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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第三章

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六. 至当

 


 翌日、芽衣ヤーイーは月長殿を出て、一人で後宮の長い回廊を重い足取りで、俯き加減に歩いていた。

 静麗ジンリーから託された言伝を女官長に、そして皇帝陛下にお伝えするために、また、静麗が故郷へ帰る決意をしたことを伝える為に、皇宮に近い場所に有る女官長の部屋を目指していた。




 一昨日、皇后娘娘が後宮の主として入宮を果たしたことで、銀星門に近いこの辺りは、何処どことなくざわついた様な、華やいだような、複雑な気配が漂っている。

 皇帝陛下のお渡りをお受けした皇后娘娘の宮では、さぞかし喜びに包まれている事だろう。

 芽衣は苦い顔をして、周りを見回した。


 ふと、目線を上げると、皇后娘娘の住まう、蝶貝宮 桃簾殿 以外の宮や殿舎にも、多数の女官や侍女が出入りしている。


 まさか、と顔を強張らせた芽衣は、近くを通りかかった女官に尋ねた。


「あの、この辺りの殿舎は随分騒がしいですが、どうかされたのですか」

「あら、貴女知らないの? 皇后娘娘との御成婚が無事に執り行われたから、次は御側室となる為に、貴妃の位を授けられる姫君が三人と、妃の位の六人がもうじき後宮にお入りになられるのよ。取りあえず、身分の高い姫君達が陛下の宮に近いこの辺りの殿舎にお入りになるから、その準備よ。それが済めば次は、嬪の位の十人の御側室がお入りになって、最後は貴人の位の側室様ね。……ふふっ、皇帝陛下はまだまだお若いから、定員の無い貴人様は一体何人お召しになられるのかしら。後宮は此れからどんどん華やかになるし、楽しみだわ」


 女官は嬉しそうに詳しく説明してくれるが、芽衣は眩暈を覚えた。


「そんな、いくら何でも、早すぎではないの?! 皇后娘娘がお入りになったばかりなのに」


 芽衣の蒼褪めた顔を、女官は不思議そうに見て首を傾げた。


「そうかしら? 今この寧波ニンブォで、皇位を継続させることが出来るのは、現皇帝陛下のみなのよ? それを考えたら、少しでも早く、多くの御側室方を後宮に召されて、御子を沢山御作りになって頂かないと」


 芽衣は女官の言葉に顔を引き攣らせて、礼もそこそこにその場から離れた。


「なんてこと。皇后娘娘が冊立されたばかりなのに! こんな事を静麗様が知られたら、また悲しまれるではないの!」


 芽衣は誰にもぶつけることの出来ない憤りを吐き出した。

 そして、ゆるゆると息を吐くと、悄然と女官長の部屋へと向かった。


 女官の言っていたことは、後宮に仕える者として間違いではない。

 静麗を知る前であれば、芽衣もきっと同じように考えていただろう。


 兎に角、今は一日も早く、静麗様を後宮から出してあげる事だ。

 出来れば、側室様方が後宮にお入りになる前に。

 芽衣は、後宮の浮足立ち、華やいだ空気に追い立てられるように足を速めた。





 ◇◇◇





「それで、話とはなんですかディン。私は今大変忙しいのです。話は簡潔になさい」


 女官長を何とか部屋で捕まえることが出来た芽衣は、その前に立ち、緊張にこくりと唾を飲みこんだ。


「はい。話とは静麗様のことです。静麗様は、皇帝陛下の御即位と、皇后娘娘冊立とを知ることとなりました。その上で、静麗様は後宮を辞し、故郷に戻られる覚悟を固められました。私も、賛成で御座います。どうか、これ以上静麗様を傷つけない為にも、一日も早く、御側室様方が後宮へ入られる前に、故郷へ帰して差し上げて下さい。お願い致します。女官長様」

「……其れだけですか?」


 女官長の抑揚のない声に芽衣は慌てて、もう一つの伝言を伝える。


「いいえ。静麗様から、皇帝陛下への御言付けも御座います。あの、……私は雅安に帰るけれど、皇帝陛下は、どうか皇都で責務を果たしてください。今までありがとう、大好きでした、と静麗様は仰っておられました。どうか、静麗様の最後のお言葉を陛下にお伝えして差し上げて下さい」


 芽衣の真摯な言葉を聞いた女官長は、ふぅと息を吐いた。


「蒋様に、心を寄せるなと忠告していたのに。丁、貴女は何を考えているのです」

「申し訳御座いません。ですが、静麗様があまりにもお気の毒です。どうか、静麗様の最後の望みを叶えて差し上げて下さい」

「その必要はありません」

「女官長様!」


 芽衣は女官長のあまりにも冷淡な態度に非難の声を上げた。

 そんな芽衣の様子を気にした風も無く、女官長は続けて言った。


「蒋様には、今しばらくは後宮へ留まって頂きます」

「……ぇ?」


 芽衣はまさか、静麗の帰郷を反対されるとは思ってもおらず、反応が遅れた。


「貴女はもう暫くは、蒋様付きの専属侍女をなさい」

「……女官長様、どうしてでしょうか? 私の様な低位の侍女でも、今の静麗様の御立場を考えると、後宮に残ることなどあり得ないと分かっております。何か、理由でもあるのでしょうか?」


 芽衣は女官長に、朝廷に対して不信感を抱いた。


「丁。貴女が知る必要の無い事です。自分が、家族が大切なら、余り余計な詮索はしないことです」

「でも、女官長様」

「丁。これ以上言うのなら、貴女を蒋様付き侍女から外します。どうしますか」


 芽衣は、女官長の言葉に眉を寄せて、目を閉じた。

 今、この後宮で、静麗の味方となってあげられるのは、自分しかいない。

 その自分が静麗の側付きを解かれるなどという事態は、絶対に避けなければいけない。


「解りました。この先も静麗様に仕えさせて頂きます」


 芽衣は悔しい思いを押し殺して、口元を引き上げて笑顔を作ると、綺麗な揖礼を女官長に対し行い、その部屋を辞した。




 芽衣は、月長殿に戻る為に、来た道を戻りながら、ふと振り返った。

 何時も其処にある、荘厳で美しい佇まいの銀星門が、皇宮と後宮を阻む超えることが出来ない巨大な何かに見え、芽衣はぶるりと身を震わせた。














 その後、新皇帝陛下の新しい後宮には、続々と美しく身分高い貴族の姫君達が召し上げられた。

 そうして、入宮を果たした全ての側室達の元へと、皇帝陛下がお渡りをしている事が伝えられると、月長殿は絶望に包まれていった。







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