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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第四章

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六. 懐妊

 



「………麗様、……静麗ジンリー様。お気を確かに」






 芽衣ヤーイーの声が遠くから聞こえる。




 静麗はぐらりと倒れ掛かった身体を、芽衣に後ろから抱き抱えられている事に気付いた。

 芽衣の身体の温もりを感じた途端、静麗の身体はガタガタと震え出した。






 ―――ああああああぁあ!!!―――懐妊っ、…浩然ハオランの子を!!―――皇后が、浩然の子をっ!!!!!





 皇后娘娘の祝宴が何の為に開かれているかを知った今、この場で共に祝う事など出来る筈も無い。

 静麗は芽衣の腕にまるで縋り付く様に、きつく握り締めた。


「芽衣、芽衣。お願い。帰りたい、帰りたいの。月長殿へ戻りたい」

「静麗様」


 激しく震える静麗の様子に、芽衣もこのまま此処ここに居てはまずいと感じ、頷いた。


「解りました。帰りましょう。蝶貝宮までは参っているのです。皇后娘娘に対して、最低限の礼儀は果たしましたわ。体調不良を理由に退席させて頂きましょう」


 芽衣は後方に控えていた桃簾殿の侍女を振り返り、退出させて欲しいと頼もうとした。

 その時、先程のざわめきよりも更に大きなどよめきが宴席に起こった。


 何事かと芽衣が驚いたとき、野太い男性の大きな声が聞こえてきた。




「皇帝陛下の御成りである!! 頭を下げよっ」




 芽衣の腕の中から、ひっ、という息を吸う音が聞こえた。

 静麗の震えは益々激しくなっている。

 とっさにそんな静麗を抱えて立たせると、芽衣は後ろの侍女に小さくも鋭く言い放った。


ジィァン貴人は体調を崩されました。他の方々のご迷惑となりましょう。我等は此れにて失礼させて頂きますわ」


 芽衣の後ろで全てを見ていた侍女も、静麗の様子がおかしいのは解っていたのか、直ぐに頷くと誰にも見つからないようにと先導をしてくれた。



 退出する二人の後ろから、皇后娘娘ご懐妊を慶ぶ声が、そして皇帝陛下へとご懐妊を言祝ことほぐ声が、幾つも追いかけてきて静麗の心を後ろから突き刺した。





 ◇◇◇





 皇后娘娘の懐妊を祝う宴の席から静麗と芽衣は逃げるように退出すると、月長殿を目指した。

 全ての側室が蝶貝宮 桃簾殿へと集まっている今、後宮内を歩く者はほぼ居ない。

 静麗を抱きかかえるようにして歩いていた芽衣だが、ただの侍女である芽衣には、長い距離を静麗を支えて歩くのは無理があった。

 月長殿に近い回廊でとうとう力尽きた二人はその場に崩れるように座り込んだ。

 静麗は、その衝撃にか、其れまでずっと耐えていた涙を溢れさせ、まるで小さな子供の様に泣き声を上げた。



浩然ハオラン、うぇ、…ひっく……浩然、浩…然、ぅうっつあああぁあああああ!!!」

「静麗様、静麗様」



 日の光が差し込み、紅い欄干が美しく映える回廊に倒れ伏し、その場で泣き崩れる静麗。

 芽衣はそんな静麗に対して、言葉を掛けることが出来無かった。

 静麗ににじり寄り、横からその身体に覆い被さる様に抱き締めて、ただその名を呼び、背を、身体を擦り続けた。




 後宮に入って来る貴族の姫達は、幼い頃から貴族社会で育っている為、一夫多妻を当たり前の事だと割り切っており、後宮で皇帝陛下の寵愛を競い合おうとするだろうが、静麗は平民の少女だ。

 婚儀の相手はたった一人の愛する人で、相手にとっても唯一の妻であった筈だ。

 その愛する自分の夫が、目の前で他の女性と子供を設けたなど、このまだ十六歳でしかない少女には受け止められないことだろう。

 我々皇城の人間は、どれだけ酷い仕打ちをこの少女にしたら気が済むのだろう。

 せめて、皇帝陛下が即位されたあの時に、故郷へと帰してあげていれば、此処ここまで静麗を追い詰める事は無かっただろう。

 芽衣は何も出来なかった自分に、自責の念に駆られて俯いた。








「侍女殿? 其方そちらはもしや蒋貴人では?」


 静麗の泣き声が、大きく悲痛な声から、引き攣ったような小さな呼吸音のようなものに変わった頃、後ろから落ち着いた低い声が掛かった。

 突然掛けられたその声に驚き、芽衣は顔を上げた。

 其処そこには橄欖宮一帯を警護している グゥォ 伝雲ユンユンの姿があった。

 伝雲は静麗と芽衣の様子を見てとると、微かに眉を寄せ、直ぐに跪いて静麗を抱き上げた。


「郭様?!」


 突然の伝雲の行動に驚き、大きな声を上げた芽衣に伝雲は大丈夫だと微笑んだ。


「月長殿は直ぐ其処そこです。これぐらいの距離なら私でも蒋貴人を落とすことなく運べますよ」


 そう言うと静麗を抱き上げたまま踵を返し、颯爽と歩き出した。

 芽衣は慌ててその後を追う。

 静麗はその腕の中で、小さく嗚咽を漏らしながら、涙を流し続けていた。





 ◇◇◇





「郭様、ありがとうございました。私一人では静麗様を無事に月長殿までお連れ出来たかどうか分かりませんわ」



 伝雲は静麗を寝台の上に寝かせると、後を芽衣に任せて居間で待っていた。

 泣き疲れて眠った静麗の装飾品を外し、寝衣に着替えさせると、芽衣も居間に戻り、伝雲に丁寧に頭を下げて感謝した。


「いいえ、侍女殿。それよりも、蒋貴人はどうされたのです? あのような場所で御側室が泣き崩れるなど」

「それが、……皇后娘娘の宴にご出席をされて、……」

「あぁ、ご懐妊を知らされたのですね」


 芽衣は驚いて顔を上げた。


「御存じだったのですか?」

「ええ。我々警護の者にはかなり早くから通達がありましたから。陛下の御子を身籠られておられる皇后娘娘をどんな事からもお守りせよと」

「……そう、ですわね。これで皇子殿下が御誕生なされれば、皇族の御血筋が保たれるのですもの。……でも、皇后娘娘は皆に守られていますが、静麗様は、誰からも守られずに、たった一人でこんな、後宮の最奥に押し込められているというのにっ」


 芽衣は悔しそうに、目に涙を滲ませた。


「侍女殿」

「……申し訳御座いません。今の言葉はお忘れください」


 伝雲に言っても、それはただの八つ当たりでしか無いのに、口に出さずにはいられなかった。


「侍女殿、蒋貴人は一人ではありませんよ。貴女が側に居るではありませんか。それに、私も出来る限り目を配っておきましょう」


 伝雲は芽衣の不躾な態度には何も言わずに、静麗に気を配ると約束をしてくれた。

 芽衣はそれに対して、二重の意味で礼を言い、頭を深く下げた。


「有難うございます。郭様」

「いいえ。此れも職務の内です。お気になさらずに、侍女殿」


 伝雲は、落ち着いた態度で芽衣に礼を返した。

 そんな伝雲に、芽衣は少し逡巡すると思い切って告げた。


「あの、……郭様。……どうか、どうかお願いでございます。静麗様の事も守って差し上げて下さいませ」


 芽衣の必死の訴えに伝雲は少し驚いたような顔をした後、頷いた。


「ええ。出来る範囲で守らせて頂きます。ただ、我等武官には優先順位がある。それはご理解頂きたい」

「はい。それでも構いません」


 何度も涙声で頷く芽衣に、伝雲はにこりと微笑むとその肩を優しく叩いた。


「蒋貴人は本当に良い侍女をお持ちだ。侍女殿、いえ、……芽衣殿が側に居れば、孤独になることも無いでしょう」


 伝雲はそう言い残すと、任務に戻る為に月長殿を後にした。






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