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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第一章
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一. 幼馴染

 



 二月中頃、雅安ヤーアンで一組の男女が婚儀を上げた。







 広大な大陸の東端に位置する大国、寧波ニンブォ


 寧波は皇族、皇帝陛下が二千年以上に渡り、代々支配してきた豊かな国だ。

 大陸の最も東に位置し、国土の大半が海に面している。

 また、唯一、海を隔てた隣の大陸との交易の港がある。

 その為、寧波を囲むように位置する周りの三国は昔からその港を欲し、国境沿いでは小競り合いが絶えなかった。

 今から三十年程前に寧波を含む四大国で不可侵の条約が結ばれたが、予断を許さない状況に変わりは無い。


 そんな寧波の中でも南方にある町、雅安は比較的穏やかな地域だ。

 雅安は温暖な気候と豊かな土壌に恵まれた為に古くから農業や畜産が盛んで、寧波に住む人々を食料で支えている、そんな牧歌的な田舎町だ。

 しかし、暖かな地方とはいえ、二月はまだ肌寒い日が多い。

 特に早朝は、吐く息が白くなる日もある。



 そんなまだ朝早い時間。


 領主の屋敷からも程近い一等地に建つ、少し古びてはいるが立派な門構えを持つ大きな屋敷。

 その屋敷から出て来た、まだ若い青年は空を見上げ、天気が良いことに顔を綻ばせた。


 今日、幼馴染と婚儀を上げる予定の新郎、 ルゥオ 浩然ハオラン だ。

 浩然は早朝の町を新婦の家に向かって歩き出した。

 その手には、今朝屋敷の庭で摘んできた可憐な一輪の花がある。




 浩然は十八歳になったばかりのまだ若い青年だ。

 ただ、その面立ちは国端の田舎町にいるのが不思議な程に整っており、気品さえ感じさせる。

 町を歩けば、年若い女性達は皆振り返り、頬を染める。

 それ程の青年の婚儀に、町に住む娘達は皆嘆いた。

 そんな周囲には全く構うことなく、浩然は長い脚を忙しなく動かし、不揃いな石畳の上を歩く。

 浩然は逸る気持ちを押え、古いが整った街並みや、朝日を弾く黒い瓦屋根が並ぶ木造の家々を見ながら、新婦となる ジィァン 静麗ジンリー の待つ彼女の家に向かう。

 町の大通りに立ち並んだ大店の者達が、開店の準備をする為に店の前を掃除しているのを横目に、横道へと入った。

 大通りから一本外れた場所にある静麗の家の前で、浩然は大きく深呼吸をすると、木で出来た頑丈な門戸を叩いた。



「羅浩然です。開けて下さい」


 直ぐに門戸が中から開き、静麗の母親が顔を出した。

 ふくよかな顔に優しい笑みを浮かべ、浩然を家へと招いた。


「浩然。待っていたわ。静麗は自室にいるわよ」

「はい。失礼します」


 織物問屋を営んでいる蒋家は、この町では裕福な、平民の家だ。

 家も大通りから入って直ぐにあり、部屋数もそれなりにある。

 浩然は慣れた様子で静麗の母親の横を通り過ぎ、家の中へと入る。

 飴色になった木造の廊下を通り、二つ部屋を抜けた先で、静麗の父親が椅子に座って茶を飲んでいた。

 まだ婚儀の時間には余裕がある為か、平服のまま寛いでいる。


「お義父さん、浩然です。約束通り、静麗を貰いに来ました」

「ああ、分かっているよ。静麗は部屋に居る。連れていきなさい」


 やり手の商人の割には、優し気な雰囲気のある静麗の父親は鷹揚に頷くと浩然を促した。

 父親のいない浩然にとっては、小さい頃からお世話になっている父親のような存在だ。


「はい。では、後程。婚儀の席で」


 浩然は義父に跪き礼をすると、素早く立ち上がり、静麗の待つ部屋に向かった。




 ◇◇◇




「静麗。俺だ。入るぞ」

「浩然?どうぞ、入って」


 部屋の中で夫となる浩然が来るのを、緊張の面持ちで待っていた静麗は、部屋の外から聞こえた浩然の声に直ぐに応えた。

 一拍後、引戸が静かに開き、浩然が部屋に入ってきた。


 静麗が手掛けた新郎の衣装を身に纏った浩然の姿に、静麗は一瞬息を飲んだ。

 今まで見たことが無い程、眩く素敵に見えたせいだ。

 織物問屋という強みを生かして、吟味して選んだ光沢のある生地に、静麗が心を込めて施した刺繍が豪華な、花婿の衣装。

 それを綺麗に着こなしている浩然。

 浩然が居るだけで部屋の中が華やかになるような気さえする。

 束の間浩然に見惚れ、静麗は、ほぅっ、と溜息を吐いた。


 ―――浩然の顔がいいのは分かっていたけれど、着飾ると本当に素敵。まるで、おとぎ話の天子様のようだわ


 それに引き換え私は、と己を鑑みて溜息を吐きたくなる。




 静麗は成人したばかりの十五歳の少女だ。

 二人は雅安で生まれ育った幼馴染の関係で、ずっと側で互いを見てきた。

 先に好意を寄せたのは浩然で、静麗に他の男が近づかないよう、常に気を配ってきた。

 静麗が成人すると直ぐに、静麗の両親に婚姻を申込み、承諾を得た。

 静麗もまた、優しく、頼りがいのある幼馴染に想いを寄せていたので、婚姻の申し出を喜んだ。

 今日という日を迎えるまで、二人は穏やかに愛を育んできた。




 静麗は自分が身に纏っている衣装を見る。

 この日の為に静麗と母親が半年かけて手掛けた、花嫁衣裳。

 刺繍が得意な静麗が丁寧に施した刺繍は、見事な出来栄えだった。

 だが、これを着ているのが平凡な自分であることがなんだか申し訳なく思える。

 浩然の美男子ぶりに胸が高鳴ると同時に、自分の平凡な顔がとても残念だ。

 背も低く、顔も平凡なら、身体もまだ女性としての魅力が足りない。

 唯一静麗が自慢に思えるのは、豊かで艶やかな黒髪ぐらいだろう。

 何故、浩然程の青年が自分を選んだのかと、未だに不思議に思うことがある。

 浩然の隣に並び立つことで、今までに何度も感じてきた劣等感が小さく刺激され、溜息を吐きたくなる。



「静麗、綺麗だ……俺は今、きっと、寧波一幸せな男だ」


 浩然はじっと静麗を見つめると、頬を染めて高揚した様子で静麗を称える。

 静麗はそれを聞き、目を見張った後、ふふっと笑った。



 ―――そうだった。浩然はどんなに綺麗な女の子に言い寄られても、私だけを見てくれる誠実な人だった。


 晴れやかな顔で浩然を見上げると、静麗は椅子から立ち上がり、浩然の周りをくるり、と一周した。

 背の高い浩然の周りを平均より小さい静麗がちょこまかと動くのが楽しいのか、浩然は声を上げて笑った。

 静麗も釣られて笑いながら浩然の前に立ち、その端正な顔を見上げた。


「うん。浩然もとっても素敵。その衣装も良く似合うわ」

「いや、静麗のほうが綺麗だ。俺の花嫁が、きっとこの国で一番可愛いよ」


 二人はお互いを褒め合い、微笑み合う。


 浩然は、大事に手に持っていた花を静麗に差し出した。

 静麗の大好きな浅黄水仙の花。

 静麗はその一輪の花を丁寧に受け取った。


「いい匂い。私この香り大好き」

「ああ、知ってるよ。何時もなら、まだ蕾も付けていない時期なのに、日当たりの良い裏庭に一輪だけ咲いてたんだ」

「…ありがとう、浩然。嬉しい」


 浩然が自分の好きな花を知っていて、態々摘んできてくれたことに胸が暖かくなる。

 静麗は受け取った浅黄水仙に顔を近づけ、甘やかな香りを胸いっぱいに吸い込む。


 浩然はそんな静麗を愛おしげに見つめると、花を抱いている小さな掌を上からそっと握りしめ、真剣な顔で告げた。


「静麗。ずっと、一緒にいよう。俺たちはいつまでも、ずっと二人一緒だ」

「ええ。浩然。しわしわの御爺さんと御婆さんになるまで、ず~と一緒に居ましょう!」





 静麗と浩然は狭い部屋の中央で喜びに満ち溢れて、固く抱き締めあった。




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