5 ナンパについて
時刻は夜の十一時。場所はわたし、牧ヶ花麻希の部屋。なんか現実世界の描写も久しぶりだな。
地蔵堂が死んでからもう一ヶ月か。なんだかかなり早く感じる。それもそうか。だって夢で会ってるわけだし。
さーて、もう寝ようかな。今日も疲れた。おやすみなさい――――――
――――――ここは…?見覚えのない景色。どこかの繁華街?ずらっとお店が並んでる。道路を挟んだ向こうにも。
そうか、これは夢か。しかも地蔵堂邸以外の夢。ってことは、誰か別の人の死後の空間に来たってことかな?
それにしても地蔵堂邸以外の夢って久しぶりだな。ここのところ夢と言えばずっと地蔵堂のおうちだったからな。しかも繁華街なんて、楽しい夢になりそう――
どさっ。
「道の真ん中に突っ立ってんじゃねえよ!危ねえじゃねえか!」
「ご、ごめんなさい…」
物思いにふけってたら、知らないおじさんと衝突してしまった。失礼しました。
とりあえず移動しよう。繁華街にどんなお店があるのか気になるし。
電気屋さんに本屋さん、お菓子屋さん、雑貨屋さん、いろいろあるなあ。
お、「中華まん」だって。路地裏のお店なのかな。矢印が書いてある。買ってみようかな。
路地裏を歩き出して数秒後、突然誰かに呼び止められた。
「君今一人?だったら俺たちと遊ばない?」
振り返ると、二人組の若い男がそこにいた。片方は金髪で浅黒い肌。もう片方は明るめの茶髪でアクセサリーをじゃらじゃらつけている。一言で言えば二人ともチャラい。…もうなんていうか、まるで絵に描いたような、ベッタベタなナンパだった。
「…いえ、あいにくですが、そういうのはちょっと…」
「そう言わずにさー。お茶おごるから」
…鬱陶しいなあ。
「…あの、ほんと、間に合ってますんで…」
「えーいいじゃん。ちょっとだけ。ね、ちょっとだけだから」
あー!もう!面倒だな!
「ほんとにそういうの結構ですから――」
カラッコロッ。
路地の奥から何かの音が聞こえてくる。一定のリズムで…これは…下駄の音!
振り返ると、老緑の長着、紺鉄の袴、白足袋に下駄をひっかけた男がいた。って地蔵堂!
地蔵堂はこちらに歩み寄ると、わたしとチャラ男の間に割って入り仁王立ちした。
え?じゃあ何?これはあれ?ナンパされて困ってるところを助けてもらうってシチュエーション?
ちょっと待って、それはなんていうか、恥ずかしいっていうか、しかもよりにもよって相手は地蔵堂だし、夢でよかった…いやよくないか⁉
そうこうしてるうちに地蔵堂が口を開こうとしてる。はわー!どうしよう!
「すみませんね、お二人さん。これは私の細君でしてな。手は出さないでいただきたい」
なんかちがーう!
「細君」て!「彼女」とかならまだしも「細君」て!結婚しちゃったよ!しかも「妻」でも「家内」でもなく「細君」て!明治かよ!
ふとチャラ男を見ると二人ともポカーンとしていた。ほら、分かってないよ!全然伝わってない!
「あれ?私なんか間違った?」
間違えてるよ地蔵堂!すごーく間違えてるよ!
「じゃあ仕切り直して…」
…いやな予感しかしない。
「出合え出合え!構わぬ!切って捨てぇい!」
せめて悪役じゃないほうにしようよ…。
あー…。そうだった…。地蔵堂はなんていうか、ヒーローになれない残念な奴だった…。
「…な、なんだてめぇ。何訳の分かんねぇことごちゃごちゃ言ってんだ?ああん⁉」
「やんのか、おい!」
ほら、変に刺激しちゃったよ!
見かねてわたしは地蔵堂に耳打ちする。
「どうすんの、地蔵堂。わたし知らないよ」
「うーん、参ったな」
そう言いながら口元がゆがんでるんですけど…。さては、確信犯だな。
「よし、ここは…」
まさか、やり合う気?地蔵堂、そういうの得意そうには見えないけど。
「逃げるか」
ですよねー。
地蔵堂は私の手首をつかむと駆け出した。
「おい、待て!」
後ろからチャラ男が追ってくる。しかしそれには構わず、地蔵堂とわたしはただただ走った。
どこをどう走っただろう。よく覚えていない。細い道だった気もするし、大通りに出た気もする。アスファルトの道だったかも。石畳だったかな。林を抜けたかもしれないし、橋を渡ったかも知れない。あぜ道を通ったような、トンネルをくぐったような。走って走っ走り続けて、気づいたら地蔵堂の家の前にいた。
玄関を開けて、いつもの応接室に入る。中には璃子ちゃんがいた。
「どうしたの二人とも。肩で息してるよ」
「…いや…それが…いろいろあってね…」
答えようとするも呼吸が落ち着かない。
「…私はちょっと休ませてもらう。疲れてしまったよ」
そう言いながら奥へ引っ込もうとする地蔵堂の後姿を見て、わたしは思わず呼び止めてしまった。
「地蔵堂!左手…」
「ああ、走ってる途中にどこかでぶつけでもしたのかな?まあ大したことないよ」
言うと地蔵堂は応接室を出て行ってしまった。
地蔵堂の左手からは、血が滴っていた。




