一. 下位貴族
静麗が後宮で生きていく為に強くなろうと決心してからも、周りの状況は変わることは無かった。
相変わらず他の側室達には相手にもされず蔑まれていたし、後宮内で皇帝陛下と側室達が寄り添っている姿を見かける事もあった。
だが、今までは皇帝陛下と皇后娘娘や、側室達を見る度に不安定になっていた静麗だが、それから目を背け逃げるのではなく、現実と受け止める様に必死で努力をしていた。
そんな静麗を芽衣や、伝雲は陰日向に見守り支えていた。
そうしている内に、静麗の住まう橄欖宮の周りの殿舎にも貴族の姫君達が少しずつ入宮してきた。
ただ、皇帝陛下の住まう透輝宮 曙光殿から近い場所に住む高位貴族の姫君達と違い、この辺りに入ってきたのは低位の貴族達だった。
高位貴族の側室達はまだ自分を律することが出来るが、貴位の低い側室達ほど静麗の存在を知ると、蔑み辛く当たってきた。
その日、静麗と芽衣は所用があり、月長殿から出て歩いていると、近くの宮に入ったばかりの側室達が数人、前から歩いて来た。
側室達は静麗に気付くと足を止め、じろじろと品定めをする様に静麗達を見回して来た。
「まぁ、嫌だ。こんな所に平民がいるわ。誰か、あれを早く追い出して! 後宮は陛下の側室である貴族の娘が居る場所。其処に居座るだなんて、なんて図々しい平民なのかしら!」
「本当! 嫌だわ。近づかれると、私達まで平民臭くなって、陛下に申し訳ないわ」
側室達は扇で顔を覆うと楽しそうに笑い合った。
だが、それを静麗が冷静に見ている事に気付くと、顔を顰めて閉じた扇で静麗を指さした。
「お退きなさい。この道は私達が通るのよ、平民は控えていなさい。邪魔よ」
そう言うと静麗を押しのけて、側室達とその侍女達は自分達の住まう宮の方へと歩き去って行った。
それを静かに見送ってから振り返ると、静麗は後ろに控えていた芽衣に聞いた。
「ねぇ、芽衣。どうして、この近くの殿舎に住む側室達は、あれ程私にきつく当たるのかしら。以前お会いした貴妃様や、皇后娘娘の宮の周りに住む側室達でも、あれ程酷い事は面と向かっては言ってこなかったわ」
芽衣は去って行く側室達の後ろ姿を眺めながら、そうですわねと答えた。
「私の個人的な推測ですが、あの方達は、本来後宮に側室として入る筈では無かったのではないでしょうか」
「どういう事? 無理やり後宮に入れられたから、怒っているという事?」
「いいえ、違いますわ。怒るどころか、この僥倖に一族を上げて喜んでいる筈ですわ」
そう言うと、芽衣は静麗を促して歩き出した。
「あの方達は、本来であれば貴位が低すぎて側室として後宮へ入ることなど出来なかった筈です。ただ、先の疫病で皇帝陛下や、皇太子殿下の側室となられていた、高位貴族の方々は多くが亡くなられました。そして、残ったのは、そこから漏れていた、ほんの僅かな高位貴族の姫君達と多くの低位貴族の姫君達です。でも、今の後宮には多くの側室が必要となりますわ。だから、本来なら侍女や、女官となるような低位の姫達も側室として召し上げられたのではないでしょうか」
「そうなの。……疫病の影響はこんな所にも出ているのね。……でも、何故私に辛くあたって来るの?」
静麗は芽衣と共に歩きながら、以前から疑問に思っていたことを聞いた。
芽衣は先程の側室達の態度に、静麗が思ったほど傷ついていない事に安堵して続けた。
「おそらくですが、あの方達は、自分達よりも下位の存在である静麗様を貶めることで、自分の存在を誇示したいのではないでしょうか。銀星門の周りに住んでいらっしゃる側室様方のように、高位貴族に嫁いだり、あるいは後宮に入れるようにと、幼い頃から厳しく躾けられてこられた訳では無いでしょうから。高位の貴族の姫達は、幼い頃からの教育によって、御自分の感情を律することも出来ますが、あの方達はそうは見えませんでしたわ」
芽衣の話に、貴族といっても中には色々な人達が居るのだと静麗は知った。
今までは、全てを貴族という一括りで見ていたが、確かに皇后娘娘や、貴妃様達は特別な存在だったのだろう。
「ねぇ、芽衣。皇后娘娘も、幼い頃から教育を受けてきていたのかしら」
「えぇ、勿論ですわ。あのお方は、元々は皇太子妃となられる予定でしたから、普通よりも厳しい教育をお受けになられていた、才女でもあるとお聞きしておりますし、人柄も大層良いというお話でしたわ」
「そう……」
芽衣の言葉に皇帝陛下と横に並び立つ皇后娘娘の顔を思い浮かべた。
―――平民だった皇帝陛下の側に、そんな高貴な才女が居てくれるのなら、きっと陛下が困った時には助けてくれるのね
静麗は天気の良い空を見上げた。
―――良かったね。……………浩然……
静麗と芽衣の二人は寄り添って歩き、月長殿のある橄欖宮の中へと入って行った。
その姿を遠くから女官長がじっと見ていた事には二人は気付かなかった。
◇◇◇
其れからの日々も、静麗は月長殿で芽衣と二人変わりなく過ごしていた。
皇帝陛下の後宮内での行いを見たり、噂話を耳にして、どうしても辛くなった時には芽衣や伝雲に話を聞いてもらい、苦しさを溜め込まないようにした。
偶に後宮内で会う低位の側室には虐げられるものの、それ以外は何も起こる事は無く、表面上は静かに時間が過ぎていった。
そんな一見穏やかな日々を過ごしていた静麗達に、驚愕の知らせが届いたのは、下位貴族の側室達が静麗の近くの宮に入ってから半月後の事だった。
静麗を蔑んでいた下位の側室の一人が後宮より退去したという話だった。
その話を芽衣から月長殿の居間で聞いた静麗は驚き、目を見張った。
―――後宮から出る事が出来た側室が、居るの―――?
静麗は蒼褪めて自分を見つめる芽衣の顔を茫然と見返した。




