六. 焼棄
夕刻、芽衣の呼ぶ声で目を覚ました静麗は、一瞬自分が何処に居るのかが分からなかった。
寝台の彫刻が彫られた立派な天蓋を見て、あぁ後宮に来たんだったと思い出した。
寝台の中で身を起こし、両手を上に伸ばし、うぅ~と唸ると、首を振り意識をはっきりとさせる。
「静麗様。お目覚めで御座いますか? 芽衣です。入っても宜しいでしょうか」
部屋の外からもう一度声が掛かった。静麗は寝台から降りながら返事をする。
「はい。今起きました。どうぞ入って下さい」
静麗が応えると芽衣が扉を開けて静かに入って来たが、幾分元気が無いように見える。
芽衣は俯きながら控えめに微笑んだ。
「静麗様、良くお休みになれましたか」
「はい。とても柔らかい寝具でしたので、ぐっすりと眠れました。お陰で、頭もすっきりしました」
「それは、よう御座いました。では、御着替えを用意いたします」
芽衣はそう言うと静麗から離れ、寝台の横にある箪笥から淡い若草色の衣装を取り出した。
そして、静麗に広げて見せてくれる。
「御衣装は此方の襦裙で宜しいですか?」
芽衣が広げて見せてくれた衣装は、華やかな色と素晴らしい光沢のある薄い生地で出来ており、芽衣が普段見ることが無いような美しい物だった。
「凄く綺麗。でも、そんな貴族のお姫様が着るような服、勿体なくて着れないわ。私には普通の服で十分です」
静麗は、お世話になる上に、そんな立派な衣装は着れないと断ろうとしたが、芽衣は眉を下げて困った表情をした。
「申し訳ございません、静麗様。此方にはこのような御衣裳しか用意されておりません。このお色が一番落ち着いた物になるのですが」
「えぇ、そうなの? でも、本当に勿体ないわ。……そうだわ、私の荷物はありましたか? その中には私の普段着もあるから、それを着ます」
静麗がいい案だと思い提案したのだが、芽衣の顔色が急に変わった。
「え? ど、どうしたのですか、顔色が悪いわ」
静麗が心配すると、芽衣は突然その場に平伏した。
「静麗様。申し訳、ございません。…申し訳ございませんっ」
「何!? どうしたのですか。芽衣、止めて下さい。立って下さい」
静麗は突然の芽衣の行動に面くらい、慌てて同じように跪くと、芽衣の手を取り立たせようとする。
芽衣はその手を握り締め、顔を歪めた。
「静麗様の仰っていた、荷ですが、……何らかの手違いがあり、廃棄されておりました。既に焼却もされた後で、取り戻すことは叶いませんでした。……此方の間違いにより静麗様の大切な荷を……申し訳ございませんっ」
芽衣は涙ぐみ、静麗に謝罪を繰り返した。
静麗は自分の荷が燃やされたと聞き、驚き戸惑った。
―――皇城が混乱しているのは聞いたけれど、後宮も同じなのかしら。でも、困ったわ。旅路に必要な簡単な荷物だけだったとはいえ、服なんかも全て預けていたのに。
静麗は途方に暮れて、天井を仰ぎ見た。
皇都では最長一年という長い期間過ごすこととなる。
その為、着替えやその他諸々を揃えようとしたが、閻に旅の間だけの用意でいいと言われた。
皇都では住まいから衣服、食事も全て朝廷で用意するのだという。
そこまで全てを朝廷の世話になる積りは無いと、固辞する羅家だが、此方がお願いして来て頂くのです、それに浩然様は皇族となるのですから当然の事です、とにこやかに押し切られてしまった。
それを聞いた浩然は複雑な顔を、祖父は苦い顔をしていたことを思い出した。
しかし、荷物を焼却された静麗には、故郷から持ち込めたのは先程まで来ていた普段着一着と、浩然に貰った二本の簪のみとなった。
たったそれだけが、静麗の私物だ。
閻が皇都での生活に必要な物は全て用意すると言っていたが、本当に全てを頼る事となってしまった。
―――何もすることが無く、全ての面倒を見て貰わなければいけないなんて、気が重いわ。
「芽衣、頭を上げて下さい。さあ、立って。貴女が荷物を捨てたわけではないのでしょう。もう謝らないで」
「静麗様、……」
芽衣は顔を上げ、静麗を見つめた。
その瞳はまだ潤み、今にも涙が零れそうだ。
「無くなってしまったものは、しょうがないわ。それに、こんなに素敵な衣装を用意して頂いているのに、文句なんか言わないわ」
静麗の言葉を聞いた芽衣は、また顔をくしゃっと歪め、頭を下げた。
その時小さく芽衣が呟いた。
「静麗様、申し訳ございません。……私は、………、い……のです」
「…芽衣? もういいのよ。私は怒ってなんかないから」
芽衣のあまりの憔悴ぶりに、可哀想になり何とか元気づけようとする。
「ねぇ、芽衣。この衣装はどうやって着たらいいのかしら。こんな素敵な服、着方が分からないわ」
少し大げさなくらいに楽しそうな声を出し、芽衣に尋ねる。
芽衣はそんな静麗を暫く見つめ、ぐすっと鼻をすすると、ぎこちないながらも笑顔を浮かべた。
「静麗様。お任せください。芽衣がお手伝い致しますわ」
「お願いします、芽衣。後宮の事は何も分からないの。私を助けてくれますか?」
何とか笑顔を浮かべてくれた芽衣に静麗は安堵し、これからお世話になる芽衣に尋ねた。
「はい。全て芽衣にお任せくださいませ。後宮にいる間はこの芽衣が静麗様のお世話を精一杯させて頂きますわ」
芽衣は何かを決意した様に大きく頷いた。
静麗は芽衣に着替えを手伝って貰い、美しい襦裙を身に纏った。
「凄く綺麗。まるで花嫁衣裳のようね」
「良くお似合いですわ。静麗様」
静麗は初めて着る美しい衣装に高揚し、照れた様に頬を染めた。
その様子を芽衣は微笑ましく見た。
「有難う。お世辞でも嬉しい」
「いいえ。お世辞などでは御座いませんわ。本当にお似合いです」
芽衣は真剣な顔で重ねて言い募った。
静麗に着付けを済ませると、既に夕餉の時刻を回っている事に芽衣は気が付いた。
「静麗様。私、一旦下がらせて頂きますわ。暫く月長殿にお一人となりますが、大丈夫でしょうか」
「ええ。私は成人を迎えていますから、子供じゃないのよ。大丈夫です」
静麗はふふっと笑うと、一人でも平気だと請負った。
芽衣はその言葉を聞くと、心配そうにしながらも、静麗の夕餉を取りに厨房へ向かう為に、一旦その前から下がった。
後宮に慣れていない静麗を一人残すことに不安を覚えたのか、芽衣は急ぎ足で回廊を進む。
芽衣は厨房へ向かいながら、明日にでも侍女専用の官舎から月長殿の侍女部屋に移ろうと考えていた。




