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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第四章

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四. 招請

 


 貴妃と庭園で遭遇したことにより、また静麗ジンリーの様子が不安定になることを心配していた芽衣ヤーイーだが、静麗は普段と変わらぬ様子を見せた。

 それが、無理をしているのか、本当に大丈夫なのかは、まだ数か月しか一緒に居ない芽衣には判断が付かなかった。



 そんな、ある種の緊張を孕みながらも、平穏な日々が続いていたある日、一人の侍女が月長殿を訪れた。

 芽衣に先導されて現れたのは、二十代半ばに見える美しい女性だった。


 女性は静麗の前まで歩み寄ると、丁寧に側室に対する礼を行い、蝶貝宮は桃簾殿から来たことを告げた。

 桃簾殿というと皇后娘娘がお住まいの殿舎だ。

 という事はこの女性は皇后娘娘からの使いの侍女という事になる。


 静麗と芽衣はごくりと唾を飲みこみ、何を言われるのかと緊張の面持ちで侍女が口を開くのを待った。


ジィァン貴人様。二日後に蝶貝宮内の庭園にて、祝いの宴が行われます。皇后娘娘は後宮に住まう全ての御側室方をお招きすると仰せられておりましたので、蒋貴人様もその御積りでご準備を整えられて下さいませ」


 侍女は優雅に頭を下げながら涼やかな声で静麗に告げた。


「宴……ですか」


 静麗は詰めていた息を、そっと吐きだした。


 皇后娘娘からみた静麗は、きっと、とてつもなく目障りな存在の筈だ。

 後宮の主である皇后娘娘。

 自分が君臨する後宮に、平民の側室が混ざっているなど、それも、皇帝陛下の平民時代の夫人など、面白い筈が無い。

 何か、酷い事を言われるのではないかと身構えていた静麗は、宴と聞き安堵の息を吐いた。


 だが、ふと気付く。

 自分の様な平民が、皇后娘娘主催の宴で、皇帝陛下の側室である貴族の姫君達が集まるような場に出るなどと、なんと恐ろしいことか。

 蒼褪めた顔で、ぶるりと震えた静麗は、芽衣に助けを求める視線を送ったが、芽衣は無情にも首を横に振った。

 これは、後宮に住む者としては断る事など出来ない誘いという事なのだろう。

 貴族の姫君達という雲の上の存在も恐ろしいが、何よりも、祝宴に集まる皇帝陛下の、浩然ハオランの妻である側室達など見たく無い。

 だが、断る事など出来ないのは、芽衣の顔を見たら分かった。

 静麗はぎゅっと眼を瞑り、手をきつく握り締めた。


 そうして覚悟を決めて、侍女に恐る恐る返事をした。


「……解りました。参加させて頂きます」

「では、私はこれで失礼いたしますわ。他の殿舎にも回らなくてはならないので」


 断られることなど考えても居ない様子の侍女は、にこやかに微笑み、静麗に退出の挨拶を述べた。

 芽衣が侍女を見送る為に居間から共に退出すると、静麗は長椅子に頽れた。



 ―――どうしよう。私なんかが、お貴族様方が集まるような場所に行ける訳がないのに……



 それに、と静麗は身を起こすと暗い顔で俯いた。



 ―――側室様達は皆、浩然の妻という事…………浩然と、夫婦として過ごしてきた人達が沢山いる場所へ、私も行くの?―――此れからも、こんな思いを何回もしないといけないの?



 静麗は胸元の服を握り締めて、芽衣が戻ってくるまで一人項垂れていた。





 ◇◇◇





 雨が降ればいいと願っていた皇后娘娘の宴の日は、稀に見る快晴だった。



 皇帝陛下即位の儀と、皇后娘娘冊立の日からは、既に三月みつきに近い日々が過ぎていた。

 後宮で此れからも過ごすためにと、少しずつではあるが前向きになっていた静麗だが、今日だけは雨が降って祝宴が無くなる様にと願っていた。

 まだ自分が側室となったことも、受け止めきれていないのに、皇后娘娘主催の宴に出るなど出来る事なら避けたかった。



「私、日頃の行い悪かったのかしら」

「静麗様?」


 恨めし気に空を見上げる静麗に芽衣が不思議そうに声を掛けた。


「何でもないわ」


 静麗は芽衣の促しに従い、何時いつもよりも華やかな衣装に身を包んだ。

 そして、何時もはしない薄化粧を施され、最後に装飾品を着けられた。


 装飾品など、夫に贈られた二本の簪と、芽衣から誕生日に贈られた髪飾りしか持っていなかった静麗だが、芽衣が側室の禄を使って買い揃えてくれた。

 耳飾りや、腕輪など、じゃらじゃらと飾り立てられていく静麗は溜息を堪えた。



 ―――以前なら、本物のお姫様の装いに大はしゃぎしていたでしょうけど、今は全く嬉しくないわ



「静麗様、髪飾りはどうされますか?」


 芽衣の声に、一瞬夫の簪が頭を過ぎったが、首を振って追い出し、芽衣が持っている箱の中から緑の玉が付いた可愛い髪飾りを選んだ。


「これがいいわ」

「そうですわね。此方こちらでしたら今日の御衣装にも似合いますわ」


 芽衣はそう言うと、華やかに結い上げた髪にそれを差してくれた。


「これで、大丈夫ですわ」

「芽衣、……」


 静麗はこの二日間で、宴に出るための行儀作法を芽衣に叩きこまれていた。

 ただでさえ平民と侮られているのだから、付け入る隙を出来るだけ無くす努力をしなければいけない。

 でも、そんな付け焼き刃が通用するとは思えず、不安で一杯だ。

 皇后娘娘や側室達が、静麗に対してどんな態度で接してくるか分からないし、静麗も夫の妻となった姫君達に対して、どのような顔で、態度で接していいのか分からない。

 悲しみと嫉妬から無様な態度を取らないように、心を強く持っていなくてはと、静麗は自分に言い聞かせた。


「静麗様。私も直ぐ後ろに控えておりますから」


 励まし、宥める様にいう芽衣に不安な面持ちで頷くと、静麗達は二人で月長殿を出て、皇后娘娘の住まう蝶貝宮へと向かったのだった。




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