三. 糾弾
郭 伝雲に即位の儀式の場である天河殿から連れ戻された静麗は、月長殿で芽衣に出迎えられた。
橄欖宮の門前でおろおろとしていた芽衣は、馬車から降りてきた静麗にほっとした顔で駆け寄ってきたが、その憔悴した様子に、伸ばし掛けていた手を彷徨わせた。
「侍女殿、蒋様を直ぐに休ませて差し上げて下さい」
伝雲の言葉にはっとした芽衣は、直ぐに静麗を支えて、月長殿の中へと連れて行く。
伝雲も芽衣と一緒に静麗を支えて、その後へと続く。
「静麗様、直ぐに暖かい飲み物を用意いたしますから」
静麗を円卓の前の椅子に座らせると、芽衣はその前で跪き、静麗の顔を覗き込んで優しく語り掛けた。
反応を返さない静麗に、目を伏せると、直ぐに立ち上がり伝雲に向き直った。
「郭様。直ぐに戻りますから、それまで静麗様をお願い出来ますか?」
「ええ、勿論。侍女殿が戻られるまで、私が付いていましょう」
伝雲は快く芽衣の願いを聞き届け、静麗を見ていると了承してくれた。
伝雲に頭を下げた芽衣は、急ぎ月長殿の厨房へ向かった。
◇◇◇
即位の儀式が執り行われるその日、芽衣は寝室の前から中へと声を掛けるが返事も無く、何時までも起きてこない事に心配となり寝室を覗いたが、其処に静麗は既に居なかった。
静麗が月長殿内に居ない事に気付いた芽衣は、慌てて月長殿から飛び出し、探しに出ようとした。
しかし其処に見慣れぬ女性が一人やって来て、芽衣を呼び止めた。
静麗を伝雲が外朝で保護し、連れ帰るので心配は要らないという知らせだった。
その知らせに深く安堵し、宮の前で待っていた芽衣だが、静麗の余りにも憔悴した様子に、もしや、皇帝陛下の即位の儀式の様子を見てしまったのだろうかと不安を覚えた。
急いで茶の用意をして居間に戻ると、先程と同じように静麗は椅子に座り、俯いたままだった。
その静麗の前にそっと茶を置き、芽衣は優しく声を掛けた。
「静麗様、どうぞ。静麗様のお気に入りの茶葉で淹れましたわ」
暫く、茶にも手を付けずに、黙っていた静麗だが、俯いたまま小さな声で問いかけた。
「何時から、知っていたんですか? 浩然が皇帝陛下になることを。……私が、浩然と婚姻している事を知っていて、黙っていたんですか?」
静麗は尋ねながらも、そういえば女官長も伝雲も自分の事を最初からずっと蒋様と呼んだいたことに気付いた。
―――あれは、私を、浩然の妻とは認めていないという、意思表示だったのだろうか……
「静麗様……」
芽衣は言葉を詰まらせて、静麗の前に跪き、俯いたままの静麗の顔を見ようとした。
「静麗様。……申し訳御座いません。私は…………私は、知っておりました。知っていて、それでも、静麗様にそれをお教えする事は出来ませんでした」
静麗はゆっくりと顔を上げると、辛そうな表情をしている芽衣をじっと見て、顔を背けた。
「どうして、……どうしてなの。なんで教えてくれなかったの? 浩然が、……私の夫が……皇帝陛下として、他の、他の人と、っつ、結ばれるだなんて、……どうして!!」
静麗は溢れ零れる涙を、拭うこともせず、虚空を見つめる。
「静麗様、静麗様っ」
芽衣も目に涙を浮かべながら、静麗ににじり寄ってその手を握ろうとする。
「いや、……触らないで……」
静麗は芽衣の手を避けて、きつい眼差しで芽衣と伝雲を見た。
「……私の事を騙していたのね。平民の田舎者と笑っていたの?」
「静麗様っ! 私はその様なことっ」
芽衣は驚いたように静麗を仰ぎ見た。
「自分の夫が、皇帝として他の人と婚姻して、捨てられるとも知らずに、この後宮で一人呑気に過ごしていると……皆、私の事を知っていて、馬鹿にしていたのね! ひどい、ひどい、酷いわ! 浩然も、芽衣も、女官長や閻様も、皆で私を騙したのね! 嫌い、皆きらい、大嫌い! 出て行って! ここから出てって、一人にして、誰も入ってこないで!!」
泣き叫ぶ静麗に、芽衣は跪き頭を床に付けたまま、嗚咽を零した。
伝雲はそんな二人の様子を冷静に見て取ると、今は静麗を一人にする方が良いと判断し、芽衣を立たせると、力の抜けたその身体を抱きかかえるようにして部屋から退出した。
◇◇◇
芽衣と伝雲を部屋から追い出し、寝室に籠っていた静麗は、いつの間にか部屋の中が暗くなっている事に気付いた。
あれからどれ程の時間が経っているのか―――
涙が枯れるほど泣き続けていた静麗は、寝台の上でぼんやりと考えた。
ふと、顔を上げると、窓からは月明かりが差し込んでいた。
―――あぁ、もう夜なのね……
静麗は月明かりに引かれる様に、ふらふらと寝室から出て、殿舎の外廊下に廻った。
其処から階段を下り、殿舎の寂れた裏庭を歩き、小さな池の前に立つと、池の中に月が映っているのに気づき、緩慢な動きで空を見上げた。
そこには故郷で見るのと同じ、綺麗な月があった。
夫との婚儀の夜。
二人で見上げた美しい満月―――
此れからはずっと一緒だと、微笑み合ったことが遠い過去のようだ。
だが、実際はまだ二か月程しか経っていない。
それなのに何故、自分は今一人で孤独に、こんな場所に立っているのだろう。
夫は皇都に来て、綺麗なお城に住んで、綺麗なお姫様を見たら、私の事など忘れてしまったのか。
もし、そうなら、私は一人で故郷に帰りたい。
綺麗な服も、おいしい食事もいらない。
私は貧しくても、浩然と一緒に、二人で過ごせればそれで良かったのに―――
こんな所、来るんじゃなかった。
あのまま田舎で、二人でいればよかった。
ずっと、一緒に居てくれると、お前だけだと誓ってくれた夫は、今、この後宮で、別の女性と夜を共にしているのだろうか―――
静麗の瞳から、枯れ果てたと思っていた涙が一滴、頬を伝い、流れ落ちていった。




