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孤独な月は後宮に堕ちる  作者: 桜守 景
第八章 ◆

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三. 婚娶

 


 婚儀を恙無(つつがな)く終え、片づけも終えると、親戚達は皆帰路につき、屋敷には浩然(ハオラン)達の他に、静麗(ジンリー)の両親と浩然の祖父母、それに羅(ルゥオ)家の住込みの使用人が数人のみとなった。

 浩然達は、婚儀の席での華やかな衣装から平服へと着替え、六人でお茶を楽しみ、今日の婚儀の事や、花嫁衣裳の事などを楽しく話しながら、夕刻には夕餉も一緒に取った。


 静麗の両親が帰る時刻となり、浩然と静麗は、日が落ちて暗くなった屋敷の門戸の前まで見送りに出た。




「御父さん、御母さん。今日はありがとうございました」


 静麗が両親に対して深々と頭を下げ、礼を言っている。

 浩然はそんな妻の隣に立ち、同じように深く頭を下げた。

 両親はそんな二人の様子を微笑ましそうに見て頷いた。


「静麗。では、私達は帰るが、しっかり浩然を支えて羅家に尽くすのだぞ」

「静麗。今日より貴女は羅家の嫁です。勤めを果たして、二人で幸せにおなりなさい」


 静麗の両親は、成人を迎えたばかりの娘に優しく言い聞かせると、浩然に向き直った。


「浩然、後は頼んだよ」

「はい、御義父さん」


 浩然は義父の顔を見詰めて、しっかりと頷いた。

 そんな浩然の決意の滲んだ表情を嬉しそうに見詰め返した義父は、娘を浩然に託すと羅家を後にした。



 浩然は二人を見送り、戸を閉めて振り返ると眉を寄せた。


 直ぐ側に実家があり、両親が住んでいるとはいえ、嫁に来た静麗は今日より羅家で暮らすことになる。

 両親が帰ったことで急に不安と寂しさが募ったのか、静麗の瞳には僅かに涙が浮かんでいた。


「静麗。大丈夫か?」

「浩然……」


 心配そうに眉を寄せる浩然の胸に、静麗は顔を押し付けて鼻を啜る。



 ―――成人したとは言っても、静麗はまだ十五歳だからな。……もう少し婚儀を後にしてやった方が良かったのか……?



 浩然は誰かに静麗を奪われる前に、早く自分の妻としたかった。

 だが、もう少し静麗を両親と一緒に過ごさせてやれば良かったのかと後悔が生まれた。

 自分の望みを優先させて、静麗の事を悲しませるのは浩然の本意では無かった。


 浩然は少し落ち込みながら、静麗の豊かで美しい黒髪を何時もの様に優しく撫でて慰めた。

 暫く髪や背を優しく撫で続けていると落ち着きを取り戻したのか、静麗は顔を上げて浩然を見上げた。


「浩然、ありがとう。もう、大丈夫。私は、浩然の妻になったんだもの。泣き虫は直さないとね」


 泣き止んだ静麗にほっとしつつも、浩然は首を振った。


「静麗はそのままでいいよ。泣いて欲しくはないけど、無理に我慢することもない。俺が側に居る時はいつでも泣けばいいよ。泣き止むまでずっと付いてるから」

「浩然は私を甘やかしすぎだと思うわ。私も一人前の女性なんだから。浩然の御母様の様な人になれる様に、頑張るつもりよ」


 照れた様に小さく笑いながら告げられた静麗の言葉に、浩然は苦笑いする。


「母さんのようにか? それは、ちょっと考え直して欲しいかな。静麗が母さんの様になったら、俺は尻に敷かれるしかなくなるよ」

「あら、素敵。ぜひ浩然を敷いてみたいわ。そうしたら、絶対に浮気なんて出来ないでしょう?」


 静麗の口から飛び出した浮気という不本意な言葉に、浩然は片眉を上げて憮然とした。


「俺が、静麗以外の女に惚れる筈が無いだろう? ずっと、静麗だけを愛してきたんだぞ」



 ―――全く、俺がどれだけ長い間、静麗だけを見詰めてきたのか、分かっていないのか?



 呆れた様に告げる浩然の言葉に、静麗は真っ赤になり俯くと、もう一度浩然の胸に顔を埋めた。

 そんな静麗を愛おしく思う気持ちのままに抱き締め、浩然はふと空を見上げた。



「静麗、見て。今日は満月だ」



 浩然の言葉に、静麗は顔を上げて夜空を見上げる。

 すっかり暗くなった空からは、青みを帯びた銀色に輝く美しい月が、その透明感のある光を冴え冴えと降り注いでいた。



「……浩然。私、きっと、今日のこの月を一生忘れないわ」

「ああ。……そうだな」




 二人は寄り添って美しい月を見上げ続けた。






 ◇◇◇





 静麗の両親が帰るのを見送った二人は屋敷の中へと戻り、祖父母が待つ居間へと向かった。


 静麗の目が少し赤くなっている事に気付いた祖母が心配そうにしていたが、温かな祖父母の優しさに触れ、静麗の顔にも自然と笑顔が浮かぶ。


 母亡き後、浩然を育て慈しんでくれた敬愛する祖父母と、今日、自分の妻となった静麗がお互いを労わっているのを見て、浩然の心は温かくなる。



 ―――そうだ。俺達は本当の家族となったんだ。此れからは、俺が静麗や祖父母を守っていかなくては



 浩然がそう決意をしている横で、静麗と祖母の会話が続く。



「さあ、静麗。もう夜も遅いわ。湯を使って、今日はもう下がりなさい」

「はい。御婆様」

「明日の朝はゆっくりでいいですからね」


 祖母の悪戯っぽい言葉に、静麗だけでは無く浩然も気恥しくなり、そっぽを向いた。

 その後、浩然と静麗は祖父母に就寝の挨拶をすると居間を後にした。






 廊下へと出た浩然は、平静を装って静麗に声を掛ける。


「静麗。先に湯に入っておいで。寝衣は湯殿に新しいのが用意されてるから」


 薄暗い廊下で突然掛けられた声に、静麗はぴくりと肩を震わせると素直に頷いた。


「うん。ありがとう、浩然」



 慣れ親しんだ浩然の屋敷を、静麗は迷うことなく湯殿へ向かった。

 その後ろ姿を見送り、完全に見えなくなると浩然はその場でしゃがみ込み、大きく息を吐いた。

 そして頭を抱えるとぽつりと呟いた。



「……大丈夫か? 俺……」




 ―――こんな事なら、もっとあいつ等に色々と聞いておけば良かった




 幼馴染であり、悪友でもあり、また静麗を競った恋敵でもあった男友達たちの顔を思い浮かべて、浩然は深い溜息を吐いた。

 そして、がしがしと乱暴に髪を掻きまわすと急に立ち上がり、足早に歩きだした。



 ―――今更何を考えても無駄だ。大丈夫、俺はやれる!…………筈だ








 裏庭が見える部屋で待っていると静麗が湯殿から出て来た。

 湯上りの静麗の姿を、あまり目に入れないように気を付けながら、浩然も素早く入浴を済ませる。

 急いで上がったのでまだ髪が少し濡れていたが、あまり時間を掛けて静麗が湯冷めしては大変だ。



「早かったのね。浩然」

「ああ。あんまり静麗を待たせて、湯冷めさせたら大変だからな」


 微笑んでそう言うと、何故か静麗は少し悔しそうな顔をする。

 それを不思議に思いながらも、手を差し伸べると直ぐに繋がれる。



 浩然は夫婦の部屋となる場所へと静麗を案内する。


 幼馴染の好みは把握している積りだが、果たして静麗はこの部屋を気に入ってくれるのか。

 浩然は柄にもなく少し緊張しながら、静麗の反応を伺う。


「どうだ。気に入ったか?」


 浩然の問いかけに静麗は満面の笑みで応えた。


「うん。気に入ったわ。ありがとう、浩然」


 その嬉しそうな様子に、浩然はほっと息を吐いた。

 静麗の返事に安堵した浩然は、落ち着いた様子で部屋の案内を始める。


「こっちが、静麗の椅子で、こっちが俺。それから、これは……」


 静麗との生活を想像しながら選んだ家具達を、一通り説明した浩然は、最後に隣へと通じる戸の前に立った。



「えっと……、で、……こっちが俺達の寝室」



 照れた様に斜め上を見上げながら浩然はそう告げ、戸を開けた。

 静麗も浩然に釣られた様に照れて赤くなっていく。


 静麗が入口から中を覗き込んでいる。

 寝室の中には、寝台の他に小さな円卓や、新しい箪笥も用意してある。

 それらも静麗の好みのを考慮して選んだ。

 寝台は二人で使うように、少し大きめの物を設置している。

 寝台のすぐ横の壁の上方には小さな窓があり、鎧戸の隙間から青白い月の光が、寝台の白い敷布の上に降り注いでいた。



 浩然は静麗の横を通り過ぎると、先に寝室へと足を踏み入れ、寝台の前まで歩いて行く。

 そこで小さく深呼吸をすると、振り返り、寝室の戸の前で下を向き赤くなっている静麗を見詰めた。



「静麗。……おいで」



 緊張と恥ずかしさで動くことが出来ない静麗を、浩然は驚かせない様に優しく誘(いざな)う。

 出来るだけ穏やかに、優しく微笑み静麗に手を差し伸べる。


 静麗はそんな浩然に引き寄せられるように近づいてくる。

 手の届く距離まで近づいた静麗を、浩然は優しく引き寄せて、その両頬に手を添えた。



「―――静麗」



「浩、然」



 浩然は静麗を驚かせない様に、細心の注意を払いつつ、そっと屈むと、その小さくぷるりとした愛らしい唇に、触れるだけの口付けを贈った。


 初めて触れた静麗の唇は、想像していたよりもずっと柔らかく気持ちが良かった。


 浩然の胸は、破裂するのではないかと思う程に激しく脈打った。




「静麗。……愛してるよ。お前は俺の唯一だ。ずっと側に居てくれ」


「浩然、……私も大好き。ずっと一緒よ」





 二人はもう一度顔を近づけて口づけを交わすと、静かに寝台に横たわった。






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