八. 女武官
静麗は突然現れた女武官の郭 伝雲に戸惑っていたが、取りあえず跪いたままでは申し訳ないと立ってもらうように促した。
「あの、私は此方でお世話になっています、羅 静麗です。えっと、郭様は、武官なのですね。女性が武官になれるとは知らなかったので、驚きました」
静麗の促しで、すっと音も無く立ち上がった伝雲は背が高く、すらりとした肢体を持っていた。
長い黒髪を後ろで一つに結んでいる。化粧もせず、簪や首飾りといった装飾品は何一つ身に着けていないが、立ち姿が凛として、とても美しいと感じた。
「はい、そうですね。武官の大半は男性ですが、後宮内では男性の武官を嫌がる御側室もいらっしゃいます。その為に少数ではありますが、女性武官も登用されております。しかし、女性だからと不安になる必要はございません。我らは普段から男性と同じ訓練を受けております。男性武官にも負ける気はございません」
伝雲は自負が滲む顔で綺麗に笑った。
―――なんて、清々しい顔で笑うのかしら
静麗は会ったばかりの、この女性武官に惹きつけられるのを感じた。
その時、静麗の前に立っていた伝雲が急に後ろを振り返った。
伝雲の視線を追った静麗は、遠くから芽衣が盆に茶器を載せて歩いてくるのに気が付いた。
―――後ろを向いていたのに芽衣に気が付くなんて、やっぱり武官になるような方は違うのね
静麗は改めて感心し、伝雲を見上げた。
「彼女は、蒋様の侍女ですか」
「ええ。私がお世話になっている丁 芽衣という方です。とても良くして頂いているの」
静麗は芽衣の事を嬉しそうに伝雲に語った。
それを伝雲は目元を緩めて聞いていた。
暫くすると芽衣が二人の居る四阿まで戻ってきた。
「静麗様。お待たせいたしました」
「お帰りなさい、芽衣。お茶を持ってきてくれたのね。ありがとうございます」
「いいえ。……ところで、静麗様。此方の女性は」
芽衣は女性が剣を下げていたので、武官ではないかと思いながら、茶器を卓に静かに置くと尋ねた。
「彼女は私のお借りしている宮の周辺を警護する武官の女性よ」
静麗の言葉で、伝雲は芽衣に向き直り頭を下げた。
その動きに後ろで結んだ長い黒髪が、さらりと肩から流れた。
「始めまして、侍女殿。私は郭 伝雲と申します。本日より橄欖宮一帯を警護にあたる為、ご挨拶に伺っておりました」
「まぁ、橄欖宮に警護、ですか…」
芽衣は驚いた様に伝雲を見た。
後宮に側室の居ない今、例え客人が居たとしても、一つの宮に警護が着くとは思っていなかった。
そして、小さく眉を寄せた。
「今、郭様と仰いましたか。もしや、武人を多数輩出するあの、郭家の方ですか?」
「おや、我が家をご存知ですか。確かに我が郭家は、昔から武の一族と呼ばれる程、武官を出しております」
「では、近衛武官の副官を務められておられる郭 俊豪様は、もしや…」
「あぁ、兄になります」
「まぁ! すごいわ!」
芽衣は頬を染めて、手を胸の前で組み大きな声を上げた。
「芽衣?」
芽衣のはしゃぎ様に、静麗は目をぱちりと瞬かせた。
何時もおっとりとした、優しい芽衣の珍しい様子を興味深く見た。
その視線に気づいた芽衣は、はっとした様子で慌てて伝雲に頭を下げ、揖礼をした。
「も、申し訳ございません、ご挨拶が遅れまして。私は静麗様の侍女を仰せつかっております丁 芽衣と申します。お見知りおき下さいませ」
「これは、ご丁寧に。ですが、私は一武官です。普通に接して頂いて結構ですよ」
伝雲は苦笑気味に芽衣に言葉を掛ける。
「とんでもございませんわ。郭家といえば、貴四品の位をお持ちの大貴族では御座いませんか。私のような下級貴族が気安く接することは出来ませんわ」
「えっ!? 芽衣は貴族だったの」
芽衣の言葉に、それまで黙って二人のやり取りを見ていた静麗は驚き、声を上げた。
そんな静麗を芽衣と伝雲は不思議そうに見下ろした。
「はい。私は貴十五品の下級貴族となりますが、申し上げておりませんでしたか?」
「聞いていないわ! 大変。私なんて失礼な事をしていたのかしら。貴族のお姫様を侍女にするだなんて」
静麗は青ざめた顔で狼狽した。
今まで芽衣に対して行ってきたことが脳裏を駆け巡る。
「静麗様。どうか落ち着いて下さいませ。私は貴族とはいっても、名ばかりで実態は平民と何ら変わらないのです。実家も貧しくて、嫁ぐことも困難なので、こうして、後宮で侍女となる道を選んだのですから。どうか、今まで通りに接して下さいませ」
「でも、芽衣……」
涙目になって芽衣を見る静麗と、何とか宥めて今まで通りに接して欲しいと願う芽衣。
静麗と芽衣の間に立ち、二人を交互に見た伝雲は、ふむ。と顎に手を当てた。
「蒋様。こちらの侍女殿は、貴女の侍女として上官から遣わされてきています。貴女が侍女殿を貴族として扱っては、侍女殿は役目を果たすことが出来なくなり、俸給も貰えなくなる事でしょう。複雑な心中は察しますが、此れまで通りにする事が、侍女殿にとっては一番良いことかと愚考致します」
「そ、その通りですわ。静麗様」
思わぬ援護を受けた芽衣は静麗に大きく頷く。
侍女として静麗に仕えようとしているのに、反対に畏まられては困る。
芽衣は静麗が納得するように、真摯に見つめた。
「…………芽衣を困らせる気はないの。俸給が貰えなくなるような事はしないわ」
静麗は不承不承といった感じで頷いた。
ほっとした芽衣は、伝雲に目で感謝の意を伝えた。




