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12 雨について

 雨が降っている。

 地蔵堂邸の縁側。いつぞや地蔵堂と酒を酌み交わしたこの場所で、わたしは何をするでもなく庭に落ちる雨をぼんやり眺めていた。なんかセンチメンタルって感じ。

 もう何分くらいこうしているだろう。雨はただシトシト降って…シトシトと…シトシ――ザーザー…ザー――どじゃあああああああああああああああ。

「地蔵堂ー!なんか雨やばいんだけど!」

 一気にセンチメンタルじゃなくなったよ!

 家の奥から慌てた様子で地蔵堂が走ってきた。

「うわあああ!客間まで水浸しだあああ!牧ヶ花、雨戸閉めるの手伝って!」


 いやー大変だった。すごい雨だったなあ。

 雨戸閉めるのも一苦労だったよ。地蔵堂と二人、荒れ狂う風と横殴りの雨に格闘して何とか縁側の封鎖に成功したけど…服はびっしょびしょだし身体は冷えるしでもう散々。地蔵堂からタオルと、着替えにって甚兵衛を貸してもらった。いやあひどい目にあった。まあいいか、どうせ夢だし。

 ちなみに久美ちゃんは、今晩わたしが寝るときにはなぜかアパートにいなかったんだよね。今晩だけじゃなく、たまにいなくなる時があるの。地蔵堂邸に行ってるものとばかり思ってたけど、そうでもないみたい。まあ幽霊にもいろいろあるんでしょ。

 がらがらがら。

 玄関の戸が開く音がする。誰か来たみたい。こんな雨の中よく来るなあ。

「牧ヶ花ー!すまないが出てくれー!」

 奥から地蔵堂の声がする。そうか、今着替え中か。

「はーい」

 どちら様ですかーっと

「お前ら夫婦かよ…」

 玄関にはずぶ濡れの璃子ちゃんがいた。――ってわたしたちは夫婦じゃない!断じて!

「いやそんなことはどうでもいい。それよりも―」

璃子ちゃんが物欲しそうにこちらを見ながら言う。そうだよね。早くタオルか何か持ってこないと…。

「あたし出番久々過ぎじゃね⁉」

 それもどうでもいいわ!

「――っっ佐善!」

 背後から声がして振り向くと、着替え終わった地蔵堂がいた。

「佐善!抱きしめて!」

「いいから早く拭くもんもってこい」

 出た~お二人のいつものネタ。変態地蔵堂。そして慣れた感じでぶった切る璃子ちゃん。

「ふっふっふ。佐善がそう言うだろうと思って、バスタオル持ってきておいたぞ」

 おお!準備がいいね、地蔵堂。

「さあ…早く…佐善…おいで…拭いてあげるから…」

 だめだこの変態!

「気持ち悪いな!自分で拭くわ!」

「あはは~服はこの甚兵衛貸したげる。佐善は客間で着替えておいで。あったかいコーヒー淹れておくよ」

 地蔵堂から甚兵衛を受け取ると璃子ちゃんは客間へ向かった。璃子ちゃんは中へ入ると襖を半開きにして頭だけ廊下に出して、ジト目で地蔵堂を見ながらやや荒っぽい声をあげる。

「覗くなよ」

「佐善、それは…かつてかの伊邪那美も口にした古典的かつ伝統的な…フリかい?」

「そんなわけあるか!」

 璃子ちゃんはピシャリと襖を閉めた。木製住宅の襖だからそんなおとするわけないのに、ほんとにピシャリと聞えた気がする…。

「さて、牧ヶ花はお茶会の準備を手伝ってね」

 はいはい。なんか今日の地蔵堂、人使い荒い気がする。

 というわけで、わたし達は給湯室へ。

「それで?何すればいいの?」

「お茶請けを用意してくれ。今朝焼いたクッキーがその辺にあるから」

 女子か!

「あ、火焔型土器はやめといてね。クッキーには深すぎる」

 火焔型土器を菓子皿にしようなんて考えるのは地蔵堂くらいのもんだよ。

「替わりにそこの、弥生人が作った高坏で」

 なんでそんなもんばっか持ってんだよ!

 そんな軽快なつっこみを挟みつつ、わたしはクッキーを盛り始めた。地蔵堂は隣でコーヒーミルをコルコル言わせてる。かすかに聞こえる雨音の中で、ミルの音が響く。

 …ザー…コルコルコル…ザー…コルコルコル…

 ふと、分かりきったことを口にする。

「雨、だね」

「雨、だな」

 …ザー…コルコルコル…

「牧ヶ花は、雨、好き?」

「う~ん、どっちかっていうと、そんなに好きじゃないかも。洗濯もの外に干せないし、靴とか濡れるし」

「確かにね。わたしも特別好きってわけじゃないな」

 気づけば地蔵堂は豆を挽き終わっていた。流れるような手つきで、温めたドリッパーにフィルターを張り、挽いた豆を入れる。その作業を行いつつ、地蔵堂はなおも語る。

「でも、告白の時はなかなか悪くないよね」

 最初のお湯を落としながら、地蔵堂は言った。…いきなりどうした⁉

 ドリッパーから少しだけ湯気が立つ。地蔵堂がいつになく真剣な表情だったのは、きっとコーヒーを淹れてる最中だからだ…と思う。さらに地蔵堂は、コーヒーを淹れる手を留めずに続ける。

「雨が周囲から切り離してくれるみたいで、まるで二人だけの世界になったような感じがするでしょ?そう思うと雨も悪くないよね」

 よくそんな話を堂々とできるな…。なんか恥ずかしいじゃない…。

「そう、雨も悪いものじゃないぞ」

 わたしが何か言うよりも早く、給湯室の入り口から声がした。いつの間に来ていたのだろう。そこには甚兵衛姿の璃子ちゃんがいた。

「お茶室ではな、雨もまた音楽なんだ。いいぞ、雨音。そして釜の松風。それらが合わさって、二度とない、その時だけの音楽が奏でられるんだ。ああ、一期一会…!」

 なんか今日の璃子ちゃん、熱いな…。

 ってうわあ!地蔵堂、急にわたしを押しのけないでよ!

「流石、佐善だぜ!」

「お前もな!」

 見れば地蔵堂と璃子ちゃんが、固く握手を交わしていた。あんな妙な雰囲気でこっぱずかしい話をしてたのに、いつの間にか少年漫画みたくなってるよ。

「あの…お二人さん…。身体も冷えてるし、コーヒー、飲みません…?」


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