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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第九章 ◆

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七. 対顔

 


 浩然ハオランは正面に立つ巨大な建築物である銀星門を眺めた。


 今自分が居る皇宮と、皇帝陛下の妻達が住むことになる後宮を隔てるという、その豪華でありながら威圧的な正門を暫し見つめた後、イェン達と共にその下を潜り抜けようとした。


 すると閻がすっと側により、小さな声で囁いた。


「陛下。静麗ジンリー殿は、何も御存じでは御座いませぬ。貴方様が既に皇帝陛下と成られた事も、この先多くの姫君達を娶られる事も……そして、朝廷にとっての自分の立ち位置も。どうか、それを考慮して静麗殿とお話し下さいませ」


 浩然はぐっと拳を握り締めると小さく頷いた。



 ―――ここまできても、まだ俺を脅すのか。…………それに、静麗には何も告げていなかったのか。……だったら、このまま何も知らせずに雅安ヤーアンに帰らせることが、静麗にとっては一番安全だろうか?



 浩然は銀星門を通り抜けながら、迷う様に目を瞬かせた。



 ―――静麗には、何も告げない方が良いかもしれない。普段は大人しい癖に、一度決めると大胆な行動を取る静麗だ。もし、俺達の現状を知ったら、何をするか分からない。そしてそんな静麗を、朝廷の奴らがどう扱うかも分からない



 やはり静麗には何も告げず、このまま故郷に帰すべきだと浩然が決意を固めた時、目の端にその静麗の姿が映る。



 静麗は銀星門を抜けた先にある小さな池の横に設置されていた長椅子に、一人の女性と一緒に座っていた。

 静麗も浩然の姿を捉えたのか、椅子から勢いよく立ち上がった。

 そして笑顔を浮かべて此方を見詰めている。


 普段見たことも無い華麗な衣装に身を包んだ、浩然の最愛の妻。


 浩然は静麗の姿を目に映すと、心の奥から愛おしさが溢れて、何時も呼んでいた様に優しく声を掛けた。


「静麗」


 浩然の声が聞こえたのか、静麗が此方へと駆け寄って来て、その小柄な身体で抱きついてくる。

 半月以上も会えなかった愛おしい静麗の温もりを感じた浩然は、その健やかな姿に安堵の息を吐いた。



 ―――良かった。元気そうだ



 顔を上げて浩然を見上げてくる静麗の目には涙が浮かんでいた。


「浩然、会いたかった。来るのが遅いわ!」


 涙声で詰る静麗を、浩然は強く抱き締めて、その背を優しく撫でた。

 何も知らされずに、たった一人で後宮などに閉じ込められていたのだ。

 どれ程不安だったことだろう。


「ごめん、静麗。……ごめんな」


 浩然は静麗の顔を己の胸に押し付けて強く抱き締めた。



 ―――本当に、ごめん。……でも、俺達は、……もう一緒にはいられないんだ……





 暫く浩然の胸に顔を埋めていた静麗だが、落ち着きを取り戻すとそっと身体を離した。

 そして浩然の顔を改めて見詰めてくると、驚いた様に口を開いた。


「浩然?……顔色が悪いわ。大丈夫? 体調が悪いの? それとも、そんなに忙しいの? もしかして、私が会いたいと我儘を言ったから、無理をしたの?……ごめんなさい、浩然。私、浩然の邪魔をしたのではない?」


 心配してそう矢継ぎ早に問いかけてくる静麗に、浩然は安心させる様に優しく笑い掛けた。


「大丈夫だよ、静麗。少し、疲れているだけだから。……心配するな。」


 そう言いながら優しく静麗の頬を撫でるが、静麗は眉を寄せて心配そうにするばかりだ。

 幼馴染としても長い時を共に過ごして来た静麗は、浩然の様子が何処かおかしなことにも気付いたのかもしれない。


「本当に、大丈夫なの?……もうじき、皇子殿下の即位の儀式があると聞いたわ。その準備で浩然も忙しいのではないの?」


 浩然の置かれた状況を正確に把握出来ていないのだろうが、即位の儀が行われる事は知っているようだ。


 浩然は俯き瞳を閉じた。


 しかし静麗にこれ以上不審に思わせない為にも直ぐに顔を上げ、笑顔を浮かべて大丈夫だと頷いた。

 そして、意識を逸らせるために話題を変えた。


「俺は大丈夫だ。……静麗は平気か? 何か困ったことは無いか?」


 現状では静麗に危害が加えられた様子などは全く見られないが、朝廷の連中相手に油断は出来ない。

 浩然は内心の不安を押し隠して静麗に問いかけた。


「私は平気よ! 此処でとても良くして頂いているわ。芽衣という侍女も付けて頂いたのよ。まるで、貴族のお姫様の様な扱いを受けて困っているぐらいよ。見て、浩然! この衣装も用意して頂いた物なの」


 静麗も不安で一杯だったろうに、浩然に心配を掛けまいとして明るく振る舞っている。

 その事に浩然は気付いたが、今の自分には静麗を守る事も、此処から連れ出すだけの力も無かった。



 浩然の前で両手を広げ、美しく装った姿を見せる静麗の姿に、浩然は眩しそうに目を細めた。


「あぁ、とっても綺麗だ。良く似合っているよ」


 浩然の心からの称賛に頬を染めた静麗は、そこで浩然の後ろに控えていた閻に向き直った。


「閻様が、色々と手配して下さったのですよね。ありがとうございました。でも、私には分不相応ですから、もっと普通の場所で、普通の庶民としての扱いをして下さって結構です」


 浩然は、閻に礼を言う必要など無いと言いたくなる口を、意識して引き締めた。

 しかしそんな浩然の前で、閻は静麗の言葉に、とんでもないと首を振っている。


「貴女様は我々にとっても、重要な御方です。どうぞ、羅様の為にも、我々の為にも、このまま後宮で健やかにお過ごしして頂きたい。その方が、羅様も安心なされる筈です。そうでございましょう?」


 閻は浩然に顔を向け、目を細めて微笑んだ。


 浩然はこの先何時までも静麗を後宮などに留め置く積りは全く無い。

 出来るだけ早く静麗をこの皇都から故郷に帰す様にと、朝廷には頼んでいる筈だった。

 戸惑うような顔を一瞬見せた浩然だが、静麗の視線に気付くと、小さく頷いた。


「静麗。俺も静麗には後宮に居て貰った方が安心出来るんだ。窮屈かもしれないけど、我慢してくれないか?」



 ―――閻がどういう積りで言ったのかは分からないが、もう一度ホォゥ丞相達にも静麗を帰す様に伝えよう



 静麗の安全について思考を巡らせていた浩然は、静麗が落胆して肩を落としている事に気が付き、胸が痛んだ。



 ―――静麗は、俺が今日迎えに来たと思ったのか? でも、もう俺達は―――




「静麗……俺は、」



 浩然は思わず声を上げかけたが、閻がそれを遮る。


「羅様、政務のお時間です。外朝にお戻り下さい」


 閻は浩然が余計な事を言う前に皇宮へ戻る様に誘導しようとする。

 浩然は、余りにも短い逢瀬の時間と閻の存在に苛立ち、唇を噛みしめた。


 しかし再度促された浩然は、諦めた様に分かったと小さく応えた。

 そして此れが最後となるかもしれない静麗の顔を、その瞳に焼けつける様にじっと見詰めた後、閻に続いて後宮の外へと続く銀星門へと向かい歩き出した。





 浩然は閻や武官達を引き連れて静麗から遠ざかって行ったが、銀星門の手前で急に足を止める。

 そして勢い良く背後に居る静麗を振り返った。




 静麗は先程の場所で立ち尽し、浩然を一心に見詰めていた。




 その姿を目に映した瞬間、浩然の脳裏からは脅されている事実も、皇帝陛下と成らねばならない事も、全てが消え去る。





 浩然は静麗へと向かい、その場から飛び出した。




 浩然の目には、最早静麗の姿しか映っていない。




 置き去りにされた閻が驚いた様に騒ぐ声も、浩然に続き直ぐに駆けだした武官の姿も、何も認識していない。

 ただ、目に映る静麗目指し駆け付け、その小柄な身体を力一杯抱き締めた。



 己の身体の中に閉じ込めてしまいたいと思う激しい感情のまま、強く強く抱き締める。




「静麗、静麗っ。……愛している。どうか、それだけは忘れないで。婚儀の日に誓った気持ちは永遠に変わることは無い。信じて、まっ」

「羅様!」



 浩然の口から押し殺した苦し気な声が漏れるが、それは閻の大きな声に遮られる。




 浩然は静麗を腕の中からゆっくりと解放すると、静麗の顔を見詰めたまま閻に、今行く! と声を上げた。




 ―――静麗、待っていろ。……お前だけでも雅安へと帰してやるから




 浩然は最後に静麗の頬に大きな手を当てて、全ての愛情を込めてひと撫でするとその足を閻が待つ銀星門の方へと向けた。






 浩然はそれから一度も静麗を振り返ることなく、後宮と皇宮を隔てる荘厳な銀星門の下を通り抜けて行った――――






第九章 終


次回 挿話

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