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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第四章

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三. 正論



 静麗ジンリーは漸く月長殿の有る橄欖宮から外へと出ることが出来るようになっていた。

 とはいっても、比較的近くにある庭園までで、それ以上先へは未だに行くことが怖い。

 その先の宮には既に多くの側室達が入っている筈だ。

 月長殿の周りにある殿舎は未だに空いているが、何時いつまでもそういう訳にはいかないだろう。

 何時かは、位の低い貴族の姫君達がこの辺りの宮に入って来るのだろう。

 その時に心を乱すことの無いように、今から覚悟をしておかなければならない。




 その日も芽衣ヤーイーと二人で月長殿から出て、綺麗に手入れされている花園を見に行くことにした。

 伝雲ユンユンも居ないかと辺りを見回したが、生憎今日は別の場所に行っているようだ。

 残念に思いながらも、芽衣と二人でゆっくりと小路を歩いてゆく。

 其処そこは、比較的静麗の殿舎からも近いので、余り人が居ない筈だ。

 芽衣と二人で花が咲き乱れる庭園に辿り着くと、其処は予想通り無人であった。


「静麗様、彼方あちらの四阿でお茶にしませんか」


 芽衣が指さした先に小さいが居心地の良さそうな木で出来た四阿があった。


「えぇ。そうね。お願い出来る?」

「はい。直ぐに」


 芽衣はそう言うと、腕に下げていた蔦籠の中から外出用の茶器を取り出した。

 それを用意しているのを横目に、静麗は四阿から出て花壇を歩き、その淵にある大きな岩に腰を下ろして花を見つめた。


 鳥の鳴き声が遠くに聞こえ、爽やかな風が結い上げた静麗の髪を優しく揺らす。

 静麗の髪には芽衣から贈られた髪飾りが着けられている。

 皇帝陛下の側室が着ける物としては、あり得ない程質素な髪飾りだが、静麗は好んで何時も着けていた。

 夫から贈られた二本の簪は見るのも辛くなって、箪笥の奥深くに仕舞ってある。



 静麗が鳥の声に耳を傾け、花を愛でていると、複数の足音が聞こえてきた。

 顔を上げて其方そちらを向くと、一目で高貴な身分と分かる女性と三人の侍女と思しき女性が此方こちらに向かって歩いて来た。

 静麗が気付くと同時に、その四人も此方に気づいた様で、一斉に足を止めた。


 その内の一番年上に見える侍女が此方に歩いて来た。


「あなた、どちらの殿舎の侍女かしら? この庭園は今から彼方あちらにおられる貴妃様がお使いになられます。貴女は直ぐに下がりなさい」


 貴妃と聞いて静麗は蒼褪めた。

 己の意志とは関係なく、側室とされてから、芽衣に後宮の制度の事を少しずつだが教えて貰っている。

 貴妃というのは、皇后娘娘に次いで位の高い側室で、定員は三人だった筈だ。

 貴族の貴一品か二品の大貴族でなければ賜ることが出来ないのが、貴妃位だ。


 そんなお姫様を目の前にして、静麗は固まってしまった。


「聞いているのですか?……あら、貴女……もしや、」


 静麗をじろじろと見た侍女は振り返ると他の侍女に目で合図を送った。

 すると貴妃の周りに侍っていた侍女達がすっと近づいて来て、静麗を取り囲んだ。


「貴女、平民の身で貴人の位を賜ったという女性ではありません?」


 侍女は確信したような口調で問い詰めた。


「あ、あの、私……」


 侍女とはいえ彼女たちもきっと貴族だと思うと、静麗は萎縮してしまい喋ることも出来ない。

 顔を寄せ合いひそひそと何かを囁き合う侍女達。

 そうして、先程の侍女がもう一度口を開いた。


「ねぇ、貴女。恐れ多くも、若くお美しい皇帝陛下には、多くの御側室達が居られますが、我が主である貴妃様は、その中でも特にご寵愛を頂いておりますのよ。貴女の様に、分も弁えずに皇都まで付いてくるような恥知らずな平民は、本来陛下の御側室となる資格など無い事を自覚し、温情をもって貴人の位を授けて下さった陛下や皇后娘娘。そして我が主に感謝なさい」


 黙って聞いていた静麗だが、余りに酷い言い草につい反論してしまう。


浩然ハオランは元々私の夫よ! 皇都へついて来てと言ったのも、浩然よ! 勝手な事ばっかり言わないで!」


 叫んでから、はっとしてその口を両手で抑えて震え上がる。



 ―――どうしよう! 貴族のお姫様達に対して、なんてことを。……私、罰を与えられる―――?



 蒼褪めて震える静麗を取り囲み、侍女達はまぁ! と驚きと憤りの声を上げた。


 それらの様子を後ろから見ていた貴妃は、持っていた扇で顔を覆ってわずかに眉を顰めた。

 侍女達も不快な顔をして静麗を取り囲んでいる。

 そこに、事態に気づいた芽衣が蒼褪めながら、割り込んできて、静麗を庇うように平伏した。


「も、申し訳御座いません。ジィァン貴人はまだ後宮に慣れておられないのです。どうか、ご容赦を」


 それまで黙って侍女の後ろにいた貴妃が静麗の方へと歩いて来た。

 侍女達は黙って道を開ける。

 貴妃は蹲って震える静麗と平伏して許しを請う芽衣を見下ろすと、扇を下ろした。


「蒋貴人。確かに後宮で殿舎を賜っている私達側室は、陛下の妻とも言える立場であり、陛下は夫と呼べるかもしれません。しかし、御正室である皇后娘娘ならいざ知らず、貴人に過ぎない貴女が、陛下の尊い御名を呼び捨て、あまつさえ夫と言うなど、それは余りにも不敬が過ぎます。…………蒋貴人。貴女は陛下が平民であられた頃は、陛下の夫人であったかもしれませんが、其れはもう過去の話です。現実を見なさい。それから、……失礼ですが、貴女の元へは陛下はまだお渡りをなさっていない筈ですわ。その貴女が……後宮で最も位の低い側室である貴女が、陛下の御身に対することを、口にされるものではありませんわ」


 そう言うと、貴妃はどこか呆れた様な表情を浮かべた。


わたくしだったから良いものを、低位の側室達なら、何をされたか分かりませんわよ」


 そう言うと芽衣に目を向けた。


「気を付けた方が宜しいでしょう」


 貴妃はそう言って芽衣に忠告を与えると侍女達を見回した。


「今日は別の庭園に参りましょう」


 貴妃は、それ以上は何も言わずに侍女達を引き連れて庭園から去って行った。

 芽衣は立ち上がると、静麗に駆け寄った。


「静麗様っ、御無事ですか?」


 茫然と貴妃達の去った方を見ていた静麗はこくりと頷いた。

 それにほっと息を吐いた芽衣は静麗の手を取り、立たせながら呟いた。


「でも、本当に、相手が理知的な貴妃様でよう御座いましたわ」

「うん……」




 貴妃のいう事はどれも正論だった。

 例え身分の差が無くとも、何も言い返すことなど出来ない。

 静麗は俯き、手を握り締めると心の中で呟いた。




 ―――でも……浩然は、夫だもの、……本当に私だけの夫だったのよ……



 後宮で初めて、皇帝陛下の妻である、高位の側室と直接対面した静麗は、その気品ある振る舞いに打ちのめされて項垂れた。



 ―――あの人の事も、浩然は…………



「静麗様、戻りましょう」



 芽衣は静麗を抱き締める様に肩を抱くと宮に帰るように促した。








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