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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第一章

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十. 旅路

 



 婚儀の日から二十日が経とうという、その日の早朝。


 静麗ジンリー達の住む屋敷の前には祖父母や静麗の両親、使用人達が立ち並んでいた。

 皇都へ旅立つというのに、見送りは最低限の寂しいものであった。

 事情を説明できない為、静麗も浩然ハオランも、仲の良かった友人達にも告げる事が出来ないまま旅立つ事となった。

 屋敷の前にはイェンが皇都から乗って来た立派な馬車と、もう一台、荷馬車が止まり、既に静麗達の荷物も詰め込んだ後であった。



 旅装に身を包んだ浩然と静麗が、馬車の前に並び立ち、その斜め後ろには閻も立つ。


「御爺様、御婆様。では、俺達は皇都へ行って参ります。そして、お役目を立派に果たしたら、必ず戻ってきます」

「うむ。皇都は遥か遠い。道中気を付けてな。静麗の事もしっかりと守るのだぞ。そして、責務を果たしたのちは必ず戻っておいで」

「浩然、静麗。身体には気を付けてね。皇都に着いたら、手紙を頂戴ね。貴方達が帰ってくるのを待っているわ」


 祖父母は、浩然と静麗をそれぞれ抱擁すると、閻に向き直った。


「閻殿。どうか、孫達を宜しくお願い致します。……そして、一年後には必ず浩然達を返して頂きたい」

「ええ。お約束致しましょう」


 閻は祖父に晴れやかに応えると、静麗達を閻の乗る立派な馬車に促した。


 浩然が先に乗り込み、中から静麗に手を差し伸べる。

 その手を掴み、乗り込む間際、静麗は祖父母や両親を振り返った。


 両親は心配そうにしながらも、笑顔を浮かべ、静麗達に手を振ってくれた。

 静麗に頷く祖父母の顔も見える。






 でも、何故か、—――そんな愛する家族の姿が、いつも目にしていた雅安ヤーアンの風景が、とても遠くに感じた。



 浩然に手を引かれて馬車に乗り込むと、直ぐに閻も後に続いた。

 御者が扉を恭しく閉め、暫くすると馬車はゴトリと音を立てて動き出した。



「静麗、大丈夫か」


 浩然が心配そうに静麗の手を握り締める。

 静麗は頷きを返し、馬車の小窓から屋敷を振り返った。


 馬車が速度を上げるにつれ、遠く離れてゆく両親と祖父母の姿が、徐々に小さくなり、やがて見えなくなった。



 静麗は椅子に座り直すと前を見つめた。




 ―――今からは、浩然と二人だ。御爺様も御婆様も、両親も居ない場所に行くんだ。しっかりしないと



 静麗は不安に負けないように、浩然の手を強く握り返し、必ずここに二人で戻ってくると決意を新たにした。





 ◇◇◇





 雅安を旅立って数日、途中野宿をしながらも隣町に辿り着いた。


 鬱蒼と常緑樹が茂った山の中を通る、雅安から隣町へと続く街道が徐々に広くなり、木々もまばらになってきた。

 視界が開けると、落ちてゆく夕日に重なる様に、遠くに隣町が見える。

 夕餉の仕度の為か、家々の煙突からは煙が昇っていた。

 その景色を目にして浩然はほっと息を吐いた。



 初めての旅に、最初は緊張と興奮を抑えきれなかった静麗だが、初めて乗る事となった馬車での長時間の移動に疲れ果てていた。

 浩然はそんな静麗を気遣い、常にその体調を気にしていた為、静麗は申し訳なさと情けなさを味わっていた。



「静麗、隣町が見えてきたよ。今日はきっとここで泊まる事になるから。やっと静麗を寝台でゆっくりと休ませてあげられるよ」

「あぁ、そうなの?嬉しい」


 静麗は力なく笑った。

 初日に固く誓った決意も虚しく、静麗は馬車の激しい揺れに酔い、常に浩然にぐったりと凭れていた。

 徐々に揺れにも慣れてきたような気もするが、まだ幾分顔色も悪く、気分も良くない。

 そんな中での浩然の言葉に静麗は素直に喜んだ。



 ―――皇都で足手纏いどころか、最初から浩然に迷惑をかけている。閻様だって、きっと呆れているわ



 静麗は本当に自分が情けなく思い、早くも挫けそうになってしまった。

 閻は浩然達の言葉に柔和な顔を静麗に向けた。


「女性である静麗殿には、馬車での旅は辛いものとなりましょう。今回は、数日で町へ泊まる事が出来ましたが、この先はこれよりも長い期間野宿となる行程もあります。もし、絶え難い様であれば、今ならばまだ引き返すことも出来ますよ」


 静麗を思いやった言葉に対し、返事に詰まる静麗の代わりに、浩然が応えた。


「閻様。以前にも言った様に、静麗は俺と一緒に皇都まで連れて行きます。これだけは、譲れない事だ。覚えておいてくれ」


 浩然が咎める様に言うと、閻は鷹揚に頷いた。


「承知しております、浩然様。ただ、私は女性に長旅はお辛いだろうと思って言ったまで。静麗殿が皇都へ行くことに対して反対など致しておりませぬよ」

「そうですか。だったら別にいいです」


 浩然は閻から顔を背けると、静麗の背を優しく撫でた。


 太陽が完全に落ちる寸前に町へ着くと、御者は直ぐに宿を取りに走る。

 閻も用事があると言い、浩然にこの場で待つように伝えると、町の雑踏の中へと消えた。

 静麗は浩然に支えられて、ゆっくりと馬車から降り立った。


 二人きりになった静麗はぐっと背を伸ばし、ずっと曲げていた腰も伸ばすと大きく息を吐いた。


「はぁ、浩然ごめんなさい。浩然だって疲れているのに、ずっと凭れてしまって」

「俺は男だし、静麗よりもずっと頑丈に出来ているから心配するな。それより、気分はどうだ?」

「うん。大丈夫。馬車にも大分慣れてきたみたい。……あぁ~、でも揺れない地面ってなんてありがたいのかしら」


 しみじみと語った静麗に浩然は、ぷはっと変な笑い声を上げた。


「何を当たり前の事を。もし、地面が揺れるならそれは地震だろ」

「酷いわ。酔わない浩然には私の気持ちは分からないのよ。本当に大変だったのよ」


 口を尖らせて静麗は抗議する。

 浩然は暗くなった辺りを見回し、誰も此方こちらを見ていないのを確認すると、素早くその尖った唇に口づけを落とした。


「浩然っ、ここは外よ」


 静麗が赤い顔をして、小声で浩然を窘める。

 それに嬉しそうに笑う浩然。


「大丈夫だよ。誰も俺達を見ていなかったから」

「そういう問題じゃないでしょう?室内じゃないのよ!浩然はもう少し慎みを身に着けた方がいいわ」


 静麗は恥ずかしそうに上目遣いで浩然を睨む。


「分かったよ。こういう事は外じゃしない。これでいいだろ?……静麗はもう少し積極的になってくれてもいいと思うよ」


 にやりと浩然は笑うと静麗の耳元で囁いた。

 静麗が更に顔を赤くして口を開こうとしたとき、御者と閻が二人を呼びに戻って来た。


 今日の宿が決まったようだ。








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