに受け取ってくれるかも



 静麗は自分の思いつきに、うんと大きく頷くと早速用意をしようと考え、その動きをぴたりと止めた。



 ―――……布と、玉。それに刺繍糸、どうやって用意すればいいの……




 現在の静麗が生活する上で必要な物は、全て朝廷から支給される側室の禄で賄われている。

 側室達の食べる料理などは、後宮の厨房で料理人や下働きが作っているようだが、衣服や装飾品等については、朝廷から側室へ奉じられる禄と実家等の後ろ盾からの援助で、側室としての品格や体面を保っているのだ。

 だが静麗は、実家からの援助も後ろ盾も何も無いので、側室としては最低限の暮らしをしている。

 必要な衣服等は、芽衣が静麗に確認して禄を使い、いつの間にか用意してくれていたのだ。

 何も知らずに後宮に入った当初は、女官長かイェンが衣服等を用意してくれていたようなのだが、静麗が側室となってからは、一度も援助を受けていない。

 全てを側室としてはあり得ない程の少ない禄で賄っていた。


 そんな静麗なので、後宮へ入ってからというもの、自分で何かを購入したことなど一度も無い。

 後宮の中には商店など無いのだから当然だが、今まで一度も考えたことも無かった静麗は困った。

 出来れば、芽衣には知られずに用意したいが、誰に頼めばよいのか。


 そこでふと先日春燕公主殿下と話していたことを思い出した。



 ―――たしか、公主殿下は、御用商人がいると言っていたわ。その人を紹介してもらう事は出来ないかしら?



 静麗は芽衣がお茶を淹れて戻ってくるまで、どうやって必要な物を揃えるかを考えた。





 ◇◇◇





「それで、静麗お姉様は、布と糸を御所望なのね」

「ええ、公主殿下。もし良ければ、御用商人をご紹介下さいませんか」



 静麗は月長殿を訪れた春燕を殿舎の裏庭へと誘い、二人きりになると、其処で巾着を作る為の材料を芽衣には知られずに購入したいと申し出た。

 芽衣と公主殿下の侍女は少し離れた場所で控えている為、静麗達の話は聞こえないだろう。


「分かったわ。任せて、静麗お姉様。明日にでもリィを呼ぶから」


 そう言うと春燕は楽しそうに、ふふっと笑った。


「どうかされましたか? 公主殿下」

「だって、何だか楽しくって。侍女にも秘密で誕生日の贈り物の品を用意するなんて。なんだかちょっと、どきどきするわ」


 頬を染めて高揚した様に言う春燕を静麗は微笑ましく見つめた。

 前皇帝陛下の御息女である春燕公主殿下は、欲しい物は一言口にするだけで、周りが全てを用意してきた。

 その為、侍女に渡すという祝いの品を、こっそりと用意するという何か秘密めいた行動に対して、高揚した初めての感覚を味わっていた。



「でも、静麗お姉様は、侍女の誕生日に祝いの品を贈るだなんて、お優しいのね」

「そうですか? 芽衣には、後宮へ来てからずっと、とてもお世話になってきているのです。……公主殿下も御存じの様に私は平民ですから、芽衣が居なかったら、私はどうなっていたのか分かりません」


 静麗の顔を見て春燕は頷き、侍女達の方をちらりと見た。


「静麗お姉様にとっては、一番信頼出来る侍女なのね。私にも居るわ」

「あぁ、あの方ですね。公主殿下の事をとても大切に思っておられますものね」


 春燕の視線を追い、初めて月長殿を訪れた折、最後に静麗に話しかけてきた侍女を見て納得した。

 両親や姉を亡くしても、春燕には親身になって支えてくれる侍女がいる事に、静麗は自分の事のように嬉しく感じた。





 ◇◇◇





 翌日、春燕は約束通りに御用商人を引き連れて馬車に乗り、月長殿へとやって来た。

 静麗は直ぐに手配をしてくれた春燕に対して深く頭を下げて感謝をした。



 芽衣が茶を淹れ終わると居間から退出させ、部屋には静麗と春燕、春燕の筆頭侍女と件の御用商人のみになった。


 御用商人の男性は、静麗が想像していたよりも遥かに若い男性だった。

 大国の後宮に入れる程の商人という事は、かなりのやり手である筈だが、目の前に立つ青年は二十歳を幾つか過ぎた辺りか。

 背が高く、適度に鍛えている事が分かる逞しい身体をしていた。

 顔立ちは至って平凡だが、柔和な雰囲気を持つ好青年といった感じだ。



「静麗お姉様。この者が私の御用商人のリィよ。李、此方はジィァン貴人。私の大切なお姉様よ。私と同等に扱いなさい」


 春燕の言葉を受けた李はその場で静麗に対して拝跪して、皇帝陛下の側室への挨拶を奉じた。


「蒋貴人様。殿舎へ御招き頂き、感謝申し上げます。私は後宮で御用商人の手形を拝しました 李商会の李 一諾イーヌオと申します。どうぞ、お見知りおき下さいませ」


 静麗に対して、恭しく挨拶を述べる一諾だが、其れに対して、静麗は困った様に眉を下げた。


「李さん。どうぞ、立ってください。私は後宮では最下位の側室です。……それに、お聞き及びかと思いますが、私は平民です。公主殿下と同等などと、恐れ多いです。もっと普通に接して下さって結構ですよ」


 そう言って、一諾を促して立ち上がらせた静麗に、一諾は不思議な物を見る様な眼をしたが、直ぐにその顔には優しい笑顔が広がった。


 静麗を見つめて優しく微笑む一諾の瞳に、静麗は何か懐かしいものを感じた。

 何だろうと首を傾げた静麗だが、直ぐに気が付いた。



 ―――この眼差しは、幼馴染だった頃の、昔の浩然ハオランと似ているんだ



 その事に気付いた静麗は鼓動が早まるのを感じ、一諾の優しく微笑む顔を、じっと、何かを惜しむように見つめ続けた。





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