1 死後について
地蔵堂真一が死んだ。
今日はお葬式だった。あまりに急なことで、わたしはすぐに理解できなかった。ついこの間まで元気にしていたのに。だめだ信じられない。しばらく呆然としていた。気づけば涙があふれていた。
ずっとこうしているわけにもいかない。今日はもう寝よう。夜も遅いことだし。そう思って泣きながらベッドに潜った。布団にくるまって、どのくらい泣いていただろう。泣いて、泣き疲れて、そして眠りへと落ちていく――――――
――――――ここはどこだろう。見たことのない景色。砂利が撒かれたれた道に飛び石が敷かれている。目の前には平屋建て瓦葺きの日本家屋。なんだここは。こんな場所記憶にない。
ああそうか。夢だ。これは夢。ここは夢の世界。試しに頬っぺたでもつねってみようか。まあそんなベタなことわざわざやらないけど。
かすかに音が聞こえる。平屋の方からだ。なんだろう。何かの音楽だ。どこかで聞いたことがあるような。
わたしは音楽につられるように平屋の方へと歩き出した。玄関と思しき扉を開け、中に入る。音楽はより大きく、そしてはっきりと聞こえる。これはあれだ、サン=サーンスの『死の舞踏』…。靴を脱いで家の中へ。音楽が聞こえる方へ歩いていく。玄関をすぐ左に曲がって、最初の襖の部屋。そこから聞こえてくる。
わたしは襖を開けてみることにした。いや考える前に、手が勝手に引き戸にかかっていた。ゆっくりと、静かに襖が開く。
「やあ。一番乗りは君か。牧ヶ花麻希」
中には…地蔵堂がいた。
「――っっ!」
「そんなとこに突っ立ってないで、中に入りなよ。君の分のコーヒーも用意してあげるから」
八畳ほどの畳の空間に正方形の深緑のじゅうたんが敷かれ、さらにその上に紺の丸いテーブルと、向かい合う形でこれまた紺色の椅子が二脚置かれている。地蔵堂はその上座の方の椅子を引いて私に勧めていた。
「地蔵堂!あんた…その…死んだって…」
「ああ。死んだよ」
何あっさり言ってんのよ。私がどれほど悲しんでるかも知らないで。
「とりあえずこっちに来なよ。そこじゃ何だから」
地蔵堂がなおも椅子を勧めてくる。そういえば目の前の地蔵堂は格好が変だ。なんていうか、古風。黒い襟の襦袢にこげ茶の長着。ご丁寧に白足袋まで着用して、ザ・和装といった感じ。少々なで肩で黒い髪の地蔵堂には、この空間もあってよく似合っているが…。
「そうだ。夢なんだった。やっぱり現実では地蔵堂は死んでいて、これはわたしの思考に基づいた夢なんだ」
わたしが眠る前に地蔵堂のことで悲しんでたから、それに引っ張られて夢に地蔵堂が出てきたってところか。
「ん~それはちょっと違うな」
「え?夢じゃないってこと?」
そう尋ねると、地蔵堂がこちらに近づいてきた。え、ちょっと、近いんですけど…。
「これはちゃんとした夢だよ。ほら、ほっぺたつねってもいたくないでしょ」
ちょっ、わたしのほっぺたつねんな!
「もう!セクハラだ!」
しかもさっきはわざわざやらなかったのに!
「ははは。死人は裁けんよ」
「…それで?夢だけど『違う』ってどういうこと?」
「ここは夢の世界だ。そして、同時に死後の世界でもある」
「はい?」
言ってることがわからない。夢の世界であり、死後の世界でもあると?
「私も死んで初めて知ったんだけどね。人が夢を見てるときって、実は生きながらにして魂が死後の世界を訪れてる状態なんだって」
「え?じゃあ何?ここは天国とか地獄とかってこと?」
「古い古い。今じゃ冥土も近代化が進んでるよ。三途の川なんて金属探知機が置かれてる」
空港かよ!
「あはは~。牧ヶ花の突っ込み懐かしいな」
おっと、口に出てた。
「懐かしいって、あんたまだ没後一週間もたってないでしょうが」
「まあいろいろあったんだって。ほら早くそこ座りなよ」
地蔵堂のこの他人事みたいな態度には腹が立つなあ。わたしは文句を言いながら勧められた椅子に腰を下ろした。その間に地蔵堂はいったん外へ出ると、コーヒーが入ったサーバーと空のカップを持ってきて、わたしの目の前でコーヒーを注いだ。
「コーヒーどうぞ」
「…ありがとう」
ふとした疑問を口にする。
「ねえ、死んでも食欲ってあるの?」
「う~ん、ないよ。聞くところによると、食べなくても平気らしい。まあ死んでるんだから当たり前だけど」
…いちいち発言が重い。
「でもその割にコーヒーは普通に飲んでるみたいだけど」
わたしは地蔵堂が自分のカップにもコーヒーを注ぐ様を眺めながら言った。
「いや、食べなくても平気ってだけで、別に一切の飲食物を口にしないわけじゃないんだよ。ほら私ってコーヒー中毒でしょ?これ飲んでないと生きた心地しなくて」
もう死んでるんでしょ!あんたは!
「それとクラシックね。これ聴いてるときは生きてるって感じるよね」
だからあんたはもう死んでるんだって!まあクラシックは認めるけどさ。
わたしと地蔵堂はクラシック好きとして大学で知り合った。大学の楽団の定期演奏会でたまたま席が隣だったことがわたしたちの出会いだ。それからたびたび大学で顔を合わせるうち、互いの好きな曲について語ったりなんかして仲良くなった。
そんなクラシック好きのわたしだからこそ言いたいことがあった。
「…『死の舞踏』の無限ループやめない?」
「え~。私実際死んでるからぴったりかなって」
実際死んでるから気味が悪いんでしょうが!
「もう…仕方ないな。別のにするよ」
そう言って地蔵堂は立ち上がると部屋の奥へ向かった。部屋の奥には箪笥があって、その上にCDプレイヤーが置いてある。彼はCDプレイヤーからCDを取り出すと、別のものに変えた。新たに流れてきたのは、わたしにも聞き覚えのある旋律で…。
「モーツァルトの『レクイエム』もやめろーーー!」




