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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第三章

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七. 冷遇

 


 皇帝陛下の即位と皇后娘娘冊立の日からほぼ一月が経とうとしていた。


 静麗ジンリーは後宮に来た当初と変わらず、月長殿に芽衣ヤーイーと二人で静かに暮らしていた。





 芽衣が女官長に、静麗の帰郷の決意と、皇帝陛下への伝言を伝えに行った日から数日後には、側室となるべく、貴族の姫君達が続々と後宮に入宮してきた。


 後宮の最奥に位置する月長殿にもそのざわめきは伝わってきて、事前に芽衣から側室達が入る事を聞いていた筈の静麗だが、胸が重苦しくなり、心は不安定となっていった。

 また、覚悟はしていたが、皇帝陛下となった浩然ハオランは静麗に会いに来ることも、事情を説明することもなかった。

 まるで、皇都へは静麗を伴わずに、浩然一人で来たかのようだ。

 静麗と婚姻を結んでいた事実さえも、無かったような朝廷や後宮の人達の態度に、静麗はひどく打ちのめされた。


 浩然が皇帝陛下と成り、皇后娘娘を正室として娶ったことも受け止められずにいた静麗に、帰郷も許されず、次々と入宮してくる側室達のことが受け止められる筈も無かった。

 何度も芽衣を通して、後宮から出たいと女官長と朝廷へ願い出ていたが、この一月の間、許されることは無かった。



 月長殿に閉じこもり、一歩も外へ出ないようにしていても、何処どこからか華やかな雰囲気や、美しい雅楽の音色等が聞こえてくるようになり、側室達の存在をまざまざと感じ取れるようになると、遂に耐えきれなくなった静麗は、女官長に直接雅安ヤーアンに帰してくれるように頼むことを決めた。





「静麗様、本当に行かれるのですか? 女官長の部屋は皇宮にも近い為、あの近くの殿舎には、もう全て側室様方がお入りになっております。きっと、静麗様はお辛い思いをなさいます」

「でも、芽衣。私はもう、後宮ここには居たくないの! 雅安へ帰りたいの! 女官長は私の所へは来てくれないから、私が行って、話をするしかないの……」


 静麗の悲痛な声に、芽衣は迷いながらも承諾し、一緒に月長殿から女官長の元へと出かけることにした。


 以前何度か通った道だが、その時は人も少なく、ゆったりとした時間が流れるような心地よさがあったが、今は、何処どこ彼処かしこも人が溢れ、華やいだ雰囲気が辺りを包んでいる。

 そんな中を、静麗と芽衣は目立たぬように気をつけながら、ひっそりと通り抜ける。




 静麗達が長い回廊を渡っている途中で、すれ違う女官達の話声が聞こえてきた。


「聞いた? 皇帝陛下、昨日は貴妃様をお召しになられて、一昨日は新しく入られたばかりの貴人様を召されたのですって」

「まあ! 後宮に側室様方が入宮されてからは、ほぼ毎日ではなくって? さすがに若い皇帝陛下ですわ。この調子だとすぐに御子もお生まれになるわね。良かったわ。これで皇家も安泰よ」

「そうね。でも、……皇后娘娘は複雑ではないかしら? 初夜の儀ではあんなにご寵愛を頂いたのに、その後は他の御側室方を一通りお召しあそばされているようだし」


 女官達は興味深そうに、そう言った女性を注目した。


「ねぇ、皇帝陛下と皇后娘娘の初夜を知っているの?」


 聞かれた女性は得意そうに答えた。


「ええ。皇后娘娘の初夜の儀の、寝ずの番が、丁度私の相部屋の子でね、教えてくれたのよ。皇帝陛下は皇后娘娘をそれは御寵愛なされたそうよ。朝まで離さなかったと言っていたから、相当よ」


 きゃぁ、と女官達が華やかな悲鳴を上げた。






「静麗様、行きましょう」


 女官の話に足が止まり、動けなくなっている静麗を、芽衣は優しく押して促した。

 静麗はぎこちなく頷いて、足を踏み出した。



 ―――浩然が多くの側室達を娶った以上、他の女性達と夫婦として過ごしていた事は、解っていたはずでしょう、静麗。……浩然は、あれから一度も、私には会いにも来てくれない。……もう、私の事は必要じゃないのよ。それに、芽衣だって辛い思いをすると忠告してくれていたのに。これぐらいの事で、動けなくなるなんて、情けない。もっと、毅然としなさい、静麗! そうよ、冬梅御義母様の様な強い女性になるんでしょう!!




 静麗は何とか自分を鼓舞しようと、涙を堪えて必死に歩き続けた。




 ◇◇◇




「お久しぶりですわね。ジィァン様。今日は何用ですか」


 訪ねてきた静麗と芽衣に対し、女官長は視線を向けると、何時いつもの抑揚のない声で尋ねてきた。

 静麗は、この女官長の目が苦手だと感じた。

 感情が出ることの無い顔の中で、唯一その一端が垣間見えるが、それは、好意的なものでは無い事ははっきりとしている。

 しかし、それは静麗も同じ事だ。

 否、静麗の方こそ、女官長に対しては激しい憤りを感じている。

 だが、ここでそれを表に出して、女官長の機嫌を損ねることが悪手であることはさすがに分かっている。

 平民の静麗では、どんな理不尽な扱いを受けていても、それを口に出して糾弾することは出来ない。

 静麗は悔しい思いを飲み込んで、女官長に願い出た。


「あの、芽衣からも以前伝えて頂いたと思うのですが、私は雅安に帰りたいのです。皇城ここに、皇帝陛下は必要なのでしょうけど、私が居る意味なんかないと思います。其れどころか、私は、後宮ここでは何の役に立たない邪魔者の筈です。どうか、女官長様からも私の帰郷を許す様に、後押しして頂けませんか」


 女官長は静麗と芽衣の二人を見つめると、小さく首を振った。


「残念ですが、これは朝廷の決定です。私一人が口添えしたところで何も変わらないでしょう。蒋様には今しばらく、月長殿にて過ごして頂きます。皇帝陛下に御子が出来れば状況も変わってくるでしょうから、それまでは大人しくしていて頂きたいものですわね」

「そんなっ、……酷い! 私に後宮ここで、浩然が他の女性と子供を作るのを、見ていろと言うのですか!!」


 静麗の叫びに女官長は眉を顰めた。


「蒋様、恐れ多くも皇帝陛下の御名を呼び捨てされるなど、許されることでは御座いません。陛下の御名をお呼びすることが出来るのは、御正室である皇后娘娘のみです。お気をつけくださいませ」



 静麗は女官長の言葉に茫然とした。




 ―――だめだ……此処にいる人達は、私の事なんか本当にどうでもいいと思っている。好きに動かせる駒のようなものなんだ。話が、通じない……






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