表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第十章 ◆

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

117/132

三. 絶望

 


 即位の為に誂えられた豪華絢爛な衣装から、皇帝陛下の初夜の為の特別な寝衣へと着替え、その上から美しい光沢を放つ豪奢な上衣を羽織る。


 浩然ハオランは初夜の準備を粛々と進める周りの様子を見たくないとばかりに瞳を閉じて動かなかった。

 しかし時間は無情にも流れてゆく。





「陛下。準備が整いまして御座います」



 侍従のスゥーが声を潜めて浩然に告げる言葉に、周りの者達は緊張に包まれた様子で固まり、皇帝陛下の様子を注視した。


 浩然は緩慢な動作で瞳を開けると立ち上がり、私室から出る為に歩き出した。

 その後ろにほっとした様子で侍従や女官、そして多くの近衛武官が付き従う。




 曙光殿の外に出ると其処には高級官吏や近衛武官、侍女や侍従等が拝跪して皇帝陛下の御出ましを待っていた。

 浩然はその様子を無感動に見ると、用意されていた華やかな輿へと乗り込んだ。

 武官達が浩然を乗せた輿をゆっくりと持ち上げる。


 暗闇の中を皇帝陛下を乗せた輿は後宮へと向かい、ゆるゆると歩き出す。

 その前後左右には近衛武官が整然と取り囲み、皇帝陛下と成った浩然を警護している。



 ―――いや、此れは警護じゃない。俺の逃亡を阻止する為のものだろう……



 浩然はどれ程足掻いてもどうする事も出来なかった己の無力さに、そして朝廷という巨大な権力を前に静麗を守る事も出来ず、今、正に愛する妻を裏切る所業をするしか出来ない己に、絶望の想いを抱いていた。





 先導する高級官吏達の持つ提燈ランタンの灯りが幾つも連なり、後宮までの道を、闇夜を幻想的に照らしだしている。


 皇帝陛下が通る、その先にいる全ての女官や侍女、武官等の人々が跪く中、浩然を乗せた輿は皇宮と後宮を隔てる巨大な銀星門を通り抜け、その真正面にある、大国寧波の後宮で一番荘厳で美しい建物、皇后娘娘が住まう 蝶貝宮 桃簾殿へと辿り着いた。


 そして浩然は、高級官吏に先導されて皇后娘娘の待つ寝室へと、桃簾殿の中を静かに進んでいく。

 桃簾殿の中には多くの侍女が待ち受けており、皆、浩然が通り過ぎていくのを拝跪して見送った。


 桃簾殿の奥に位置する皇后娘娘の寝室に浩然が足を踏み入れると、本日、皇帝陛下の御正室、皇后娘娘として冊立されたばかりの貴一品位の大貴族の姫君である ヂュ 薔華チィァンファが跪いて皇帝陛下の訪れを待っていた。



 薔華も即位の時の華やかな衣装から、寝衣の上から上衣を羽織るだけの軽装へと衣を変えていた。

 複雑に結い上げられていた髪も今は下ろし、艶やかなその黒髪を華奢な背に流している。

 夕刻から初夜の儀の為に湯浴みを行い、隅々まで磨き上げられて薄化粧を施されている薔華は、輝くばかりの美しさだった。



 薔華は皇帝陛下が目前まで歩いて来たのを確認し、深く頭を垂れた。


 高級官吏がそんな二人の前へ進み出て、初夜の儀に関しての説明を長々と話している間、浩然は美しい薔華を静かに見下ろしていた。


 やがて、全ての説明を終えた高級官吏や控えていた侍女、武官等が、しずしずと寝室から退出していった。

 寝室には浩然と薔華の他に、寝室の入口に控えている薔華の侍女のみとなった。



 自分の前に跪く高貴な女性を、浩然は虚無の思いで見下ろす。


 本来なら、平民として育った自分などが垣間見る事も出来ない高貴な女性だ。

 しかし浩然はそんな高貴な姫君を前に、遣り切れない心境で声を掛けた。


「面を上げよ」


 浩然の言葉に薔華は顔をそっと上げると、跪いたまま潤んだ瞳でこの寧波で一番尊い存在である、天子の顔を仰ぎ見た。


 薔華は感極まった様に涙を浮かべた美しい瞳で皇帝陛下の尊顔を見詰めて、花弁の様に愛らしいその唇を開いた。


「皇帝陛下。わたくしはずっと、陛下にお仕えすることを願って参りました。陛下の正妻として、皇后として後宮にお召し頂き、感謝申し上げます。心から、皇帝陛下に、………浩然様にお仕えさせて頂きます」


 透き通った美しい声で薔華は浩然に告げると、もう一度頭を下げて額づいた。

 感激した様子でそう告げる薔華を見て、浩然の心には冷めた想いが広がった。



 ―――陛下にお仕え、か……本来皇帝となるべく育てられた皇太子は墓の下で、皇位とは程遠い田舎の平民だった俺にこの女は跪くのか。…………では、この女は、正しく皇帝という位に仕える女なのだな。俺という人間など、どうでもいいのだろう



 浩然は薔華から顔を背けた。



 ―――この女がおかしい訳では無いのは分かっている。貴族の姫としてはこれが正常なのかもしれない。だが、なんて滑稽で哀れなんだ―――俺も、静麗も……この女も……









 浩然は跪いていた薔華の白く美しい手を取り、優しく立たせながら呟いた。


「美しいな」


 白く、美しい手だ。

 労働など一切したことの無い綺麗な手は、静麗の手とは全く違う。



 ―――この女が俺の……皇帝の正妻、皇后となるのか。……この女を俺は一番にしなければならないのか



 浩然は目の前に佇む、皇帝陛下の正妻である薔華の顔を静かに見詰めた。


 薔華は、貴一品の位の大貴族の中でも特に身分が高く、絶世の美女と国内のみならず他国でも評判の姫君だ。

 そして皇太子の正妻となる為に、厳しい教育を受けてきた才女でもあった。

 美しい母の顔を見慣れていた浩然でさえ、初めて会った日にはその隔絶した美貌に驚愕した程の女性だ。



 ―――だが、違う。…………欲しいのはこの女ではない



 浩然は皇帝陛下の妻となった美しい薔華の姿を目を細めて見ていたが、ふと何かに惹かれて窓辺へと視線を向けた。

 そこには、冴え冴えとした冷たい月光が、二人の初夜の場となる薔華の豪奢な寝台を照らしていた。



 まるであの夜と同じ様な、美しい月の光が―――





 ―――あぁ、静麗…………






 浩然は薔華の白く美しい手を取り、そっと引き寄せるとその薄い肩を抱き寄せ、天蓋付きの豪奢な寝台に共に上がった。

 入口の横で控えていた薔華の侍女が静かに近づいて来て、天蓋に取り付けられている薄い紗をそっと下ろしてゆく。


 蠟燭の暖かな橙色の灯りと、月の冴え冴えとした透明感のある青い光が、薄布を通して天蓋の中にまで差し込んでくる。



 豪華な寝台の中、薄く透ける紗に四方を囲まれて薄闇に二人きりとなった浩然は、寝具に埋もれて潤んだ瞳で己を見上げる薔華に覆い被さりながら、静かに目を閉ざした―――









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ