一. 俊豪
武の一族として名高い郭家の次男として生を受けた俊豪は、当然の様に武官となる事を目指した。
一族の中でも特に身体能力に優れて体格も良かった俊豪は、若くして武官となる事が叶い、その中でも頭角を現していった。
そして数年が経つ頃には念願の近衛武官となり、真面目で誠実な人柄で武官達の尊敬を集め、二十七歳という若さにして副官の地位に就いていた。
貴族としての高い地位から得た役職では無く、純粋にその実力で勝ち得たものであった。
◇◇◇
疫病の大流行という、未曽有の大災害が襲った皇都で復興に勤めていた俊豪は、ある日、上官に呼び出された。
人払いされた室内で二人きりとなった俊豪は、上官より驚くべき事態を聞くこととなった。
「……私が、その見つかった皇子殿下の護衛にですか?」
「そうだ。私の部下の中で一番信頼が置けるのは郭、お前だ。……皇子殿下の周りは今、朝廷の者共が固めているが、あの者達は皇家よりも国益を一番に考える節がある。それが悪いとは言わんが、半分平民の血を引き、後ろ盾の無い皇子殿下に対してどの様な対応を取るか分からん。朝廷と事を構える事は決してならんが、皇子殿下は今や皇家にとっては最後の希望となる大切なお方だ。その御身体を守るのが、我等近衛武官の使命だ。引き受けてくれるか?」
「はっ。この命に代えましても、必ずお守り致します」
「頼んだぞ」
己の執務室へと戻り、上官より渡された皇子殿下に関する極秘の資料に目を通した俊豪の口から、押し殺した呻き声が零れた。
朝廷の官吏は、あろうことか皇子殿下を脅して皇都まで連れてきた上に、本人の意志を確認する事も無く即位儀礼を受けさせようとしていた。
本来皇族に対してその様な不遜な行いをすれば、不敬罪どころでは済まないだろう。
だが、現在のこの国の状況を考えれば―――
「この方法しか、残されていないのか……?」
皇子殿下には、婚姻したばかりの妻が居ると書かれた箇所に目を止めて、俊豪は苦渋の表情を浮かべた。
その後、皇都の中にある高級宿まで迎えに赴いた際に、件の皇子殿下とその妻の少女の姿を初めて目にした。
まだ若い青年と、幼いと言っても良い娘の姿に、俊豪の心は痛んだが任務を放棄する訳にはいかなかった。
皇子殿下はだまし討ちの様に受けさせられた即位儀礼に激怒し、妻と共に帰ると叫んでいたが、それを俊豪や数名の近衛武官で阻み、曙光殿へと押し込めた。
皇帝陛下と成った事実を受け止められず、何度も逃げだそうとする青年を、その度に朝廷の者達が少女や祖父母の存在を盾に取り脅して、若い皇帝陛下を意のままに操ろうとしていた。
俊豪や皇帝陛下付きの近習達は、そんな横柄な朝廷の態度に憤りを感じていたが、自分達も朝廷と同じ様に皇帝陛下を逃がさない為に働いている事を自覚し、顔を伏せ、若き皇帝陛下の嘆きを間近で見続けていた。
そんな日々が続く中、俊豪は皇帝陛下の少女への想いの深さ、強さ、その渇望を憐れに想い、せめてその少女の身を少しでも危険から遠ざけようと考えた。
俊豪は己の執務室へと妹の伝雲を呼び寄せた。
身内の贔屓目を差し引いても優秀なこの妹に、後宮内の事を任せることにした。
「出来る範囲でよい。その少女の周りに気をつけて欲しい。その為に必要なら何人か私の部下を使っても良い。但し、朝廷や後宮の者達には感付かれぬ為にも、目立たぬ様に行動する事だ」
「はい、兄上。お任せ下さい。陛下の想いをお聞きした以上、出来る限りの事は致します」
伝雲はそう言うと、その日より後宮で少女の護衛も兼ねる様になった。
天河殿にて即位の儀式が執り行われる当日、特別な衣装にその身を包み、蒼褪めた顔色で静かに椅子に腰掛けている皇帝陛下の後ろに立ち、張り詰めた空気の中で警護に勤めていた俊豪は、武官の一人が入口の外から目配せしている事に気付いた。
そっと部屋から出るとその武官が顔を寄せて小さく耳打ちをしてくる。
その内容に眉を顰めた俊豪は皇帝陛下の様子を伺い、少し考えると武官へと命を下した。
「すぐに伝雲に連絡を。もし即位式を妨害する素振りを見せたら、その場で取り押さえよ。其れまでは手を出さずにそのまま見守っている様に。後の事は、伝雲に任せる様に伝えよ」
「はっ」
武官が素早く立ち去るのを見送り、俊豪は大きく息を吐いた。
「すまない」
俊豪の脳裏に銀星門の前で皇帝陛下に再会し、嬉しそうに笑みを浮かべた幼い少女の姿が浮かぶが、直ぐにそれを脇へと追いやった。
今日の即位の儀は、どの様な事が起こったとしても完遂させなければならなかった。
その日の夜、皇后娘娘との初夜之儀へと向かう長い列の中に、警護の責任者として俊豪の姿も当然あった。
先導する高級官吏達の持つ提燈の灯が幾つも連なり、後宮までの道を闇夜の中幻想的に照らしていた。
朝廷の意向で、この行列は華やかな物となっていた。
大貴族である朱家への配慮もあったのだろう。
物々しいまでの警護の中、ゆるゆると皇帝陛下を乗せた輿が運ばれてゆく。
皇后娘娘の華やかで荘厳な蝶貝宮 桃簾殿へと辿り着くと静かに輿が下ろされた。
皇帝陛下は介添えの手を無視すると、そのまま殿舎の中へと入ってゆく。
その後ろへと朝廷の官吏達が何人も続く。
俊豪はその一行を静かに見ていたが、徐に姿勢を正すと、皇帝陛下の後ろ姿へと深く深く頭を下げた。
周りに居た皇帝陛下付きの近習達もそんな俊豪の姿を見て、その場に膝を突くと、殿舎の中へと消えた皇帝陛下に向かい叩頭し、只管感謝と謝意の念を捧げた。
「さぁ、お前達。職務を果たせ」
俊豪の言葉に、周りにいた近衛武官や侍従達はそれぞれの務めを果たす為に動きだした。
その様子を眺めながら、俊豪は後宮の最奥へと視線を向け静かに黙礼した。
◇◇◇
即位の日から一月が過ぎた頃、皇帝陛下が夜に後宮へ向かうと言い出した。
此れまでは朝廷から強要されない限り、皇帝陛下が自らの意思で夜に後宮へと出かける事等、一度として無かった。
だが、月長殿に行くと言う皇帝陛下の心情を察した俊豪は、一度だけとその行いを己の職務に反して見逃すことにした。
俊豪は一月以上の日々を皇帝陛下の護衛として間近で過ごしてきた。
浩然の静麗に対する想いの深さを、その渇望をずっと側で見てきた。
皇帝陛下は、愛する妻がいる身で、この寧波の為にその身を犠牲にしている。
俊豪はそんな皇帝陛下に、偽善でしか無いとは知りながらも、少しでも報いたかった。
それに即位と皇后娘娘との婚姻が無事に終わった以上、必要の無くなったあの少女をいつ朝廷が故郷に帰すか分からない。
せめて最後に一目会うぐらいは、許されて然るべきだと俊豪は考えた。
その為に必要であるのなら、俊豪は自身の立場が危うくなるのも厭わない覚悟だった。
しかし短い逢瀬を終え、月長殿から出て来た皇帝陛下に対して俊豪は、怒りを買う事を覚悟の上で諫言した。
皇帝陛下の心は痛い程に伝わっていたが、後宮の安定の為にも、そして何よりもこの年若い青年と、その妻である少女が後宮の者達に害される危険を少しでも下げたいと考えたのだ。
そして皇帝陛下もそんな俊豪の心が分かったのか、もう会いに行くことはしないと答えた。
俊豪は此れで、後は少女を安全に故郷へと帰すだけだと、何処か安堵し油断していたのだった。
だが、朝廷の者達は皇帝陛下や俊豪が考えている以上に強かで傲慢であった。
あれ程、皇帝陛下が帰す様にと命じていたにも関わらず、あろうことか少女を側室としてしまった。
平民の女性を側室とするなど、考えられない暴挙だ。
そして、例え平民であろうとも、一度側室として後宮に名を連ねた以上、最早少女を故郷へと帰すことは不可能となってしまった。
其処までして、この若き皇帝陛下の身を好きに操りたいのかと、俊豪を始め皇帝陛下の近衛武官や近習は皆が怒りに震えた。
だが、少女を側室にした旨を伝えた朝廷の者達が帰って暫くの後、緩やかに身を起こした皇帝陛下の顔を見た周りの者達は、息を飲み身を強張らせた。
皇族の中でも群を抜いて美しく整った皇帝陛下のその面立ちには、見る者を恐怖に落とし込む様な、冷たく凄惨な表情が浮かんでいたのだ。
皇帝陛下の心中で何かが壊れ、そして新たに何かが生まれた事に、その場に居る者達は皆が知る事となったが、誰も其れを止める事など出来なかった―――
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