3 酒について
「ねえ地蔵堂。なんでわたしって大学生なの?」
「不思議な質問だね。大学に入ったからじゃない?」
前回の訪問から数日。わたしは例によって夢の中、地蔵堂のとこを訪れていた。今は応接室でくだらない会話に興じている。この、夢の中で死人とおしゃべりしている状況も、三回目ともなると慣れてくる。
「そうじゃなくて、なんでこの作品でのわたしは大学生って設定なのかなって」
「いきなりギリギリな発言だあ!『設定』とか言うなよ」
ついでにこの地蔵堂邸の応接室にも慣れ始めている。なんていうか、くつろぎ方を覚えてくる。わたしは椅子に片足のっけた行儀の悪い座り方で、丸テーブルの上の火焔型土器に入った蜜柑に手を伸ばす。
「だってこういうのって高校生とかが相場じゃない?」
「越乃曰く、酒を酌み交わす話を作りたかったらしい」
作者の名前出すお前もギリギリだわ!
なるほど。それじゃあ成人してないといけないわけか…死んでたら関係なくね?
「そういうわけで、今回は牧ヶ花と酒を飲もうと思う」
言うが早いか地蔵堂は奥に引っ込むと、とっくりとお猪口とおつまみをお盆に乗せて戻ってきた。また唐突だなあ。
「え?日本酒?わたし飲んだことないよ」
決してお酒に弱いわけではない。でも日本酒ははじめてだ。だいたい日本酒をがばがば飲む女子大生ってどうよ。
「え~意外だわ。ワンカップ片手に裂きイカとかつまんでるイメージだった」
何そのかわいくない女子大生!っていうか失礼じゃね⁉
「ははは。ごめんごめん。せっかくだから、もっと興が乗る飲み方をしよう」
むくれるわたしをなだめると、地蔵堂はお盆を持ったまま応接室を出ていった。どこ行くんだろう。わたしもついていく。
玄関を入って廊下を左に曲がるとすぐの部屋がいつもの応接室だ。地蔵堂はその廊下をさらに進んでいった。するとそこは縁側になっていた。
外はすっかり日が落ちて、月が顔を出している。地蔵堂邸で夜を迎えるのははじめてだ。いや変な意味じゃなく。
「一回やってみたかったんだよね~。縁側で酒飲むの」
お盆を置いて、縁側に腰掛けながら地蔵堂が言った。月を見上げながら、足をバタバタさせて、さも楽しげに地蔵堂は続ける。
「生前の我が家は縁側なんてなかったからな。死んだからこそ叶う夢だね」
…その夢の叶え方はどうだろう。
「ほら牧ヶ花も。こちらへどうぞ」
地蔵堂がお盆を挟んだ隣を勧めてくる。では失礼して。
腰かけるとより一層空が遠く感じるなあ。思わず感想がこぼれる。
「…月がきれいだ…」
「え⁉い、いきなりそんな…好きだなんて言われても…」
だからそういう意味はなーーーい!地蔵堂がにやにや笑いながら日本酒を注いでる。まったくもう。からかって。
地蔵堂からお猪口を受け取ると、乾杯して口へ運ぶ。っくーーー!日本酒もいいものだね。
わたしの表情を見て地蔵堂は満足げに笑うと、再び日本酒を注ぎながら口を開いた。
「こんな時にかけるとしたらあの曲かな。ベルガマスクの月の光」
ドビュッシー作曲『ベルガマスク組曲』より「月の光」。確かに。
「いいね。月の光」
地蔵堂は立ち上がるとどこからかターンテーブルとレコードを持ってきた。そしてゆっくりと針を落とす。前奏曲、メヌエットに続いて、「月の光」…。
今日の月はどんなものだろう。満月の一歩手前って感じ。小望月っていうのかな。おおむね雲もないけど…あや、流れてきた雲がちょっとだけ、月にかかっちゃった。
ふと地蔵堂を見た。盃の中の揺れる月と雲を眺めてる。優しい表情。柔らかな笑みをたたえてる。でもその顔はそれでいて、なんていうか、どこか悲しそうにも見えた。
「…なんか音楽聴いてたら踊りたくなっちゃったよ」
彼のそんな表情を変えさせたかったからなのかなぜなのか、唐突にそんなことを口走ってしまった。普段のわたしなら、絶対に言わない。そして案の定、地蔵堂がからかってくる。
「何その恥ずかしい台詞!」
あぁ…。これはあれだ。言った後からじわじわ来るやつだ。
「ほんとにそう思っちゃったんだよぉ」
「あれか?『ベルガマスク組曲』のベルガマスクの由来するヴェルレーヌの詩に仮面舞踏会が出てくるから、自分も踊りたくなっちゃったとか?」
「別に、そういうわけじゃないけど…」
ああもう。恥ずかしい。今顔が赤かったら、きっとお酒のせいじゃないよ…。
「でもベルガマスクは終わっちゃったしなぁ。じゃあ私がうたうから、それに合わせて踊ってよ」
どうした、地蔵堂。さては酔った?
「ほらほら、早く~」
「ちょっと待ってよぉ」
地蔵堂にせかされて、慌てて庭へ降りる。どうしよう。つっかけだけど踊れるかな。そもそもダンスとかしたことないんだけど…。
「じゃあいくよ」
咳払い一つ。地蔵堂はうたい始めた…。
「影―傾きてー明け方のー雲となりー雨となる。この光陰にー誘われて。月の都に、入り給ふ、粧ー」
「それは能だぁぁぁ!」
お前のそれは歌じゃなくて謡、そしてこの場合求めらるのは踊りじゃなくて舞いだぁ!
「あははぁ。気持ちいいつっこみだね」
くそぅ。面白がりやがって。舞いなんかできるかっつの。
「でもちょうどいい選曲をしたつもりなんだけどなぁ。『融』って言ってね。融の霊は月の都に帰っていくんだよ。今の私みたいだね。もっともここが月の都だけど」
この地蔵堂の発言につっこむ気力はもはやなく、わたしはお猪口のお酒を一気にあおった。




