四. 窮境
宗廟の前で官吏や武官達に取り押さえられるようにして馬車に乗せられた浩然は、そのまま歴代の皇帝陛下が居住していた 透輝宮 曙光殿 へと押し込められた。
多勢に無勢では相手にもならず、また静麗の居場所や安否が分からない浩然には抵抗を続ける事が出来なかった。
曙光殿の一室に腰を落ち着けた浩然は、自分の前に跪く候丞相や閻 明轩達官吏を前に口を一文字に引き締めた。
そして先程から何度も口にしている言葉を繰り返す。
「静麗は、何処です? 直ぐに此処へ連れて来てくれ。そして今すぐに俺達を雅安へ帰してくれ」
其れに対する返答もやはり先程までと同じであった。
「陛下。既に即位儀礼は完了しており、貴方様はもうこの国の皇帝陛下と御成りなのです。この皇都から外へ、容易く出ることは出来ませぬ」
ぎりっと唇を噛みしめた浩然は、だんっと卓を叩いた。
「俺が皇帝だというのならっ、少しは俺の言う事を聞いたらどうなんだ!」
候丞相はそんな浩然を真正面から見詰めると、目を伏せて叩頭した。
「確かに貴方様は至高の御位にお就きに成られました。しかし、未だ皇帝陛下としての責務を何一つ果たしておられませぬ。……陛下の第一の責務は、御子を成す事で御座います。唯の御子では御座いませぬ。身分高き貴族の姫胎の、皇子殿下が早急に必要なので御座います。先の疫病で皇家は断絶の危機に御座います。陛下には一日も早く身分高き姫君を娶り頂き、多くの御子をお作り頂かねばなりませぬ」
浩然は朝廷の勝手な言い分に、怒りで身体を震わせた。
「そんな事、俺の知ったことか。俺は既に静麗と婚姻を結んでいる。他の女なんか必要無い。世継ぎに関しては、病の皇子殿下が成すべきことだろう!…………そうだ。何故、皇子殿下を即位させず、平民の俺を皇帝にする必要が有る? 皇子殿下は、何処に居る?」
怒りの余り忘れていた皇子殿下の存在を思い出し、浩然は意気込んで問い質した。
病の皇子殿下の体調が戻れば、浩然は故郷に帰る事も出来、全て上手く行く筈だ。
しかし周りの官吏達は沈痛な表情を浮かべて顔を伏せた。
「陛下、貴方様の兄上である皇子殿下は、病の為に御子を残すことが出来ぬ身体となられ、静養の為皇都を離れておられます。そして今や、直系の皇子殿下は貴方様を除いて他には居りませぬ。貴方様が身分高き姫君と世継ぎの御子をお作り頂かねば、現王朝は貴方様の代で途絶える事となるでしょう」
「は?……な、にを?」
浩然は今聞かされた言葉が信じられず、また信じたく無く、緩やかに首を振ると否定してくれる者を探して周りの者達を見回した。
だが、誰も浩然が望むように今の話を否定する事無く、只管に浩然を見詰めている。
じわじわと己が追い詰められてゆくことを感じた浩然は、唐突に椅子から立ち上がると、後ずさった。
浩然が後ずさった分だけ、官吏や武官が膝を付けたまま前に這い出てくる。
「俺は、……俺は既に婚姻している身だ……。静麗以外の、他の女など、……抱けるわけが無い」
後ろに下がり続けた浩然は、とうとう壁際まで追い詰められる。
「それでは、静麗殿は後世で傾国の悪女と言われましょうな」
「何? 何故そうなる!? 静麗程、優しく想いやりのある女は他に居ない!」
静麗の名誉を汚すような発言をした官吏を睨み、浩然は怒鳴った。
それに対して冷静な目で見返してくる高齢の官吏は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「そうで御座いましょう? 陛下はその女性お一人の為に、二千年続いたこの王朝を陛下の代で途絶えさせ、滅ぼそうとされている。その原因の女性を悪女と呼ばずに、何と呼べは? 代々の皇帝陛下が、様々な想いの中で二千年に渡り繋いでこられたその尊い御血筋を、貴方様は女一人の為に途絶えさせると仰られているのですから」
「そんな、……そんな事俺には、関係が……」
浩然は言葉に詰まり、首を小さく振り続けた。
「そ、そうだっ。皇女殿下が何名か居るのだろう? だったら、その皇女達に子を産んでもらえれば」
浩然はそう叫んだが、官吏達は表情を変えずに浩然の狼狽振りを静かに見詰めている。
「陛下。貴方様も御存じの筈です。皇家は直系男子にのみ帝位継承の資格が御座います。公主殿下では、意味が無いのです。もし、仮に、公主殿下を女皇として新しい王朝を開いた場合、皇配に誰を据えるかで貴族の間で諍いが必ず起きましょう。それを虎視眈々とこの国を狙う他国が見逃すはずが御座いません。そして今この国には、それを退けるだけの国力は残されておりませぬ。戦が起こればどれだけの民の血が流れるか、……どうか民を哀れと思し召しになるならば、正しき道をお選び下さいませ」
候丞相が沈痛な表情で苦く声を発した。
しかし、直ぐに決意を秘めた厳しい目をすると、浩然を挑むように見上げてきた。
「陛下には国の安定の為に、来月にも即位の儀と皇后娘娘冊立、そして成婚の儀を行って頂きます。そして多くの御子を成して頂く為にも、早急に後宮をご用意致します。どうぞ、この国の皇帝陛下として、責務を果たされますようお願い申し上げます」
候丞相が頭を床に押し付けて叩頭礼をすると、浩然の周りに侍る全ての者達も同じように床へと額を押し付ける。
その現実とは思えない光景を、部屋の中で唯一人立っている浩然は上から見下ろし、小さく呟いた。
「……だ、……には、静麗が……」
十八歳の田舎の青年でしか無かった浩然には、事が重大すぎて受け止める事も、拒否し続ける事も出来ず、壁に背を付けたままずるずるとその場に滑り落ち、床に蹲った。
そんな茫然自失とした浩然を、直ぐ側で大柄な近衛武官や侍従が支え、じっと見詰めている事にも気付く事は無かった。




