十二. 対顔
静麗と芽衣が後宮の正門である、巨大な構造物、銀星門の前で待つこと一刻。
最初は緊張の面持ちでいた静麗だが、次第に待ち疲れてきた。
銀星門の豪華絢爛で荘厳な様子に驚き、感心していたが、流石に一刻も見ていると感動も薄れてくる。
静麗が後ろの小さな池を覗き込み、色鮮やかな魚を目で追って、足をぶらぶらとさせていると、芽衣が声を掛けてきた。
「静麗様。銀星門から人が入ってきましたわ。彼方のお方ではございませんか?」
静麗は芽衣の言葉に顔を跳ね上げて、銀星門の方を振り返った。
門からは丁度、五人の男性達が入って来たところだった。
その先頭を歩いている人に目を止めると、静麗は長椅子から勢いよく立ち上がった。
先頭を歩いて後宮へ入って来たのは、静麗が待ちわびていた夫の浩然だった。
その浩然の後ろには閻 明轩が続き、その更に後ろには官吏と思われる人が一人、武官と思われる人が二人続いていた。
「浩然……」
静麗は笑顔を浮かべて浩然を見つめた。
浩然は静麗と同様に貴族の様な素晴らしい衣装に身を包んでいた。
浩然と閻や官吏は、直裾袍と呼ばれる衣装を着ているが、浩然の物は、閻の着ている物よりも遥かに豪華だった。
足首まである着丈の長い上衣にも、刺繍が全面に施されていて、正に皇族の衣装といった様子である。
麗しい面立ちの浩然が、華やかな衣装を身に着けると、目も眩むような神々しさがある。
静麗は四人を引き連れて近づいてくる浩然に、ぼう、と見とれていた。
「静麗」
浩然の自分を呼ぶ優しい声に、静麗は堪らずに浩然に駆け寄ると、その長身に抱き着いた。
半月以上会えなかった夫にやっと再会出来た喜びで、静麗の目には涙が浮かんでくる。
芽衣は常に側に居てくれたが、浩然の居ない後宮に一人で取り残されて、とても不安で寂しかった。
「浩然、会いたかった。来るのが遅いわ!」
涙声で詰る静麗を、浩然は強く抱き締めて、その背を優しく撫でてくれた。
「ごめん、静麗。……ごめんな」
静麗は夫の暖かな胸に顔を埋め、安堵に身体の力が抜けるのを感じた。
―――あぁ、浩然だ。浩然だ!
暫く浩然の胸に顔を埋めていた静麗は、落ち着きを取り戻すと、そっと浩然から身体を離した。
そして、直ぐ側にある夫の顔を見上げて、異変に気が付いた。
「浩然?……顔色が悪いわ。大丈夫? 体調が悪いの? それとも、そんなに忙しいの?」
浩然の憔悴した様子に驚いて、矢継ぎ早に問いかける静麗。
「もしかして、私が会いたいと我儘を言ったから、無理をしたの?……ごめんなさい、浩然。私、浩然の邪魔をしたのではない?」
「大丈夫だよ、静麗」
そう言って、安心させる様に静麗の頬を撫でて、優しく笑う浩然。
しかし、幼馴染として長年一緒に過ごしてきた静麗には、浩然が無理をして笑っているのが解った。
眉を寄せて、心配そうにする静麗に、浩然は首を横に小さく振った。
「少し、疲れているだけだから。……心配するな」
「でも、……」
良く見ると、浩然の眼の下には隈が出来ている。
それに、少し痩せた様な気もする。
「本当に、大丈夫なの?……もうじき、皇子殿下の即位の儀式があると聞いたわ。その準備で浩然も忙しいのではないの?」
静麗の気遣う言葉を聞いた浩然は、目を閉じ俯いた。
そして顔を上げると、少し強張った笑顔を浮かべて静麗に大丈夫だと頷く。
そんな浩然の様子に、ますます静麗は不安を覚える。
浩然は一度大きく息を吐き、静かな眼差しで静麗を見つめた。
「俺は大丈夫だ。……静麗は平気か? 何か困ったことは無いか?」
静麗に心配そうに問いかけてくる浩然。
静麗は返事をするのに躊躇した。
本当は、早く後宮から出て、浩然と一緒に居たいと言いたい。
でも、こんなに疲れている様子の浩然に対して、そんな我儘を言えるわけがない。
浩然は今、国の為に必死に頑張っているのだから、妻である自分がそんな浩然の邪魔をするわけにはいかない。
静麗は感情を押し隠して、笑顔を浮かべた。
「私は平気よ! 此処でとても良くして頂いているわ。芽衣という侍女も付けて頂いたのよ。まるで、貴族のお姫様の様な扱いを受けて困っているぐらいよ。見て、浩然! この衣装も用意して頂いた物なの」
浩然の前で両手を広げて見せた。
「あぁ、とっても綺麗だ。良く似合っているよ」
浩然は眩しそうに静麗を見た。
照れて頬を染めた静麗は、そこで、浩然の後ろに控えていた閻に向き直った。
「閻様が、色々と手配して下さったのですよね。ありがとうございました。でも、私には分不相応ですから、もっと普通の場所で、普通の庶民としての扱いをして下さって結構です」
閻はそんな静麗の言葉に、とんでもないと首を振った。
「貴女様は我々にとっても、重要な御方です。どうぞ、羅様の為にも、我々の為にも、このまま後宮で健やかにお過ごしして頂きたい。その方が、羅様も安心なされる筈です。そうでございましょう?」
閻は浩然に顔を向け、目を細めて微笑んだ。
浩然は戸惑うような顔を一瞬見せたが、静麗の視線に気付くと、小さく頷いた。
「静麗。俺も静麗には後宮に居て貰った方が安心出来るんだ。窮屈かもしれないけど、我慢してくれないか?」
浩然の言葉に、静麗は少し落胆した。
まだ、浩然と一緒には住めないと解ったからだ。
気持ちが沈んだままに俯き、静麗はうんと頷いた。
浩然は不安そうな様子で、そんな静麗を見ていた。
「静麗……俺は、」
何かを言いかけた浩然だが、閻の言葉がそれを遮る。
「羅様、政務のお時間です。外朝にお戻り下さい」
閻が、銀星門の方へと浩然を誘導しようとするが、浩然は唇を噛みしめて下を向いた。
再度促された浩然は、分かったと小さく応え、静麗の顔を目に焼けつける様に、じっと見つめた後、閻に続いて踵を返し、後宮の外へと続く銀星門へと歩き出した。
静麗はそれを寂しく見送っていたが、浩然は銀星門の手前で急に立ち止まり、勢い良く振り返った。
そして、閻や武官を置き去りに、静麗の元へと駆け戻ってきた。
閻は急な浩然の行動に驚き、門の前で呆気に取られて浩然を見送った。
駆け戻ってきた浩然はその勢いのままに、小柄な静麗を力一杯抱き締めた。
力強い抱擁に小柄な静麗の背は撓み、その上から浩然は覆い被さる様に、懐深くに静麗を抱き込んだ。
驚く静麗の耳に浩然は口を寄せ、周りには聞こえない程の小声で囁いた。
「静麗、静麗っ。……愛している。どうか、それだけは忘れないで。婚儀の日に誓った気持ちは永遠に変わることは無い。信じて、まっ」
「羅様!」
閻の大きな声が、浩然の囁きを搔き消す。
武官が此方に向かって走って来るのが、浩然の肩越しに見えた。
浩然は静麗を腕の中からゆっくりと解放すると、静麗の顔を見たまま閻に、今行く!と声を上げた。
そして、最後に静麗の顔を大きく暖かな掌でひと撫ですると、その足を閻が待つ銀星門の方へと向けた。
浩然はそれから一度も静麗を振り返ることなく、後宮と皇宮を隔てる荘厳な銀星門の外へと消えていった――――




