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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第四章

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五. 祝宴

 


 大国寧波ニンブォの、後宮の主である皇后娘娘の住まう殿舎、蝶貝宮 桃簾殿。


 その桃簾殿を目指して静麗ジンリー芽衣ヤーイーの二人は、後宮の最奥にある月長殿から長い道程を歩いていた。

 季節は緩やかに移行し、静麗の故郷の雅安ヤーアンほどではないが、皇都も暖かというより、暑い日も多くなってきていた。

 静麗達はそんな天候の良い中を二人で歩く。

 本来、皇帝陛下の側室ならば、散策でもない限りは馬車や輿に乗って後宮内を移動するのだが、静麗にはそれらを用意することは出来なかった。

 もともと輿などという大層な物に乗る積りも無かった静麗だが、それ以前に静麗には馬車や輿を購入する金子も無く、それらを運ぶ人員も用意出来なかった。

 朝廷から側室としての禄は受け取っていたが、それらは今着けている装飾品を購入するだけでほぼ無くなってしまった。

 女官長や朝廷に頼めば輿も用意してもらえたのかもしれないが、静麗は自分が皇帝陛下の側室となった事は、未だに認めることが出来ていなかった。

 そんな自分が、朝廷に願い出ることなど出来ないし、側室としての見栄を張る必要なども感じなかった。

 平民の自分は歩いて行くのが当然と、黙々と歩き続ける。

 芽衣は何も言わずに静麗に付き従い、同じように長い距離を歩いてくれた。



 以前、誰も入宮していない頃に、後宮の正門である銀星門のあるこの辺りに来たことはあったが、蝶貝宮の中に入るのは初めての静麗は、その宮の荘厳な様子に目を見張った。

 流石、大国の皇后娘娘が住む宮だと思わせるだけの素晴らしい建物だ。


「……凄いわね。今まで見てきた後宮のお屋敷の中で、一番大きいわ」


 静麗は巨大な蝶貝宮の門を一歩入った場所で、思わず感嘆した声を出した。


「静麗様、彼方あちらのようですわ」


 荘厳な建物に圧倒されている静麗を芽衣の声が引き戻す。

 芽衣の指さす方を見ると、宮の中にある美しく整えられた庭園の一角に、大きな舞台が設置されており、其処そこで催しが出来るようになっていた。

 その舞台を囲むような形で三方には色鮮やかな絨毯や、黒檀に螺鈿が施された長卓、揃いの椅子が幾つも並べられていた。

 椅子の後ろには巨大な傘も設置され、外で行う宴で側室達が陽に焼けないようにと配慮されていた。

 その宴の規模の大きさに、静麗は早くも帰りたくなってしまった。


 静麗は自分の装いを見おろした。

 この日の為に、芽衣が少ない静麗の禄から見繕ってくれた物だが、きっとこの宴に出るにはまだ相応しい装いではないだろう。



 ―――でも、私は側室になりたくてなった訳でもないし、皇帝陛下の寵愛を側室達と競う気も無い。この格好だって、芽衣が私の為に用意してくれた物よ。誰にも恥じることなんかないわ



 静麗は芽衣に誘導され、皇后娘娘が住まう宮の美しい庭園に足を踏み出した。 






 庭園の中に用意されていた宴の場には、既に多くの側室達が集まっており、椅子に座って談笑していた。

 色とりどりの豪華な衣装を身に纏い、美しい装飾品を無数につけた側室達のいる一画は、まさに大国寧波(ニンブォ)の皇帝陛下の後宮に相応しい百花繚乱の華やかさだった。


 その数多いる皇帝陛下の側室達を見た静麗は、小さく唇を噛みしめ顔を俯けた。



 ―――今は余計な事を考えては駄目よ、静麗。この宴を無事に乗り切ることだけを考えるのよ



 側室達から目を逸らした静麗は、必死に自分に言い聞かせた。

 そうしていないと、此処から一歩も踏み出せなくなってしまいそうだ。

 そんな静麗を心配そうに芽衣は見つめていた。



「静麗様。静麗様の御席は彼方あちらだそうですわ」


 蝶貝宮に勤めている侍女の案内で、庭園の中を指定された席まで歩いていた静麗達だが、周りがいつの間にか静まり、皆が此方こちらを見ている事に気付いた。


 扇を広げてひそひそと話をする者や、眉を顰めて見る者、蔑むような視線を贈る者。

 側室やその侍女達の無数の視線を感じて、静麗は必死に無表情を装い、激しくなる鼓動を宥めて侍女に先導された席まで芽衣と共に歩く。

 側室達のその視線で、皆が平民の側室である自分の事を知っており、やはり自分は後宮ここでは歓迎されない存在なのだと再認識した。

 なりたくてなった訳でもないのに、何故こんな蔑まれたような視線を受けなくてはならないのかと、悔しい思いを噛みしめ、しかし平民の静麗にはただ耐えることしか出来ない。



 そうして案内された席を見た芽衣は息を飲んだ。

 静麗の席は、皇后娘娘の座る上座からは一番遠く、また、隣との間に大きな鉢植えの樹木が置かれており、上座からも、何処どこからも見えない位置となっていた。

 まるで、静麗一人を隔離するような席に、芽衣は表情は変えずに、その両手をぎゅうと握り締めていた。


 二人の様子を側室達は興味深く見ているようだった。

 中には侍女達と、くすくすと静麗の事を嘲笑っている者も居た。


 だが、静麗にとっては、有り難い席であった。

 誰とも話をしたくなかったし、誰の顔も見たくなかった静麗にとっては、一人きりのこの席は嬉しいだけだ。


 席に着いて側室や侍女達の視線から解放された静麗は、大きく息をついて肩から力を抜いた。 

 そうして宴の始まりを待っていたが、ふと、思い出したように後ろに控えてくれていた芽衣を振り返った。


「ねぇ、芽衣。今日は祝いの宴と聞いていたけど、何のお祝いなのかしら? 皇后娘娘の誕生日はもう終わっている筈だし」

「そういえば、何の祝いかは聞いておりませんわね」


 芽衣も首を傾げた。

 その時、小さくざわめきが起こり、静麗からは見えなかったが、上座に皇后娘娘が現れたようだ。

 宴席の周りに多数いた侍女達が皆平伏しているので、間違いないだろう。

 周りの様子を見て、どうせ皇后娘娘達からは見えないのだろうが、自分も平伏した方が良いだろうと、両手をついて頭を下げた。


 皆が頭を上げた後、一拍遅れて静麗も頭を上げて前を向くと、一人の侍女が舞台に進み出てきて優雅に一礼をした所だった。


 皇后娘娘の侍女は、先日の使いの女性といい、今舞台に上がった女性といい、皆が美しいなとぼんやりと考えた時、侍女はにこやかに祝宴の開始を告げた。




「本日は、皇后娘娘ご懐妊の祝宴で御座います。皆、皇帝陛下と皇后娘娘にお喜びを申し上げ、此れからも陛下の御代が末永く続く様に、お二人に忠義を尽されますように―――」










 その言葉が、静麗の耳に届いた時―――静麗の身体からは急に力が抜け、視線がぐらりと歪んで暗くなり、何も、……何も分からなくなった――――――






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