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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第九章 ◆

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一. 奉迎

 


ルゥオ様。大変お待たせし、また、ご不便をお掛け致しましたこと、深くお詫び申し上げます。申し訳御座いませんでした。羅様をお迎え出来る準備が整いましたので、これより皇城へお移り頂きたく存じますが、宜しいでしょうか」



 宿の部屋まで迎えに来て、深く頭を下げたイェンの言葉に、浩然ハオラン静麗ジンリーを振り返った。

 静麗は大きく頷いて浩然に応える。



 ―――大丈夫そうだな



 緊張はしているのだろうが、落ち着いて頷く静麗の様子を確認して、浩然も頷き返した。





 浩然達は閻に先導されて三日泊まった皇都の高級宿を後にした。


 宿の前に停められていた出迎えの馬車は、皇都へ来るまで乗って来た馬車よりも遥かに豪華な物だった。

 螺鈿と金箔で龍の模様が施され、陽の光を弾く美しい漆黒の車体の、二頭立ての馬車。

 その周りには、揃いの武具を身に着けた、武官と思われる逞しい身体つきの男性達が多数警護していた。

 整然と並び立つ凛々しい武官達は、浩然達は知る由も無かったが皇族のみを守るという近衛武官達であった。


 その仰々しいまでの迎えを前に、固くなる静麗を後ろから支え、浩然も立ち止まった。



 閻が宿から出て来た事に気付いた武官達は、一斉に此方こちらに向き直る。

 そして、閻の後ろから浩然達が姿を見せると、一糸乱れぬ素早い動きで片膝を突き、深く頭を垂れた。

 その動きと、それによって武具が立てた大きな音に、びくりと静麗の身体が揺れる。

 浩然もその統制の取れた動きに驚き、唖然とした顔で武官達を見ていた。



「羅様。どうぞ、馬車へ御乗り下さいませ」

「あ、あぁ。……静麗、行こう」


 閻の声に、唖然としていた浩然は気を取り直して頷くと、静麗に手を差し伸べた。

 しかし静麗の手が浩然に触れる前に閻の声が再び届く。


「ああ。お待ち下さいませ、羅様。此方こちらの馬車は皇族専用で御座います。申し訳御座いませぬが、静麗殿には後ろの馬車に乗って頂きたく存じます」


 二頭立ての馬車の後ろ、武官達の乗る馬達の、更に後ろにもう一台、小さな馬車が止まっていた。

 閻と乗って来た馬車よりも、少し貧相に見える馬車だ。

 それを見た浩然は顔を顰め、閻に向き直った。


「静麗と俺は一緒の馬車に乗ります。此れに静麗が乗れないというのなら、俺があの後ろの馬車に静麗と一緒に乗ればいいでしょう」


 そう言うと、浩然は静麗を促して後ろの小さな馬車に向かって歩き出そうとする。

 すると閻が素早く浩然の前に回り込み、その場で跪くと両手を地面につけ深く頭を下げた。


「お待ち下さいませ、羅様。私は官吏として、皇族の羅様を出迎える任を受けております。羅様をあの小さな馬車で皇城へお連れしては、私は任を果たすことの出来なかった無能者として、役を解かれてしまいます。どうか、この閻を助けると思し召し、此方の皇族専用の馬車に御乗り下さいませ」


 浩然はそんな閻の態度に眉を顰めた。


 閻は浩然を脅して皇都まで連れてきた張本人だが、未だ平民の自分と違い生粋の貴族だ。

 そんな人物が、多くの者達が見ている往来で、この様に跪いて懇願する等、それ程乗る馬車に拘る必要があるのだろうか。


 浩然が訝しく考えていると、この様子を見ていた静麗が浩然の袖を小さく引いてきた。

 浩然は直ぐ隣にある小さな顔を見下ろした。


「浩然、私は一人であっちの馬車に乗るから。浩然はこの馬車に乗って行ってあげたら?」

「静麗、……でも—――」

「それに、浩然が馬車に乗るまで、この人達、頭を上げちゃ駄目なんじゃないかしら。何時までも跪いたままでは、可哀想だわ」


 静麗の言葉を聞いた浩然は、閻と周りで跪き頭を下げたままの武官達を見回した。

 元来心根の優しい静麗には、多くの人を跪かせたままの今の状況が心苦しいのだろう。


 浩然は小さく溜息を吐くと頷いた。


「分かった。俺はこっちの馬車に乗るよ。皇城は直ぐそこだから、少しだけ一人で我慢してくれるか?」

「ふふっ。小さな子供じゃないんだから、大丈夫よ。浩然こそ、一人で大丈夫?」


 可愛い笑顔を見せる静麗に、浩然の顔も自然と緩む。


「う~ん。大丈夫じゃないかも。俺には静麗が何時でも必要だからな」


 浩然のおどけた言い方に、より一層の笑顔を浮かべる静麗。

 浩然はその顔を愛おしげに見つめると、掌で静麗の頬をひと撫でし、閻の待つ馬車へと向かった。


 浩然は閻が恭しく開けた扉の中へと入り、続いて閻が乗り込むと馬車は直ぐに動き出した。

 皇都まで乗って来た馬車とは雲泥の差の乗り心地に、浩然は目を見張った。



 ―――皇族専用の馬車、か……



 浩然は外装だけでは無く内装も豪華な馬車の中をぐるりと見回した。



 ―――確かに素晴らしい馬車だが……やっぱり静麗と一緒でないと落ち着かないな



 この馬車の後ろに続いている筈の、小さな馬車に乗っている静麗の事を考えて浩然は息を吐いた。


「お疲れで御座いますか? 羅様」

「いや、大丈夫です。宿で十分に休ませて頂きましたから」

「それはよう御座いました。では、この後の予定を少しお話させて頂いても宜しいでしょうか」


 浩然は頷いて閻に向き直った。


 田舎町で生まれ育った浩然達には皇都での過ごし方や、ましてや皇族としての振る舞い等、分からない事だらけだ。



 ―――最長で一年……この場所で静麗と一緒に穏便に暮らす為には、まずは色々な事を知らないと……






 ◇◇◇






 閻の説明を聞いている内に馬車は目的地に到着した様だった。


 緩やかに速度を落とした馬車は静かに止まり、外から武官の手によって扉が開かれた。

 まず閻が馬車から降りると扉の横に居た武官がすかさず浩然に手を差し伸べてくる。


「…………大丈夫です」


 その手を断った浩然は軽い足取りで馬車から降り立つと顔を上げた。




 晴天の空から降り注ぐ温かな陽光の中、浩然の眼前には今まで見たことも無い様な光景が広がっていた。


 荘厳な建物が幾つも連なり、その合間には手入れの行き届いた美しい庭園等が見える。

 それらを繋ぐ回廊でさえ、柱や屋根に彫刻が施された色彩も鮮やかで優美なものだった。


 しかしそれら以上に浩然を驚かせたのは馬車の前に跪く多くの人々の姿だ。

 一目見ただけで身分が高いと分かる装いの人物達が、皆浩然に向かって平伏しているのだ。


 ぐっと手を握り締めた浩然は、先程まで隣にいた閻がその人達の中に混じり同じように平伏している事に気付き、此処からどうすればいいのか分からずに眉を寄せた。



 そんな中、一番手前に跪いていた一人の老人が緩やかに顔を上げると、浩然の顔を眩しそうに見上げて目を細めた。



「羅 浩然様。お初にお目にかかります。私は丞相の任を賜っております ホォゥと申す者で御座います。…………よくぞ、よくぞ皇都へお越しくださいました! 我等朝廷の者一同、心より貴方様のお越しをお待ち申しておりました」



 祖父程の年齢の男性が目に涙を溜めながら、浩然の姿を一心に見詰めてくるのを、浩然は複雑な心境のまま見詰め返し小さく頷いた。






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