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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第五章

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二. 拝謁願

 


 この後宮から、退去した側室がいる。


 その報告は静麗ジンリーの感情を激しく揺さぶった。



芽衣ヤーイー、どういう事なの。誰が、後宮ここから出て行ったの? どうやって、後宮ここから出る事が出来たの?」


 静麗は目の前に佇む蒼褪めた芽衣の顔を見上げた。

 芽衣も動揺しているのか、落ち着かなく目を彷徨わせて、両手を揉み絞っている。


「詳しい事は分かりませんわ。先程、侍女達の官舎に用事があり赴いた時に聞いたのです。月長殿から程近い場所に入られていた側室様が、昨日後宮から退去したと。ただ、ご本人の意思では無く、武官と朝廷からの御使者に連れられて馬車に乗せられ、そのまま殿舎を後にしたと聞いております。……もしかしたら、何か罪を犯したのではないかと、侍女達は申しておりました」

「それは……」


 静麗は絶句した。


「でも、まだそうと決まった訳では無いのでしょう? 何か、……何か理由があったのかもしれないわ。例えば、ご家族に何かあったとか……」

「いいえ、静麗様。後宮に入られた側室様方は、例え両親が危篤状態であっても、後宮から外へ出る事は叶いません。それに、罪を犯したというのも、あながち間違いでも無いのかもしれません」

「どうして?」

「……それは、その側室様にお仕えしていた侍女や、使用人達も全て昨日から姿を消したようなのです。誰も、その者達が何処どこへ行ったのか、知らないそうです……」


 芽衣は俯いて震える声で説明をした。

 静麗はその意味するところを考えて、血の気が引いた。

 側室が問題を起こせば、仕えている者や、親族にまでその罪は及ぶと聞いていたが、まさか実際にその様な罪を犯す側室が出るとは思わなかった。

 その側室は勿論だが、侍女や使用人がどうなったのか、静麗は不安を覚えた。


「詳細は、我々後宮の人間には伝えられないかもしれません」

「……そう」


 静麗は、心を落ち着けようと深呼吸をした。


 自分を蔑んでいた側室の一人ではあったが、この様な形で居なくなって欲しいなどとは望んでいなかった。

 静麗は、後宮が改めて恐ろしい場所に感じてぶるりと身体を震わせた。





 ◇◇◇





 側室が一人後宮から退去したという知らせは、後宮内に住む人達を驚愕させた。

 暫くは、その噂話で持ち切りだったが、何時しかそれも下火になり、やがてそんな事など初めから無かったかのように、誰も口に出すことも無くなり、何時いつもの美しく華やかな、光に溢れた後宮へと戻っていった。




 月長殿の裏庭にある小さな池の畔でぼんやりと水面を見つめていた静麗に、ふと、ある考えが浮かんできた。



 ―――問題を起こしたという側室は、強制的にでも、後宮から出る事が出来た。でも、私が問題を起こしたら、芽衣や両親達にどんな罰が下るか分からない。でも、もし―――……



 静麗は顔を上げると踵を返し、月長殿へと戻って行った。








「は? 皇帝陛下にお目通りを願う、ですか?」


 芽衣はきょとん、と首を傾げた。

 静麗はその珍しい様子の芽衣に、笑みを浮かべて頷いた。


「ええ。そうよ」

「あの、静麗様。急にどうなさったのでしょうか。今までは、どちらかというと陛下の事を避けておいででしたのに」



 確かに芽衣の言う通り、陰から皇帝陛下の姿を目で追う事は止められなかった静麗だが、直接顔を合わせることのある後宮の行事等では、出来るだけ皇帝陛下から目につかない場所に隠れるようにして出席をしていた。


 他の側室達の元へは通っている皇帝陛下だが、静麗の事など忘れたかの様に、一度も会いに来ることも無い。

 それなのに、側室達に囲まれた状態の皇帝陛下と、お渡りも頂けない最下位の側室として対面するなど、惨めでならない。

 だから、何時いつも一番下座で平静を装いながらも、皇帝陛下の目に入らないようにと気をつけていた。

 それが、いきなりお目通りを願うなど、何事かと芽衣が驚くのも無理はない。



「あのね、私、皇帝陛下にお願いがあるの」

「お願いでございますか?」

「ええ、そう」


 静麗は、穏やかな顔でにこりと笑った。


「私、何か罪を犯したことにして、後宮から追放して頂けないかと思って」

「静麗様!? いったい何を仰っておられるのですか!?」


 芽衣は驚いたように大きな声を上げた。

 静麗は其れに対しても、笑みを浮かべたままで芽衣を宥めるように言った。


「だって、本当に罪を犯したら、私も芽衣もただでは済まないでしょう? だから、そういう建前で、穏便に私だけを追放して頂けないかと思って」


 静麗はにこやかに首を傾げながら続けた。


「女官長様や朝廷の官吏様達は、私の事がお嫌いのようだから、話も聞いてくれないかもしれない。だから、陛下に直接お願いをするの。それに、何の理由もなく側室を後宮から退去させることが出来ないのなら、私が何か罪を犯したことにすればいいのよ。陛下はこの国で一番偉いお方でしょう? その尊いお方が後押しして、建前とはいえ理由も付ければ、朝廷の人達も嫌とは言えないんじゃないかしら」


 そこで静麗は一旦大きく息を吐いた。


「陛下は私の事を、平民時代の事を思い出したく無いのかも知れないけれど、でも一度は婚姻を結んだ相手だし、……今はもう愛していなくても、それでも、幼馴染として長い時間を共に過ごしてきたのだから、私の最後のお願いぐらいは聞いてくれるかもしれないじゃない?」

「静麗様、それは……」


 芽衣は複雑な表情を浮かべて静麗を見た。


「お願い、芽衣。陛下にお目通りを願って欲しいの。きっとこれが最後の機会だと思うから。今なら、まだ少しぐらいは陛下も、私の事を考えて下さるかもしれないわ。何年も経って、私の事を本当に忘れ去られてしまう前に、陛下にお願いをして欲しいの」

「……分かりましたわ。朝廷へとお目通りを願い出てみますわ」

「ありがとう、芽衣。お願いね」


 静麗はほっとした様に肩から力を抜いた。


 もし、これが上手くいけば、自分は誰も傷つけずに後宮ここを出て、雅安ヤーアンへと帰れるかもしれない。

 そうすれば、芽衣も平民の侍女という苦役から解放してあげられる。


 それに、以前女官長が言っていたではないか。

 皇帝陛下に御子が出来れば状況が変わるかもしれないと。

 もう既に何人もの側室達が皇帝陛下の御子を授かっている。

 今、静麗が後宮にいる意味など、全く有りはしないのだから、皇帝陛下の後押しがあれば、朝廷も許してくれるのではないだろうか。




 ―――浩然。どうか、お願い。少しでも私の事を憐れだと思うのなら、私の最後の願いを叶えて……







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