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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第三章
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九. 誕生日

 



「ぁ、今日は……」



 皇帝陛下の即位の日から丁度一月が経った日の朝、静麗ジンリーは朝餉の席でぽつりと呟いた。


「静麗様? 今日がどうかされましたか」


 静麗の前に座り、同じ様に朝餉を食べていた芽衣ヤーイーが静麗の呟きに聞き返した。

 静麗はぼんやりとした表情で虚空を見つめた後、芽衣に視線を向けた。


「……今日、私の誕生日なの……」

「まぁ! そうだったのですか。おめでとうございます。では、今日の夕餉は少し豪華にして貰うように、厨房の者に言っておきますわね」


 芽衣は、大げさに聞こえるほどに明るい声を出し、嬉しそうに微笑んで見せた。

 この一月、芽衣は不安定な状態の静麗に常に付き従い、何とか励まそうと努力してきた。

 先日、皇帝陛下と側室の、庭園での逢瀬に遭遇してから、静麗の精神はますます不安定になっているように感じていた。

 今日が静麗の誕生日だというのなら、少しでも気分を上げさせてあげたいし、せめて自分だけでも祝ってあげたいと芽衣は考えた。


「ありがとう。でも、いつも通りでいいわ。居候の私に、これ以上手間を掛けさせる訳にはいかないもの……」


 静麗は口角を小さく上げる様にして笑った。

 明るく、朗らかな静麗の笑顔を知っている芽衣は、そんな静麗の無理をして、引き攣ったような笑いは見ていて辛かった。

 だが、静麗も必死で朝廷や皇帝陛下の仕打ちに耐えているのも解っている。

 芽衣は側に寄り添うことしか出来ない自分を悔しく思った。



 静麗は食事の手を止めて芽衣に顔を向けた。


「ねぇ、芽衣。雅安ヤーアンから、手紙はまだ届いていないのかしら」


 静麗は、後宮に入ってから直ぐと、夫が皇帝陛下に即位して暫く経ってから、両親と祖父母に手紙を出していた。

 思いもよらない事態になった為、静麗だけでは対処出来ないと、どうすればいいのかを相談したかった。

 だが、皇都に着いてから二月近くが経つが、誰からも手紙は届くことは無かった。


「はい、まだ届いておりません……静麗様の故郷の雅安はとても遠いとお聞きしております。手紙が届くのにも時間が掛かっているのではないでしょうか?」

「そう……」


 静麗は、頷くと少し考えて顔を上げた。


「もう一度手紙を書くわ。届けて貰える?」

「はい。直ぐに手配を致しますわ」


 小さく頷くと静麗は食事を再開した。





 ◇◇◇





 誕生日と言っても、何も特別な事をする予定の無かった静麗は、その日も月長殿でぼんやりとして過ごした。

 例年なら両親や浩然が静麗の誕生日を賑やかに祝ってくれて、楽しい一日を過ごしていたのだが、後宮に閉じ込められている今、静麗の側にはたった一人の専属侍女の芽衣しか居なかった。


 いつも通りでいいと言っていたが、芽衣は厨房に頼んで、夕餉を静麗の好物ばかりを作って貰っていた。

 二月ふたつきも共に食事を摂っていたのだから、静麗の好みを把握していてもおかしくは無いが、芽衣のその心遣いが嬉しかった。

 更に、食後には芽衣から髪飾りも贈られ、静麗は嬉しさのあまり、芽衣をきつく抱きしめた。

 贈られた髪飾りは、華やかな後宮で着けるには少し質素な物だったが、静麗にはどんな高価な品物よりも、芽衣の暖かい思いの詰まったこの髪飾りが嬉しかった。







 夕餉の後、静麗は一人で居間の長椅子に腰かけて窓から月を見ていた。

 燭台を一つだけ灯して暗くした部屋には、明るい月光が差し込んでいる。



「綺麗ね、浩然ハオラン……」



 誰も居ない薄暗い居間に、静麗の小さな呟きが落ちた。






 静麗は久しぶりに穏やかな気持ちになることが出来、何時いつしか長椅子に横になり、目を閉じていた。





 ◇◇◇





 静麗は、浩然との婚儀の日の事を夢に見ていた。


 浩然の隣で過ごす、人生最高の日の思い出に、眠りながらも、その口元には小さく笑みが浮かぶ。

 しかし、婚儀の最中にイェンが突然現われ、夫となったばかりの浩然を連れて行こうとする。


「陛下、お迎えに上がりました。さあ皇都へ、皇城へ、陛下の居るべき場所へと帰りましょう。後宮には陛下の御正妻である皇后娘娘や、御側室様方が陛下のお戻りをお待ちして居られます」


 静麗が驚き横を見ると、静麗が心を込めて手掛けた花婿の衣装ではなく、即位の日の豪華な正装に身を包んだ皇帝陛下がいた。


「分かった。参ろう」

「どうして!? 私達、今婚儀を上げたばかりでしょ!? ずっと一緒にいるって言ってくれたじゃない。どうして私を置いて行ってしまうの? どうして私を一人にするの!!」


 涙を流しながら夫に縋り付くと、夫は、……皇帝陛下は冷然と言い放った。


「平民の分際で、余の身体に触れるでない」


 静麗の手を振り払い、閻に導かれて立派な馬車に乗り込む皇帝陛下。

 馬車の周りを近衛武官達が取り囲み、静麗からはその姿が見えなくなった。



「いや、行かないで、浩然! ずっと一緒にいるって約束したじゃない! っつ、嘘つき!! ―――嘘つきっ!!!!」





















「そうだな……俺は嘘つきだ。でも、愛している。……愛しているんだ。………だから、どうか、俺から離れて行かないでくれ…………」



 遠くから浩然の声が、聞こえた気がした――――





 ◇◇◇




 翌朝、静麗が目を覚ますと何時いつもの寝台の中だった。

 静麗は身を起こすと、目元を拭った。

 眠りながら涙を流していたのか、すこしざらざらとした感触がする。


「私、何時いつ寝台に入ったのかしら……それに、変な夢……」



 ―――浩然が今更私に愛しているなんて、離れて行かないでなんて言う筈が無いのに。後宮ここで皇后娘娘の他にも何人も身分の高い側室達を娶って、至高の天子様として栄華を極めているのに……



 静麗は自分の願望が見せた虚しい夢に、眉を寄せて顔を顰めた。

 離れて行ったのは静麗ではなく、浩然の方だったのに。



 ―――なんて、未練たらしい惨めな夢



 静麗は寝台から降りると、着替えをしようと箪笥に向かう。

 初めは一人で着ることも出来なかった、お姫様の様な衣装も今では慣れたものだ。

 襦裙を取り出し、振り返った時に、円卓の上に置いてある二本の簪が目に入った。



 夫から贈られた、既婚者の証の簪。


 皇帝陛下の即位を見た日から、静麗はれを着けるのを止めた。

 いっそ、捨ててしまおうかとも思ったが、どうしても、どうしても出来なかった。


 今は美しい皇后娘娘や貴族のお姫様達に夢中なのだろうが、この簪をくれた時は、確かに静麗の事を愛してくれていた筈だ。

 身に着けることも、捨てることも出来ずに、ずっとこうして円卓に置いてある。


「本当に、未練たらしいわ」


 静麗は小さく吐き捨てる様に言うと、簪から視線を外して寝室から出ていった。






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