三. 不知
「静麗様。もうすぐ中秋節が執り行われますが、御衣裳はどうされますか?」
昼餉の後、居間で芽衣と寛いでいた静麗は、突然の問いかけに眉を顰めた。
「また、後宮で行事があるの?」
「はい。ですが今回は後宮だけでは無く、皇城全てで行われる大きな催しとなりますわ。と言っても、私達は後宮からは出られないのですが」
芽衣が苦笑を浮かべて告げるのに、静麗は益々顔を顰めた。
今までは様々な事に翻弄されて、何も考える事が出来ず、後宮で生活するだけで精一杯であった。
その為、周りの事を気にする余裕も無く後宮内で過ごして来たが、少し落ち着いた今は色々な事が気にかかり腑に落ちない。
「ねぇ、芽衣。後宮では、月に一度は年中行事の何かが行われるし、宴だって沢山行われるわ。そんな贅沢な事に金子を使うより、疫病の復興に使えばいいのに、皇城の人達は何を考えているの? 自分達が楽しければ、平民はどうでもいいと言うの?」
静麗は以前から思っていた不満を口にした。
「私は皇都へ来る途中で、疫病で苦しんできた人達を沢山見てきたのよ。其れなのに、……此処はそんな民達を置き去りにして、毎月のように行事や宴を楽しんでいるわ。……浩然……皇帝陛下だって私と一緒にあれを見ていた筈なのに、天子様となって、平民時代の事なんか忘れてしまったのかしら……」
「静麗様っ! ……いけませんわ。皇城でその様な、皇家や朝廷を非難するような事を仰っては。いくら月長殿の中とはいえ、誰かに聞かれれば、唯ではすみませんわ」
芽衣が蒼褪めた顔で静麗を窘める。
でも、と静麗は口を尖らせて納得出来ないと、芽衣に目で訴えた。
静麗の側室としての禄が少ないのも、皇帝陛下のお渡りが無いからだけでは無く、国庫に余裕が無い為だと官吏は言っていた。
静麗は別に禄が多く欲しくて不満に思っている訳では無い。
ただ、寧波に住む平民達を蔑ろにされている様に感じて、納得が出来ないのだ。
芽衣は蒼褪めた顔でふぅ、と息を吐くと、椅子から立ち上がり静麗の前まで歩いて来た。
「静麗様。今までは様々な事があり、後宮や皇城の事は最低限しかお教え出来ていませんでしたが、此れからは少しずつでも私と共に学んでまいりましょう」
そう言うと、芽衣は静麗の前に跪いて顔を覗き込んできた。
「後宮や皇城で執り行われる年中行事は、ただ単に御側室や皇帝陛下達が遊んでいる訳ではないのです。二千年の歴史を誇る大国寧波が長年続けてきた伝統行事でもあり、また、現在の寧波ではそれ以上の意味を持ちます」
「それ以上の意味?」
静麗は首を傾げて芽衣を見た。
「はい。我が国は確かに大国ではあります。ですが、常に盤石な訳ではありませんわ。周りを囲む国々からは常に見られ、探られております。前皇帝陛下や皇太子殿下の喪に服す期間を縮めてでも、新たな皇帝陛下を戴いたのも、周りの国々に対する牽制の意味もあったと思われます。そして、疫病や皇位の継承等での混乱はもう終息し、寧波は通常の状態にあると近隣諸国へ知らしめる為にも、例年よりも賑やかに華々しく伝統の行事等が行われているのですわ」
静麗は思ってもいなかった事を聞き、驚きに芽衣を凝視した。
確かに故郷の雅安で周りの国々から狙われていて、予断を許さない状態であると聞いていたが、伝統行事を例年通りに、否、それ以上に華やかに行う事に、そんな意味が隠されていたなど、静麗には考えも及ばなかった。
「それに、後宮で毎月のように行われている宴ですが、あれらのほとんどは側室様方が主催となって執り行われているのです」
「え? そうなの? 皇家や朝廷がしていると思っていたわ……」
静麗が知らなかった事実を立て続けに告げられて、目を見張って驚いていると、芽衣は頷いた。
「静麗様。皇后娘娘の祝宴にご出席された席を思い出してください。今まで出た宴の中で、一番豪華で華やかではなかったですか?」
芽衣の言葉に、初めて出席した皇后娘娘の懐妊を知らせる宴を思い出した。
ちくりと胸が痛んだが、それには気付かない振りをして芽衣に答えた。
「ええ。何度か出席した中でも、あれ程の規模の宴は他には無かったわ」
「後宮で行われる宴は、言わば、側室様方の後ろ盾がどれ程の物であるかを、他の側室様方に見せる為に行われている一面もあるのです。後宮は、皇后娘娘や側室様方、それに陛下の御子方が住む場所というだけでは無く、政の場である朝廷の縮図の様な場所でもあるのです。其処で、どれだけ御自分の存在感を示せるかは、陛下の寵を得るのと同じ程、側室様方にとっては重要なのです」
「…………知らなかったわ。……私、行事も宴も、皇城の人達が楽しんでいるだけなのだと……」
思ってもいなかった後宮のあり方を聞いた静麗は戸惑った。
場所が変われば、常識も変わるという事は、皇都への旅の途中で知っていた筈だった。
あの旅路で静麗は色々な地域を訪れた。
食べるものや衣服、風習等が、少しずつ変わってゆき、同じ国の中でもこれ程に違うのだと静麗は自分の世界の小ささを感じていたのに。
静麗は、後宮に入ってからも、どこまでも雅安で生まれ育った平民のままだった。
自分の小さな物差しで全てを見ていたことに気付いた静麗は、自分を恥じて俯いた。
そして、目の前に跪く芽衣を改めて見つめた。
芽衣は自分の事を平民同然と言っていたが、やはり平民とは違う貴族の娘だったのだと感じ、少しの寂しさとそれ以上の頼もしさを感じた。
それに、女官長が静麗に侍女を付けてくれた意味がやっと分かった。
確かに静麗だけでは、女官長の言っていた後宮の決まり事というものが全く分からず、何時か要らぬ争いを起こしていただろう。
芽衣はただ静麗の世話をするだけの侍女ではなく、それらを回避する為にも必要な人材だったのだ。
「……私は駄目ね。……何時までも平民としての狭い範囲でしか物事を考える事が出来ていなかったわ」
静麗が自嘲気味に笑うと、芽衣は首を横に振った。
「静麗様は、後宮にお入りになり、御側室となられて、まだ僅かの時間しか経っておられませんわ。今まではそれらを学ぶ余裕も無かったですし。それに……静麗様が陛下のお許しを得て、後宮を辞することが出来たとしても、後宮で学んだこと全てが無駄にはなるとは思えませんわ。ですから、此れから色々な事を知り、少しずつ学んでゆけば宜しいかと思います。焦って何かをしても良い結果にはなりませんもの」
芽衣が何時もの、優しいおっとりとした口調で静麗を慰める。
―――そうね。焦ってもしょうがないわ。……後宮から出られるように努力はするけど、私は自分に出来る事は全てしておくべきだわ




