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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第十章 ◆

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一. 即位之儀

 


 前皇帝陛下を初め、皇太子殿下や多くの皇族達が疫病により亡くなり、混乱を極めていた寧波ニンブォだが、その日、皇都は晴れやかな祝賀の雰囲気に包まれていた。


 皇都から遥か遠い田舎町、雅安ヤーアンにて発見された直系の皇子殿下が、正にこの良き日に帝位継承の儀式を正式に執り行い、この大国の皇帝陛下として即位を果たすのだ。







 天候に恵まれたその日、朝から皇城内では即位之儀の準備に追われ、喧騒に包まれていた。


 浩然ハオランは即位の為に特別に誂えられた華やかな衣装に身を包み、髪を結い、皇帝陛下のみが着けることを許された冕冠を被った姿で、居室である透輝宮 曙光殿から久しぶりに外へと出ると、儀式の場である天河殿へと赴いていた。


 天河殿とは国家的な儀式などを執り行う、外朝三殿の中でも一番荘厳で大きな建物である。

 浩然はその天河殿の中で、皇帝陛下の控室とされた場所で侍従や近衛武官と共にその時が来るのをじっと待っていた。






「陛下、お時間で御座います。どうぞ、此方へ」


 皇帝陛下付きの侍従であるスゥーが入口から現れ、深く頭を下げて揖礼をしながらそう告げた。


 浩然は椅子に腰掛けたまま、瞳を閉ざすと手を強く握りしめた。




「陛下……」



 部屋の中に居る侍従や女官達が、不安そうに浩然の様子を伺っている。


 今、この部屋の中に居る者達は、皆が皇帝陛下付きの近習であり、普段から浩然の周りに付き従って居る者達だ。

 一月近い日々の間、このまだ年若い皇帝陛下の姿を一番近くで見守って来た者達であった。

 故に、皆が浩然の立ち位置やその苦悩を良く分かっており、その心情を慮り、居たたまれずに顔を伏せた。

 自分を含め、此処に居る全ての者達も、この青年から最愛の者を奪い、自由を奪い、皇帝陛下という御位に雁字搦めに縛りつける手伝いをしている事を良く自覚していたからだ。

 中には朝廷の意を受けて積極的にその手伝いをして居る者も居たが、多くの者達は罪悪感を多かれ少なかれ感じていたのだった。


 即位当日の今日になって、もしこの青年が反旗を翻したらと不安な顔で椅子に腰掛けたままの青年を見詰める。

 しかし、浩然はそんな周りの反応に反して静かに椅子から立ち上がった。



「参る」



 一言短く告げると浩然は部屋の外へと、即位の儀式が行われる場へと向かい歩み始めた。

 侍従や武官、それに女官達はそんな浩然に向かい、言葉に出来ない謝意の念を込めて深く頭を下げた。








 浩然が向かった先は、豪華ではあるが先程まで居た部屋と比べると、少し狭く感じる部屋であった。

 しかし目線を転じるとそこには、小さいが美しい装飾を施された両開きの扉がその存在感を示していた。

 そして、今は閉じられているその扉を開けた先にあるのが、幅広く続く白い石階段であり、儀式の場となる天河殿の前に広がる石畳の広大な広場だ。



 浩然が部屋の中に足を踏み入れると、皆が頭を下げて皇帝陛下を出迎える。

 その正面には一人の女性が立っていた。


 皇帝陛下の正妻、そして本日皇后娘娘に冊立されるヂュ 薔華チィァンファである。


 薔華は貴一品位の大貴族の姫君であり、未婚の貴族の姫君の中で現在一番身分の高い女性であった。

 そして、亡くなった皇太子の正妻となる為に厳しい教育を受けてきた才媛でもあった。


 薔華は浩然と同様の、白地に赤や金の刺繍も艶やかな、宝石を縫い付けた眩く美しい衣装を身に纏い、数え切れぬ程の装飾品を大きく複雑に結い上げられた髪や耳、手等に着けている。

 しかし、その様な豪華絢爛な衣装も薔華の美貌には叶わないであろう。


 小さく白い顔には美しく化粧が施され、輝く大きな瞳の眼尻には赤く線が引かれ、その美しい瞳を強調している。

 また形の良い額には朱色で花弁の様な形の模様が描かれ、まるで天女の様な清らかさであった。

 周りの男性の侍従達だけでは無く、侍女や女官等もその余りの美しさに言葉を失い、魅入られた様に薔華の姿を見詰めている。



「陛下」



 薔華の甘やかな声が浩然を呼ぶ。


 浩然はその美しい姿に目を眇めて、薔華を見詰めながら近くまで歩み寄る。

 目の前まで来た浩然に対し、薔華は微笑むと緩やかに腰を折った。


「陛下。本日は晴れやかな即位の儀を迎えられました事、心よりお慶び申し上げます」


 薔華の言葉を聞いた浩然は、小さく頷いた。






 ほんの数日前に会ったばかりのこの女性が、今日から己の正妻となるのだと言われた。


 初めて会った時には、此れまでに見たことも無い程美しい女性を前にして、浩然も息を飲んだ。

 だが、其れだけだった。

 どれ程美しい姿をして、身分高い貴族の姫であろうとも、行き成り妻として愛せる筈も無い。

 そしてこの女性が男児を生むまでは、朝廷はどんな手段を使ってでも自分を手放す事は無いのだろうと考えると、その美しささえも厭わしく思えてくる。



 浩然は怒りを抑える為に、小さく手を握り締めた。


 静麗と再会を果たした後、浩然は直ぐに静麗を故郷に帰す様にホォゥ丞相や高級官吏達に訴えたが、今日までその願いが叶えられることは無かった。

 静麗は未だに後宮に留め置かれているらしい。

 あれから一度も会うことを許されていない浩然には、その後静麗がどの様な扱いとなっているのかも分からず不安が増していた。



 ―――静麗。静麗……どうか、無事でいてくれ。そして俺が、お前を裏切る姿を、……どうか、見ないままで、無事に帰ってくれ…………



 この即位の儀式が済めば、そうすれば静麗を故郷に帰してやれる筈だと、その事に一縷の望みを託して浩然は即位に臨んだ。


 浩然は静麗の無事を祈り、瞳を閉じた。

 そして緩やかに瞳を開けると前を見据え声を上げた。




「儀式を、始めよ」




 浩然の声を聞いた近衛武官達が動き、朱色の美しい両開きの扉がゆっくりと開かれてゆく。

 その隙間から陽の光が差し込み、薄暗かった室内に一条の光が差し込む。


 扉が開いたその先には、数え切れぬ程の人々が、文武百官達が広場に犇めいていた。

 白く美しい石床の上に、貴族や官吏、武官といった人達が、儀式用の華やかな衣装に身を包み、天河殿に向かい跪いている。




 その整然と並んだ全ての人々が一斉にひれ伏してゆくのを見詰めながら、浩然は皇帝陛下と成る為に、長く敷かれた赤い光沢のある絨毯の上にその一歩を踏み出した。








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