17 デレについて
チリーン…。
軒の風鈴が澄んだ音を立てる。風さん、いらっしゃい。
しかし…しかし、それでも。暑いよー暑いよー。夏、暑いよー。
地蔵堂邸の応接室は扉をすべて開け放ち、いつでも風さんを迎え入れる準備が整っているというのに、なぜたまにしか来てくれないんだ。風さん吹け吹け、もっと吹け。
いや、風さんが来てくれても、あんまり暑さを忘れられないかも。なぜなら…
「佐善、抱きしめて」
「はーなーれーろー!」
暑苦しいわ!
地蔵堂が例によって例の如く璃子ちゃんに抱き着いてる。ただでさえ暑いってのに、余計暑さを感じてしまう光景だよ。
「おーい、真一。邪魔するぞ」
お、その声は帝釈天。そういえば玄関も開けっ放しだったっけ。
帝釈天が応接室までずかずかと入って来た。
「よう、麻希。今日はお前も来てんだな」
「ごめんください、帝釈天」
「よう、しんい…なあ麻希、真一のやつ何してんだ?」
あれ?帝釈天、もしかして璃子ちゃんは初めて?
「ああ、あれは…」
私が答える前に、地蔵堂が帝釈天に気付いた。
「あ、帝釈天、来てたんだ。ごめんください」
「よう、真一。ところでおめえ、何やってんだ?」
「ああ、ちょっと『愛の挨拶』を」
エルガー先生に謝れ!
「ただの変態行為だ!」
璃子ちゃんが地蔵堂を引きはがす、というか突き飛ばす。反動で地蔵堂は壁にビターンと衝突した。
「へゔぇ」
璃子ちゃんつよーい。
「おい、大丈夫か?真一」
「うん。何とか」
地蔵堂がよろよろと立ち上がる。その地蔵堂に帝釈天が小箱を差し出した。
「ほれ。手土産だ。『三十三天特製水羊羹』」
「やったあ!」
地蔵堂が一瞬で元気になる。簡単なやつめ。
帝釈天が璃子ちゃんに向き直る。
「よう。お前と会うのははじめてだな。俺は帝釈だ。よろしく」
「どうも。あたしは…って、帝釈天⁉」
最初はそうなりますよね!
「さて牧ヶ花。その辺の件は前回前々回でやったことだし、我々はお茶の準備をしますか」
はいはい。
驚愕する璃子ちゃんを残し、わたしと地蔵堂は給湯室へ。
「私は冷たいお茶を淹れてるから、牧ヶ花は器に氷と水を張って、いただいた水羊羹を入れといて」
「器ってどれ使えばいいの?」
言って後悔する。フリになってしまうじゃない…。まさかいつものあれじゃないでしょうね。
「そうだね…夏らしくギヤマンの…」
お、ギヤマン!ってことはガラスですな。いいじゃない、涼しげで!
「火焔型土器で」
なんで火焔型土器にこだわるんだよ!なんだよ、ギヤマンの火焔型土器って。土器じゃないじゃん。しかもなんか熱そうだし。
まあいいや。火焔型土器風のガラスの器に水と氷、そして竹筒のままの水羊羹を入れると、応接室へ。
応接室では璃子ちゃんが頭の上で手を合わせて帝釈天を拝んでた。まあ無理もないよね。
「おい、やめてくれよ。よそではさておき、ここではフラットにいこうぜ」
「ありがたや~…」
帝釈天がすっかり困り顔だ。
地蔵堂も入ってきて、にやにやしながらテーブルにお茶や取り皿を並べ始めた。
藁にも縋るとばかりに、帝釈天が地蔵堂に話を振る。
「そういえば、さっき真一と璃子はずいぶん親しげだったが、真一の生前に付き合ってたりしたのか?」
「神に頼まれてもごめんだよ!」
さっきまでの尊崇どこ行った!
「そうなのか?仲良さそうだったが」
「付き合ってない!どころかこいつのことはただの変態としか思ってない!」
「でも、仲良しってところは否定しないんだね、佐善」
璃子ちゃんの必死の訴えもどこ吹く風。地蔵堂がからかい始める。
「うっ…いや、そんなことは…」
図星か。
「このツンデレめ。佐善、抱きしめて♡」
「ち、違っ…うわ、寄るな、変態…」
はぐっと、地蔵堂が璃子ちゃんをはぐっとする。
「やめろ!キモイ!お前とは仲良くなんかないんだよ!死ね。死ね!死んじゃえよ!この変態!」
チリーン…。
あまりのことに時が止まった。こんな時だけやってくる風さんはなんて無遠慮なんだろう。おまけに冷や汗も相まって寒さすら感じる。
天にも届く声量で。岩をも砕く衝撃で。発せられたそれがしかし穿ったのは…岩ではなく地蔵堂の心だった。…たぶん。
地蔵堂はよろよろと璃子ちゃんから離れると、応接室の隅でうずくまってしまった。
「じ、地蔵堂…」
「うう…牧ヶ花…佐善が、佐善がぁ…」
なんて声かければいいんだろう。
地蔵堂に非がないかと言ったら、そういうわけじゃないんだけど…。璃子ちゃん、うつむいて済まなさそうにしてる。きっと自分でも言い過ぎたってわかってるんだ。
正直、わたしや璃子ちゃんは地蔵堂よりも「死ぬ」ってことを理解できてないんだよ。でもきっと「死ね」って言われる痛みは、実際に死んでる地蔵堂にとって相当つらいものだったと思う。
「うう…佐善がぁ…」
普段何事もなく地蔵堂と接してるから、感覚がマヒしちゃってるんだよね。やっぱりないがしろにしちゃだめだよ。死の重さを。命の重さを…。
「佐善が、キモイって言ったぁ」
そっちかよ!
「地蔵堂?『死ね』って方はいいの?」
「え?別に。『もう死んでるよ、へへーん』って感じ」
気にしろよ!あんたの死への意識はなんでそんなに低いんだよ!あんたこそ重くあれよ!
わたしが突っ込んでると、さっきまでうつむいてた璃子ちゃんが地蔵堂の方へ歩み寄って…
「…これが全くないのも、寂しいし…た、たまになら、その…許す」
バ、バックハグ…♡
り、璃子ちゃん…。デレが過ぎるよ…。
なんだかふわふわした心地のわたしたちと違うものが一人いた。熱を帯びた肌を、冷たく冷やす風のように、帝釈天は真顔でつぶやいた。
「全く…」




