四. 女官長
女性は静麗を円卓の前にある椅子に座らせると、向かい合う位置にあるもう一脚の椅子に腰を下ろした。
「先ずは、私の自己紹介をさせて頂きます。私はこの寧波の後宮で、女官や侍女、下働き等の全ての使用人を取仕切る役を仰せつかっております、女官長の 許 美雨と申します」
そう言うと、女官長は優雅に頭を下げた。
「あ、わたしは、雅安から来ました、羅 静麗です。宜しくお願いします」
静麗は慌てて、同じように頭を下げて挨拶をした。
「ええ。存じております。此方で蒋様をお迎えする様に申しつけられておりましたもの。しかし、何分急なお話でしたので、この様な小さな宮の殿舎しか準備が整わず、蒋様には申し訳ないことですわ」
「いえ、とんでもないです。とても素敵なお屋敷です」
確かに、少し古びてはいるが、それが良い趣を醸し出している部分もあり、華やかさには欠けるが、落ち着きのある佇まいの建物であった。
それよりも、また蒋と呼ばれたのが気になる。
静麗はもやもやとした気持ちを抱いた。
「そうですか。気に入って頂けたのなら重畳。暫くは此方の月長殿でお過ごし頂くこととなりますので」
「あの、その事なのですが、何故私のような平民が後宮へ入れたのですか? それに、浩然は、夫はどこですか? 此処で一緒に住んでも良いのですか?」
静麗は少し急くように女官長に尋ねた。
女官長は真正面から静麗の瞳に、ピタリと視線を定めて見つめてきた。
心の中まで見透かすような眼差しに静麗は怯んだ。
「まず、貴女が夫だと言われている羅様ですが、彼の方は後宮ではなく、皇宮にお住まいになられます」
「え、どうして!? 一緒に住むんじゃないんですか?」
自分達は夫婦なのだから、当然一緒の場所に住むことになると思っていた静麗は、女官長の言葉に驚いた。
「ええ。この先、羅様には皇族となる為の手続きや儀式などが多数控えており、とても多忙を極めることとなるでしょう。また、皇族となられた後には、皇子殿下の補助をするという責務が控えております。その為に内廷の中でも、責務の場である外朝に程近い、皇宮内に部屋を設ける事となりました。皇宮は皇族専用の宮ですので、其処に貴女をお連れすることは出来ないのです」
そう言うと女官長は静麗の顔を見た。
静麗が不承不承頷き、理解したのを確認すると話を続ける。
「それに、今の朝廷や皇宮は非常に混乱しておりますので、其処に貴女をお迎えする為に人員を割くことは出来なかったのです。その点、後宮は先の疫病で皇帝陛下がお亡くなりになった後、一旦後宮を閉じられる事となったので、宮も人手も余っておりますからね」
静麗は疫病で後宮内の多くの人達が亡くなったのは聞いていたが、後宮を閉じるという事はどういう事かと不思議に思った。
「あの、女官長、様。後宮を閉じるとは、どういうことですか。後宮は潰してしまうのですか」
「いいえ。潰すわけでは御座いませんわ。皇帝陛下がお亡くなりになったので、陛下の御血筋の御子方を除いて、側室達を後宮から出すのです」
「? 何故ですか。皇帝陛下が亡くなられても、側室様方が陛下の奥様達であったことには変わりないのでしょう?」
「ええ、そうです。しかし、次の皇帝陛下が御即位なさいました時に、新たに後宮を開くためには、今までいた側室様方には、皇城の別の場所に移って頂くことになるのです」
それを聞いて静麗も納得した。
病で体調を崩しているという皇子殿下が即位した時に、新しい皇帝陛下の為に、新しい後宮を作るのだろう。
「ですから、現在、この後宮に居られるのは、前皇帝陛下の姫君である公主殿下達となりますわ。今後、皇子殿下が御即位なされた暁には、貴族の姫達が後宮に召し上げられ、昔のような華やかな後宮となることでしょう」
女官長はその毅然とした目を少し細めて、遠くを見るような顔をした。
しかし、それも一瞬の事で直ぐに静麗に向き直る。
「その様な訳で蒋様には、今現在、人手も場所も比較的空いている、後宮の此方の月長殿でお住まいになって頂きます。閻殿より、貴女の事を託されましたので、侍女も用意させて頂きましたわ。何かあれば、その者に申しつけて下さい」
「あ、いいえ。私、自分の事は自分で出来ますから、侍女だなんて、……」
その言葉を聞いた女官長は目を眇めて静麗を見た。
「蒋様。後宮には、後宮の決まり事というものが御座います。貴女にはそれがお分かりにならないかと思います。それを手助けする為にも、また、要らぬ争いを避けるためにも侍女は置いて頂きます」
静麗は言い返すことも出来ずに俯いた。
女官長はそれを見て、ああ、もう一つと呟いた。
「此処は、御存じの様に後宮となります。そして、その中にある殿舎にお住まいの女性という事は、本来は皇帝陛下の正妻である、皇后娘娘や、側室様方のみなのです。今後、この後宮内においては、婚姻を結んだ相手がいることや、夫などという言葉は使わないで頂きたいのです。周りの誤解を招きかねないですから」
女官長の鋭い眼差しに静麗は萎縮し頷いた。
静麗は、言われてみればその通りだと納得した。
結婚している自分が、皇帝陛下の奥様が住む殿舎を使わせてもらうのだ。
夫などと人に話しているのを聞いた人は、皇帝陛下を思い浮かべてしまうかも知らない。
平民の自分の夫が、勘違いとはいえ皇帝陛下などと思われては、恐れ多いし、不敬罪で罰せられては堪らない。
ただ、此れだけは聞いておかなければと、恐る恐る女官長に尋ねる。
「あの、浩然とは、直ぐに会えますか?私が此処に居る事は知っているのですか?」
女官長は少し考える様に首を傾げた後、静麗に告げた。
「詳しいことは分かりかねます。何しろ、今の朝廷は酷い状態ですから。お会いするのは、当分は無理だと思いますわ。蒋様が此方にお住まいになることは、閻殿がお伝えしているのではないでしょうか」
静麗は俯き、手をぎゅっと握り締めた。
まさか、皇城に着いたその日に、浩然と引き離されてしまうとは夢にも思っていなかった。
どれ程忙しいと言っても、自分達は夫婦なのだから一緒に居たいし、浩然がこの事をどう考えているのかも聞きたい。
どうにかして浩然と会えないか、連絡を取れないかと考えた。
「そう、ですか……では、あの、手紙を……」
女官長はふぅ、と小さく息を吐いた。
「蒋様、先程から何度も申し上げているように、皇城は混乱の極みに在り、人手が足りておりません。そのような時に、貴女が何かをされるということは、その為に人手を割き、羅様の責務の邪魔をするという事になりますわよ」
「え、あ、そんな。私邪魔をするつもりなんか。……ただ、浩然に会いたいだけで……」
女官長は冷ややかに静麗を見据えると言った。
「蒋様。貴女の行いが羅様の評価にも繋がるという事をよくお考えになって、行動を起こされませ」
「そんな……」
静麗は女官長の言葉に愕然とした。
妻が夫に会いたいと、連絡を取りたいと言っただけなのに、何故それで浩然の評価が下がるような事になるのだ。
御爺様が心配していたように、朝廷とは、皇城とは平民の考えが通じない所なのかと、静麗は途方に暮れた。




