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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第二章

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五. 専属侍女

 


 静麗ジンリーがどうしていいか分からずに俯き唇を噛んだ時、居間の外から穏やかな入室の許可を求める声が掛かった。


「お入りなさい」


 女官長が応えると、扉が開き一人の女性が中へ入って来た。

 薄い紅色の深衣を着た、年の頃は静麗より少し上に見える、優しそうな女性だ。

 女性はしずしずと中へ入って来ると、深く頭を下げて揖礼をした。


ジィァン様。この者が先程言っていた蒋様専任の侍女となります」


 そう言うと、入って来た女性に向かって言う。


「蒋様にご挨拶を」

「はい。女官長様」


 女性は静麗に向き直ると、控えめに微笑んだ。


「蒋様の侍女を仰せつかりました、ディン 芽衣ヤーイーと申します。どうぞ、芽衣とお呼び下さい」


 柔らかな、人を安心させるようなおっとりとした声の女性だ。

 静麗は女官長との対話で固まっていた身体から力を抜いた。


「始めまして。静麗です。あの、宜しくお願い致します」


 椅子から立ち上がり、芽衣に対して丁寧に揖礼を返す。

 芽衣はそれに対しても、にこりと微笑んでくれた。


 それを見ていた女官長は満足し頷くと、椅子から立ち上がった。


「では、蒋様。私はこれで失礼致します。後のことは、この丁に伝えてありますので」


 そう告げると女官長は直ぐに部屋から出ていこうとする。

 静麗は慌ててその背に声を掛けた。


「あの、何か分かったら教えて下さい。それと、私が会いたいと言っていたことを伝えて下さい」

「分かりました。閻殿に伝えておきましょう。では、失礼致します」


 女官長はそう言い残すと素早く部屋を退出していった。

 それを見送った静麗は肩を落として溜息を吐いた。

 もしかしたら、当分浩然とは会えないのかも知れない。


 落ち込んだ気分のまま、部屋の入口横で控えている芽衣を見た。


「あの、芽衣さん。私、ここに住むように言われたのですが、何か私でも出来る仕事はありますか」


 何も仕事をせずに、ただお世話になるのは、平民の静麗には非常に心苦しい。


「まぁ、蒋様。私のことはどうか芽衣と呼び捨てで。それと、貴女様は客人としてお迎えすると聞いております。この月長殿で健やかにお過ごしして頂ければ、それだけで結構で御座いますわ」

「あ、あの。私の事も出来れば静麗と呼んでください。私は、平民なので様付けされるような者じゃないです」

「私は蒋様の侍女になりますので、敬称無しでお呼びすることは出来ませんが、……もし宜しければお名前で、静麗様とお呼びしても?」


 静麗の表情を見ながら、その意を汲もうとしてくれる芽衣に、静麗は嬉しくなる。


「あ、はい。呼び捨てが無理なら、それでお願いします。それと、客人と言われても何もせずにお世話になるのは心苦しいです。何か出来ることはないですか?」


 静麗の願いに芽衣は困った様に眉を下げ、言葉を探す様に言い淀んだ。

 芽衣を困らせる気が無かった静麗は、その芽衣の様子に少し焦る。


「あの、無理ならいいんです。ごめんなさい。此処での決まり事が良く分からなくて。……ごめんなさい」


 悄然と俯く静麗の姿に、芽衣は眉を下げて申し訳なさそうに言う。


「静麗様。此方こそ気を使わせてしまい、申し訳ございません。この橄欖宮の殿舎の中では、静麗様のお好きな様にお過ごしになさって下さい。貴女様を客人としてもてなす様に言われておりますので、何も気になさることは御座いませんよ」


 芽衣の言葉は有り難いが、平民の静麗が何もせずに傅かれるのは、非常に居心地が悪い。

 溜息を吐きたくなるのをぐっと我慢した。

 芽衣は静麗の様子を見て、一人で落ち着く為の時間が必要と感じたのか、お茶を用意いたしますと言い、部屋から退出した。



 宿を出てからまだそれほどの時間が経っていないはずなのに、静麗はこの展開の速さに付いて行くことが出来ず、ただ流されていた。


 成人を迎えたばかりの少女にとって、この様な事態にうまく対処できるだけの経験も無く、女官長の言うがままとなっている事に、静麗は気付くことが出来なかった。

 一人になっても、どうしようと考えるだけで、何一つ良い解決策を見つける事が出来ない。

 如何に自分が子供であるかを感じ、今まで両親や浩然に守られてきたのかを実感した。


 静麗が落ち込んでいると、芽衣が茶器を携えて戻ってきた。

 慣れた手つきで優雅に茶を入れると、静麗の前にそっと置いた。


「静麗様、香りの良い茶葉が御座いましたので、それを淹れてみました。どうぞ」

「有難うございます。芽衣さん……芽衣」


 敬称をつけようとして首を振られた静麗は、言い難そうにしながらも呼び捨ててみた。

 それから茶器を手に取って、その暖かい温度を掌で包み込む。

 そこで指先が非常に冷えていたことに気づいた。

 浩然と引き離され、女官長という位の高そうな女性の相手をたった一人でして、緊張していたのだろう。


 口元に茶器を持ってゆくと、芽衣の言葉通り馥郁とした香りが鼻に抜けた。

 口に含むと円やかな口当たりの中に、爽やかな甘みと少しの苦みを感じる。

 静麗が此れまでに飲んだことの無い上品なお茶だった。


「おいしい」


 静麗は思わずといった感じで呟いた。

 それを聞いた芽衣は嬉しそうに小さく微笑んだ。


「それはよう御座いました。後宮で使用する茶葉は香りの良い物が多いので、お気に召して頂けて嬉しいです」

「なんだか、申し訳ないです。私のような平民にこんな上等な品を」

「静麗様。そのような事御座いません」


 静麗が申し訳なさそうにするのに、芽衣は首を振った。

 静麗は暫く無言でお茶を飲んでいた。

 芽衣は一歩離れた場所でそれを見守っている。


「芽衣さ……芽衣。あの、私少し疲れているみたい。少し休ませてもらってもいいかしら」

「はい。静麗様。寝室はあちらの扉の先になります。ご案内致しますわ」

「お願いします」


 静麗の先に立ち芽衣が扉を開ける。

 その先には小さな部屋があり、部屋の中には正面に一つ、右手に一つ扉があった。

 芽衣は正面の扉を開け静麗を促す。

 中には天蓋が付いた大きな寝台と箪笥、それと小さな卓が一つ、椅子が二脚置いてあった。

 寝台も幾分古いものであるようだが、天蓋付きの物など始めて見た静麗は驚きに目を見張った。


「すごいわ。寝台に天井が付いてるの?この天井にも柱にもこんなに彫刻がされているわ。素敵。貴族のお姫様の寝台みたい」

「さあ、静麗様。此方に寝衣をご用意いたしますから、御着替えになって下さい」


 芽衣は素直な反応の静麗を微笑ましく見ていたが、箪笥から新しい女性用の寝衣を取り出すと静麗に手渡した。

 静麗はそれを受け取り礼を言うと、そういえばと芽衣に尋ねた。


「私の荷物が荷馬車で運ばれてきていると思うのですけど、何処に取りに行けばいいんでしょうか」

「まあ、そうなのですか。では、私が今から確認してまいりますわ。静麗様はお疲れでしょうから、どうぞ夕刻までのお時間、お休みになっていて下さいませ。」


 静麗は申し訳なく思いながらも、寝台を見たことで疲れがどっと、出てきて早く休みたくて仕方がなくなった。


「じゃあ、申し訳ないですけど、お言葉に甘えさせてもらいます」

「はい。夕刻前にまたお伺いいたしますので、どうぞごゆっくりお休み下さいませ」


 芽衣は丁寧に頭を下げると、静かに扉を閉めて退出した。


 一人になった静麗は浩然から贈られた二本の簪を抜き取ると、丁寧に円卓の上に置いた。

 そして渡された寝衣に着替える。

 肌触りがとても良い。

 きっと良い生地を使っているのだろうと考えながら、寝台に上る。

 ぽふり、と倒れる様に横になると、今日の出来事がぐるぐると頭の中を駆け巡る。


 静麗は大丈夫、大丈夫、直ぐに浩然とも連絡がつき会うことが出来るはず、と自分に言い聞かせているうちに瞼が下がってゆき、そのまま眠りについてしまった。




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