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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第四章

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八. 心火

 


 静麗ジンリーは其れから後宮の催しには最低限ではあるが、出席をする様になった。

 後宮では、静麗が考えていた以上に行事や宴が多く開催され、月に三度四度と出席を余儀なくされた。

 だが、宴や行事に出席する静麗のその顔には何の表情も浮かんでおらず、他の側室達や侍女の蔑む視線にも目を伏せて、まるで人形のように無表情で流していた。




 しかし、皇帝陛下がご光臨される宴や行事では、無関心を装えるような余裕がある筈も無く、静麗は何も見たくないし見られたくないと、他の側室達から一歩下がった、人目につかない場所を選んで出席する様にしていた。

 側室やその侍女達も静麗を宴の端に追いやり、皇帝陛下や皇后娘娘の目に留まらぬようにと、平民の側室が陛下の寵愛を得られないように邪魔をしようと画策していた。

 その為、静麗は皇帝陛下と皇后娘娘や、側室達が宴を楽しむ姿を見ずに済んだし、きっと皇帝陛下も、静麗がその場に居ることにすら気付くことは無かっただろう。




 しかし、そうして後宮内を、以前まだ誰も入宮していなかった時の様に出歩くようになった静麗は、後宮の彼方此方あちこちで心を潰される現実を見せつけられる事となった。




 ◇◇◇




 故郷への手紙を送るため、そして故郷からの手紙が届いていないかを確かめるために、静麗は芽衣と共に女官長の元を訪ねようと長い回廊を歩いていた。

 本来そんな雑事を女官長に尋ねるのは気が引けるのだが、余りにも返事が遅いため、何か後宮内で手違いがあるのではないかと考え、女官長を訪ねることにしたのだ。


 だが、残念ながら女官長は部屋に不在だった為、静麗達は女官長が戻ってくるまで、銀星門の近くの庭園で待っていることにした。

 庭園に向かって回廊を歩いていると、静麗の目指すその場所には人が溢れているのが遠くからでも分かった。

 静麗は回廊の端で足を止めて、遠くからその光景を見つめた。






 静麗が見つめる先では、皇帝陛下が、己の子を懐妊した皇后娘娘と仲睦まじく庭園を散策し、労わる様にその腰を抱く姿が、遠くからでも良く見えた。

 二人は回廊から静かに見つめる静麗に気付くことも無く、寄り添い、微笑み合いながら庭園を歩いている。


 皇帝陛下の御子を、一番最初に孕んだ正妻だという自負に溢れ、輝くばかりに美しい皇后娘娘は、身体を締め付けることの無いように、ゆったりとした衣装を身に纏っていた。

 二人の周りには距離を置いて侍女や近衛武官が多数控えていた。

 この大国を統べる天子様と、その後継ぎとなるかもしれない御子を宿した皇后娘娘の警護だ。

 以前見た、側室との逢瀬の時よりも、遥かに厳重で、誰も二人には不用意に近づくことも出来ないだろう。


 そんな、大勢に守られ、傅かれている皇帝陛下と皇后娘娘の寄り添う姿は、まるで天上の住人の様に美しく、誰も侵すことの出来ない空気が二人を包んでいるように感じ、静麗は激しく痛む胸を抑え、目をそらした。







ジィァン貴人様。このような場所で何を成されているのですか」


 静麗が皇帝陛下達の仲睦まじい様子を見ておられずに眼を背けた時、背後から声が掛かった。

 振り返るとそこには女官長がきつい眼差しで静麗を見ていた。


「女官長様。……私、女官長様にお聞きしたいことがあって、先程部屋まで訪ねたのです」


 女官長のまるで非難するような視線から顔を俯けて逃れた静麗は、小さな声で訴えた。


「あの、……故郷からの手紙が、未だに一通も届かないのです。何か御存じでは無いでしょうか?」


 静麗の言葉を聞いた女官長は目を細めると、小さく首を傾げた。


「さぁ? 私は存じませんわ。故郷の方々が、手紙を出していないのでは?」

「そんな筈はっ」


 顔を上げて女官長の目を見た静麗は、唐突に理解した。


 故郷からの手紙は、皇城へと届いていたのだと。

 ただ、其れらは、静麗の手に渡ることは無いのだと―――


 静麗はその事に気付くと、悲しみと悔しさで目の前が暗くなるような感覚に囚われた。




 ◇◇◇




 其れからも、後宮内で静麗は何度も皇帝陛下と側室達の逢瀬を見ることとなった。


 以前庭園で遭遇して、静麗に苦言を呈した貴妃と、皇帝陛下が長椅子に共に座り談笑しているのを、遠く離れた回廊から見かけた。

 貴妃はじっと見つめる静麗の視線に気付くと、束の間静麗を見た後、己の腹を優しく撫でながら皇帝陛下にしな垂れかかり、その耳元で何かを囁いた。

 皇帝陛下は少し首を傾げた後に目を僅かに瞠り、静麗の方へ顔を向けようとしたが、静麗はその前に回廊から立ち去った。


 遠くから皇帝陛下達を見ていた事を知られたくないと思った。



 更には、蓮の花が咲く美しい池で側室達数人と舟遊びに興じていたり、毎回違う側室達を侍らせて庭園を散策していたり、時には四阿や回廊の影で隠れるように側室と抱き締め合っているのも、静麗は遠くからただ静かに見詰めていた。



 皇帝陛下を見たくないと思うのに、月長殿から出ると、知らず知らずのうちに目が皇帝陛下を探してしまう。

 そして、他の女性を妻として扱う皇帝陛下の姿を見つける度に、夫の裏切りを目にする度に、深く傷ついては、月長殿へと帰って行く。


 その度に静麗の心には、本人も気づかぬ程少しずつ嫉妬や憎しみの思いが降り積もって行った。 





 ―――浩然ハオランは、皇帝陛下となって、至高の存在である天子様として、美しい妻達を沢山娶って、後宮で辛い思いをしている私の事など、最早もはや思い出すこともないのね―――




 静麗は唇をぎりっと噛みしめ、俯くと踵をかえした。






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